4月の猛者たち〜The April Dogs
4月12日は慌ただしい日だった。
正午の便で上海から日本へフライト、
成田空港内で今回の「海外資産運用攻略ツアー」
に参加するT氏、S氏と待ち合わせをする。
3時間のフライトだが時差が1時間あるので、
日本に到着するのは16:00である。
我々が搭乗する便は18:30発。
上海からの便に少しの
遅れがあってもならないスケジュール。
軽い緊張の中、時間通りに到着。
待ち合わせもスムーズにゆき、
あとは搭乗のアナウンスを待つばかり。。
とそのとき、
目の前に現れたのはアライアンサー天風氏と
某秘密クラブメンバーのレイナさん。
13日と15日に香港で合流する予定の二人だが、
まさか同じ便でのフライトだとは思わなかった。
23:00に香港着。
別の便で香港入りし、
空港内で待ち合わせをしていた
Yさんとも上手く合流して4人でタクシーに
乗り込みそれぞれの宿泊場所である
チムサチョイのホテル・ゲストハウスに向かう。
翌13日、 8:45AMにHSBCの支店に集合。
12日の昼のうちに香港入りしていた、
石川県から参加のH氏、U氏、
そしてサポートスタッフのはお、画伯と合流。
HSBC香港の口座開設サポート中、
別の顧客からの相談が入り、応対する私。
そこに船原さん、天風さんが相次いで到着。
2人はICチップ入りカードが届いてから、
しばらく放ったらかしにしていたために
ロックされてしまっている。
後からどうやって片付けたか
覚えていられないほど次々と発生する
仕事を、私は「無の境地」で切り抜ける。
HSBC香港の口座開設が終わり、
総勢11人で中国のシンセンへ。
中国銀行での口座開設と定期預金設定。
現在、定期預金利率は5年物で4.75%である。
人民元は2005年に米ドルとの固定相場制から
一日につき一定幅までの変動を許容する
「管理フロート制」
に移行してから実に30%以上も切り上がっている。
高金利の上に他通貨に対して上昇する通貨は珍しい。
1970年代の日本円がちょうど同じ状態だった。
列島改造、オイルショック、狂乱物価。
インフレが猛威を振るい、
国内における円の価値は下がる一方、
だから高い金利をつけて付加価値をつけて
やらなければならない。
当時はゆうちょでも5~7%/年の金利は普通だった。
一方で、当時1ドル=360円だった為替レートは
308円へと一気20%も切り上がった。
その後、こんにちまでに円がどうなったかは
ここで改めて語る必要もないだろう。
当時のアメリカ人は手持ちのドルを
日本円に替えて定期預金でも組んでおくべきだった、
ということは間違いがない。
利息と為替のダブルゲイン。
人民元が日本円と同じ運命を
たどるかどうかはわからない。
だがその希有な
機会を逃すまいと鷹の目で狙い、
そして行動する。
こうした人々が自分の人生を
自らの手で切り拓くのだ。
>>>玉利将彦のメール講座【国境なき投資戦略】
>>>>内容に満足されたらこちらをクリック!
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成田空港内で今回の「海外資産運用攻略ツアー」
に参加するT氏、S氏と待ち合わせをする。
3時間のフライトだが時差が1時間あるので、
日本に到着するのは16:00である。
我々が搭乗する便は18:30発。
上海からの便に少しの
遅れがあってもならないスケジュール。
軽い緊張の中、時間通りに到着。
待ち合わせもスムーズにゆき、
あとは搭乗のアナウンスを待つばかり。。
とそのとき、
目の前に現れたのはアライアンサー天風氏と
某秘密クラブメンバーのレイナさん。
13日と15日に香港で合流する予定の二人だが、
まさか同じ便でのフライトだとは思わなかった。
23:00に香港着。
別の便で香港入りし、
空港内で待ち合わせをしていた
Yさんとも上手く合流して4人でタクシーに
乗り込みそれぞれの宿泊場所である
チムサチョイのホテル・ゲストハウスに向かう。
翌13日、 8:45AMにHSBCの支店に集合。
12日の昼のうちに香港入りしていた、
石川県から参加のH氏、U氏、
そしてサポートスタッフのはお、画伯と合流。
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別の顧客からの相談が入り、応対する私。
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2人はICチップ入りカードが届いてから、
しばらく放ったらかしにしていたために
ロックされてしまっている。
後からどうやって片付けたか
覚えていられないほど次々と発生する
仕事を、私は「無の境地」で切り抜ける。
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人民元は2005年に米ドルとの固定相場制から
一日につき一定幅までの変動を許容する
「管理フロート制」
に移行してから実に30%以上も切り上がっている。
高金利の上に他通貨に対して上昇する通貨は珍しい。
1970年代の日本円がちょうど同じ状態だった。
列島改造、オイルショック、狂乱物価。
インフレが猛威を振るい、
国内における円の価値は下がる一方、
だから高い金利をつけて付加価値をつけて
やらなければならない。
当時はゆうちょでも5~7%/年の金利は普通だった。
一方で、当時1ドル=360円だった為替レートは
308円へと一気20%も切り上がった。
その後、こんにちまでに円がどうなったかは
ここで改めて語る必要もないだろう。
当時のアメリカ人は手持ちのドルを
日本円に替えて定期預金でも組んでおくべきだった、
ということは間違いがない。
利息と為替のダブルゲイン。
人民元が日本円と同じ運命を
たどるかどうかはわからない。
だがその希有な
機会を逃すまいと鷹の目で狙い、
そして行動する。
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自らの手で切り拓くのだ。
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