14階建てビルの11階で仕事をしていた。
最初の揺れに気付き、「あっ、地震や」
不遜にも、笑いながらそう言ったように思うが、その時、既に東北では大きな被害が出て、亡くなった方が大勢いたのかと思うと本当に申し訳なく思う。
その後、地震は収まるどころか揺れがますます激しくなり、デスクの引き出しが飛び出したり、ロッカーの扉が空いたり、主のいないキャスター付きの椅子が移動を始めたり、と全く想像もしなかった光景に驚くこととなった。
少し揺れが収まり、回りの同僚と少しホッとすると、再び揺れが始まる。次第にみんなの口数が少なくなり、ついにデスクにしがみつかないと自分の身体を支えきれない状態になった。目を瞑り、祈るように揺れが収まるのを待つ同僚、床に座って涙ぐむ同僚、デスクの下にもぐりこんで時計を見ている同僚。
青山通りを挟んだ向かい側の青山学院大が新しい校舎を建設中で、背が高く大きなクレーン車が見えたのだが、それが大きく大きく揺れている。やっぱり異常事態だ。オフィスの窓の手前にあるブラインド・カーテンが窓に何度も当たっては大きな音を出す。このまま地震が収まらなかったらどうなるうだろう、と思った。
やっと余震も小さくなり、揺れと揺れの間隔が長くなり、窓から外を眺めたら、多くの人が青山通りに立ち止まり、車が渋滞しているのが見えた。みんな、携帯を耳にしている。そうだ、家族は大丈夫だろうか。ところが、携帯も固定電話も通じない。携帯のメールも使えない。ここに至って初めて、非常事態のときは、食料や水もさることながら、欲しい情報が得られないことに最も辛くなる、と誰かが言っていたことを初めて理解する。
幸い、自宅に歩いて帰ることができた。
家族も全員戻ってきた。
私たちは幸運だったのだ。
家族や友人に宛てたメールで最も多く使ったのは「無事か」という言葉だ。
無事ということがどれほど有難いことなのか、
今もテレビで放映されている悲惨な状況に愕然としながらそう思う。