仏教には、無財の七施という教えがあるそうです。
お金や特別なものがなくてもできる、七つの思いやりです。
不登校の子をもつ親の毎日にも、
どこか重なるところがある気がしています。
眼施(げんせ)
やさしいまなざしを向けること。
「どうして?」と問いただす目ではなく、
ただ見守る目。
和顔施(わげんせ)
おだやかな顔でいること。
心配でいっぱいでも、
ふと見せる笑顔が、子どもの安心になることもあります。
言辞施(ごんじせ)
思いやりのある言葉。
励ましじゃなくてもいい。
「そっか」「話してくれてありがとう」そんな一言。
身施(しんせ)
体を使って助けること。
一緒にごはんを食べたり、
買い物に行ったり、
同じ時間を過ごすこと。
心施(しんせ)
相手を思う気持ち。
理解できないことがあっても、
「この子なりに頑張っているのかもしれない」と想像する心。
床座施(しょうざせ)
安心して座れる場所をつくること。
家の中に、
ほっとできる空気があること。
房舎施(ぼうしゃせ)
雨風をしのげる居場所を与えること。
学校に行っていなくても、
「ここにいていいよ」と言える家。
でも正直に言うと、
私は全部できていたわけではありません。
この言葉も最近知りました。
やさしいまなざしで見られない日もありました。笑顔なんて、とても出てこない日もありました。
言葉がきつくなったこともあるし、
不安でいっぱいで、子どもの気持ちより「これからどうなるの?」と自分の気持ちに飲み込まれることもありました。
それでも今、思います。
完璧にできなくても、
それでも関わり続けてきた。
それだけで、
もう十分なのかもしれないと。
関わり続けていることは、愛
そのものです。
今、息子は休学しています。
それでも生きている。
バイトにも行けている。
少し前の私から見たら、
それはもう、はなまる
です。
無財の七施は、
完璧にできる人のための教えではなくて、迷いながら関わっている私たちのための言葉なのかもしれません。
できる日もあれば、できない日もある。
それでもまた、できるところから。
あわてず、
あせらず、
あきらめず。
今日も、できる関わりをひとつだけ。
生きていてくれるだけで、はなまる
。
できない日があっても、
また明日、できるところから。