誕生日に「野性を取り戻す」と宣言したものの、どこから手を付けて良いのか分からない。そもそも、野性を取り戻したらどうなるのかも分からない。しかし、野性を取り戻したいとしか言いようのない願望がある。では、どうすれば野性を取り戻しに行く入り口が見つかるのだろう・・・。


そこまで考えてハッとした。


5年前に中国の株を買った。買いたくて買ったのだが、その1年ほど前から気になって切り抜く新聞記事が中国経済に関するものばかりになった。どうやら、人間の願望は明確に意識される前に、何かしら先に行動を起こさせるものなのだろう。


そうだとすれば、今回も野性を取り戻したいという願望が何か行動を先に起こさせているはずだ。うん、ひょっとすると「気になる言葉」か。私には気になる言葉を手帳に書きなぐる癖があるが、それを見れば何か分かるかも知れない。


ボルネオ7番のブログ-手帳


善は急げ、と手帳を見返した。

最初に目に入った言葉は、細川元首相が日経「私の履歴書」で紹介されていたものだった。


「明日は御座なく候」


細川元首相の恩師である木曽秀観先生の言葉として紹介されていたが、「明日はないものと思え。今日をしっかり生きよ」という意味だったと思う。


この言葉を手帳に書き込んだのは、多分その時、ずいぶん先のことを考え悩んでいたからだろう。イエス・キリストも「明日のことを思い煩うな」と語っておられるが、人間はついつい先のことを考えてしまう動物なのだろう。


そういう私にも、精一杯、今日だけを生きた日々があった。

夏合宿のときだ。


あのときは、明日や明後日のことを考える余裕などなかった。練習に集中し、終わればひたすら身体を休め、次の練習に備えた。今日のことしか考えられなかったし、一時間一時間が重かった。負傷者が増えてくると、そこに緊張感が加わった。しかし、そういう重圧の中で過ごす仲間の顔はみな野性的で、良い表情をしていたように思うのだ。


今日を生きるという思いが強くなれば、野性を取り戻すことができるのではないか?


(続く)