通貨が壊れるとき(ロシア)2 | 香港IFA玉利の海外投資夜話

通貨が壊れるとき(ロシア)2

ロシアはデフォルトの
一ヶ月前の1998年の7月に
IMF、世界銀行や日本政府などから
総額226億ドルにも上る緊急支援を
とりつけてルーブルを買い支えたが、

短期国債の償還が重なったために
利払い、償還を含む国債費が
ついに税収を上回ってしまった。

危機を察知した
国際資本の流出も続いて、
国債価格は暴落、
利回りはなんと170%に達した。

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1998年8月17日に
ロシアが採った具体的措置は、

1.民間の対外債務の支払いを90日間猶予する(モラトリアム)
2.ルーブルの変動幅を従来のUSD1=6.2ルーブルの上下15%から、USD1=6~9.5ルーブルへ拡大(ルーブル切り下げ)
3.1999年末までに償還期限のくる短期国債を長期国債に強制的に乗り換えさせる(デフォルト)
4.海外居住者による短期的なルーブル資産への投資を禁止する

というものである。

この実質的なデフォルト宣言後、
国内銀行は営業停止となり、預金封鎖がおこなわれ、
預けていた資産は国に没収されることになった。

こうしたことは銀行の門を閉ざしたまま

粛々とおこなわれロシア国民は自分の資産が
奪われてゆくのをただ見ているしかなかった。

タンス預金などでわずかに残った
ルーブルの価値も地に落ち、
国民の生活は窮乏したのは言うまでもない。

一方で利回りの高い短期国債が次々と
発行され始めた時点で危険を察知して手持ちの
金融資産を予めドル(外貨)に変えていた人たちもいた。

そうした人々はその後、
ルーブル下落とともに大きく値下がりした
不動産を次々と入手してその後に訪れた
ロシア経済の復活とともに資産額を
大きく増やしたという。

資産を海外に分散保有しておく「場所の分散」

そして、

複数通貨に分けて持っておく「通貨の分散」

が国家の金融危機から
自分の資産を防衛するだけでなく、
その後の復興を足がかりに

なるということを如実に表している
事例だといえるだろう。

デフォルトを経たロシアは、
銀行決済システムの機能不全などの原因で
生産活動が落ち込み一時的に失業率が上昇し、
雇用環境が悪化したが、

1999年からは切り下がったルーブルと
主要な輸出品である原油価格の高騰などで
輸出産業主導急速な復活を遂げてゆく。

為替政策的にもロシア政府が
ドルとルーブルが連動するように為替介入を始め、
ユーロとも為替が連動するように通貨バスケット制を
導入することでルーブルの為替安定化を図った。

これは海外の投資家に
ロシア投資に対する安心感を与えた。

さらに2000年に就任した
プーチン大統領がおこなった、

・所得税、法人税、付加価値税などの税制改革
・産業構造の多様化
・土地売買の自由化

などにより
海外からの投資が完全に戻り、
その後10年近くにわたり
年率5%の経済成長を遂げたのである。


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