先週、従兄から手紙が届いた。
従兄の父、私からすると父の長兄にあたる伯父は、昭和18年10月13日に上海で戦病死している。その伯父の遺影が、靖国神社の境内にある「遊就館」に掲揚されたらしい。写真でしか知らない伯父だが、靖国神社への参拝を兼ねて、その遺影を見に行こうと決めた。
直ぐにチャンスはやってきて、今日、市ヶ谷にある取引先を訪ねた後、靖国神社まで足を伸ばすことができた。久し振りの参拝を終え、遊就館と名付けられた資料館に向かう。ガラス張りの建物に入ると、先ず、ゼロ戦の勇姿が目に入った。
不謹慎だが、一瞬、胸が躍った。
子供の頃、ゼロ戦や隼、紫電改といった戦闘機を主人公にした戦争漫画をむさぼり読んだ記憶がある。
振り返ると、高射砲が展示されていた。
遠目には分からなかったが、近くに寄ると、アメリカ軍の銃撃跡が無残に残り、この高射砲を操っていた兵隊さんはどうなったんだろう、と思わず考え込んでしまった。
その後、戦没者の遺影が掲揚されている展示室へと向かった。
多くの遺影が掲揚されていた。
言うまでもなく、生きておられるときに撮影された写真で、私の伯父と同様、奥さんや子供たちを残して出征し、異国の地で亡くなられた方々なのだろう。いやいや、中には広島で亡くなった可愛らしい少女の遺影まである。何と、戦争とは悲しいものか。
伯父の遺影とも向き合った。
にこやかに微笑む伯父がいた。どこから見ても温厚そうで、知性に溢れる紳士だ。好んで人を傷付けることなど絶対にしない人であったに違いない。そんな人でも戦争に駆り出されるのだろうか。息を引き取るとき、最後に何を思われたのだろうか。考えれば考えるほど切なくなって、その場を後にした。
何気なく入った展示室には、人間魚雷「回天」が展示されていた。
説明を読むと、先端部分に爆薬が、その後ろ、ちょうど中央部分に兵士が座って操縦するスペースがある。実際に回天を操り、回天とともに最期を迎えた兵士のことを思った。そして再び例えようのない切なさを味わった。
遊就館には兵士たちの遺書や、家族に宛てた手紙や葉書も展示されていた。どれもこれも、妻や子供、両親を気遣うものばかりで、その心情を思うと、途中で読めなくなってしまった。この優しい人柄と、戦場の殺伐とした風景はどう考えても調和しない。日本の兵士だけがそうだったのではなく、日本が戦った米英の兵士たちも、同じように良き父であり、頼りになる夫であったに違いない。
展示室の片隅に懐中時計が展示されていた。
既に時を刻むことを止めている時計だが、私の伯父も、その他大勢の戦没者の人たちも、みんな人生の途中で時間が止まってしまったのだ。そして、その何倍もの人たちが涙を流し、今も癒えない傷を抱えておられるのだろう。戦争とは本当にむごいものだと思った。
合掌。



