雨の午後はだっきーのお誘いで藝大6ホールへ
4時間以上にわたる重厚長大な高級学芸会(笑)“楽理科研究演奏会”に付き合う
演奏科ではないのでそれなりの演奏だったが(中には優れた演奏あり)、鵺のような楽理科の幅広い企画と詳細なプログラムはさすがだった
楽理科は1学年23人だそうだ
 
 しかし藝大は恵まれているな
6ホールは(奏楽堂があるにも関わらず)桐朋の333教室よりずっと広て天井も高く、ロビーには立派なモニターまでついている(スタインウェイはピンキリで今やどこにでも転がっているが)
 
いきなり民族楽器の演奏が続く
カザフの二弦楽器ドンブラは初めて聴いたが、確かに東欧の香りがした(詳しくはないので分からないが、雰囲気が)中でケルティッシュのような曲もあった
 
中国琵琶の演奏は基本的にトゥッティなことに気付いた
2曲目の「茉莉花」はどこかで聴いたことがあると思ったら、チャン・イーモウ監督の「ジャスミンの花開く」のメインテーマだった
 
対照的にケルト音楽ではイーリアン・パイプスもひとりひとり皆異なった音を出す視覚的にも面白かった
 
西洋音楽では、ピアノ独奏はさすがに子供の頃から慣れ親しんでいるであろうこともあってかかなりの水準にあった
ドビュッシーの「喜びの島」とフォーレの「夜想曲」の二人は良かった
また、フンメルのフルート・ソナタも柔らかな音色で好感が持てた
 
ハープ、フルート、ホルンによる「カルメン間奏曲」は楽器構成は面白かったが,残念ながら演奏は今ひとつだった
 
合唱はゲストも加わっていたようだが、1ヶ月で仕上げたにしてはなかなかのもの
だっきーは指揮をよく見ていた
 
だっきーのアンサンブル「よろづ臥待月」は今回はピアノ、尺八に笙と韓国の両面太鼓チャングが加わったもの
だっきーは終演後チャングを加えてどうだったかを気にしていたが、彼の作編曲はなかなかのもの、ピアノの音も澄んでいた
 
吹奏楽はホルストの第1組曲の第2楽章が気に入ったが、オーケストラともども演奏には粗が目立った
特にオケはパーカッションのバランスが悪く、1にスネアドラム、2にシンバルはあの小ホールであの編成で何を考えているのかというような大音量だった
 
だっきーのペット、「美しく青きドナウ」でやらかした(笑)
 
なんやかんや言って結構楽しんだ午後だった
 
 
 
 
 
 
 
 

 

フランスを拠点に世界各地でプロジェクトを進め、現在幅広い注目を集める気鋭の建築家田根剛の田根の密度の高いこれまでの活動と、建築は記憶を通じていかに未来をつくりうるかという挑戦を紹介した個展


「Archaeology of the Future―Digging & Building」と題して、場所をめぐる記憶を発掘し、掘り下げ、飛躍させる手法と、そこから生み出された〈エストニア国立博物館〉、〈古墳スタジアム〉といった代表作や最新プロジェクトを大型の模型や映像などによって体感的に展示していた

https://www.operacity.jp/ag/exh214/

 

「田根にとって建築とは、膨大な情報をひとつの具体的な建物に落とし込む作業でもある。場所という環境から読み取られた情報に建築という形を与え、再び環境の一部へと戻す。この循環的なプロセスに田根の建築の特色があると言える。」(集英社新書プラスインタビュー)


田根剛は、フランスを拠点に世界各地でプロジェクトを進め、現在幅広い注目を集める気鋭の建築家

20代の若さでドレル・ゴットメ・田根(DGT.)として〈エストニア国立博物館〉の国際設計競技に勝利し、選出から約10年の歳月を経た2016年秋に同プロジェクトが竣工を迎えるなど、国内外の注目がさらに高まっている

また、2012年に行われた新国立競技場基本構想国際デザイン競技(ザハ・ハディド案選出時)に参加し、11人のファイナリストに選ばれた〈古墳スタジアム〉は幅広い層に知られるきっかけとなった

2017年のDGT.解散後は40人ほどの事務所 Atelier Tsuyoshi Tane Architects をパリに設立し、活動の場をさらに広げている

 

 

【参考】

『記憶』は未来をつくる『原動力』:建築家・田根剛インタビュー 長井美暁(新潮社フォーサイト)

https://www.huffingtonpost.jp/foresight/tsuyoshi-tane_a_23600683/
https://www.huffingtonpost.jp/foresight/tsuyoshi-tane2_a_23600684/

 

「その場所には何があったのか―― 場所の記憶を掘り起こし、未来につなぐ建築」(集英社新書プラス)

https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/tane/992

https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/tane/993

https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/tane/995

 

「日本の若手建築家」(石川文化振興財団)

https://sites.google.com/a/ishikawafoundation.org/architect/home/vol-12-tian-gen-gang-qian-bian

https://sites.google.com/a/ishikawafoundation.org/architect/home/vol-13-tian-gen-gang-hou-bian

 

 

 

メンバー向けの解説「TALK TO MEMBERS」を含め3回観たが、やはりキュレーターの野村さんの解説で大きく理解が深まり、タイトルの意味の「過去に問うて未来をつくる」ということが良く分かった(写真撮影可、断りなき引用は展覧会ホームページから)

オペラシティ・アートギャラリーで建築展をやるのは4年振りだそうだが、旬の建築家として構想は6年間温めてきたという

 

田根は徹底したリサーチを形にしていく

 

 

最初の部屋には壁にたくさんのツールが貼られている

すべては記憶を発掘するめ

12のキーワード、MULTIPLICATION はいかにもネット世代でセンスが良い

彼はこうしていつも自分が求めるものを集め、脈絡を作って行く

収集する時間は半端ではない

この部屋の照明も田根の発案でLEDに変え、可動式だそうだ

 


 

 
《 エストニアの国立博物館 》
 
まずは映像から始まる
なんら説明はない
 

 

ホームページによれば「2006年、エストニア文化庁は同国の歴史を展観する新しい国立博物館の設計競技の結果を発表しました。108案の中から選ばれたのはDorell.Ghotmeh.Tane/Architects、それぞれ別の建築事務所で働いていた若者3人が設計競技応募のために結成した建築家グループでした。敷地はソ連時代の旧軍用施設。彼らの応募案は、軍用滑走路の跡地と建物を連続させることで、大地に刻まれた歴史を建築に引き継がせるものでした。
実績のない若手建築家に国家的なプロジェクトを託すこと、占領時代の「負の遺産」を想起させる設計案を採択したことで賛否両論が巻き起こりましたが、エストニアは「Memory Field」と題されたこの案を是として支持しました。「場所の記憶」から建築を考えるという、以降一貫して田根が持ち続けるテーマは、このときから始まったのです。」
 
当時まだ26歳、3人で自分の事務所を持っていなくても応募できるコンペを探したという
博物館は独立の契約で、しかも利用したかつての滑走路は提示された場所とは異なっていたという
 
次の部屋はエストニアの博物館を含めた建築物をその模型、モジュール、写真等で表現している
 
 
その後「一夜にして世界的な注目を集めることになった26歳の田根は、仲間とともに事務所を設立し、〈エストニア国立博物館〉の実施設計に取りかかるとともにさまざまなプロジェクトを手掛けるようになります。その仕事は建築設計はもとより、舞台美術、展覧会や国際見本市の会場デザイン、既存の建築のリノベーションなど多岐にわたりました。この時期には、東京オペラシティアートギャラリーの「新井純一の布 伝統と創生」展 会場デザインで、当館とも協働しています。」
 
 
《 「新国立競技場」デザインコンペ案 》 
 
建築の分野ではすでに知られる存在となっていた田根がさらに注目を集めたのは、2012年の「新国際競技場」国際デザイン・コンクールだ
11名のファイナリストに選出された「古墳スタジアム」は、後にさまざまな議論を呼んだが、このプロジェクトに果敢に挑んだ田根の姿勢や、明解なアイデアとフォルムで人々の心に訴えかけ、幅広い層に知られることとなった
 
競技場コンペは参加条件が厳しく、自分個人では応募できなかったため、フランスの十数カ所の事務所を次々と当たったそうだ
田根に対する評価が示されたわけだ
 
しかし、彼は建築家にはママあることだが、人にやってもらっているという意識がないという
日本では無垢が尊ばれるというところもある
 
彼はシンボリックなものをダイレクトに伝えようとする
彼の「古墳」は決して権力の象徴ではなく、あくまでもその土地の「いにしえ」を掘り起こしたものだった
 
コンペは政治的に強引に進められた感があるが、彼の案は人気があった
 
また、彼は元サッカー選手で、当時の同僚には何人もの有名なJリーガーがいたそうだ
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/tane/993 (集英社新書プラスインタビュー)
 
 
 
《 大磯の家 》
 
「大磯の家」は居間は掘った土でを練った土壁の竪穴式住居を思わせるような造りだが、寝間は高床式住居のような2階にある
田根は設計を始めるにあたって、大磯の歴史を考古学的な範囲にまで広げてリサーチを行った
その結果、大磯には5千年前の後期縄文時代から人間が居住しており、その後も古墳時代、奈良・平安時代、鎌倉時代を経て、近世から現代に至るまで人が住み続けていることが遺構などから確認できたという
そこから得たものを実際の設計プロセスに反映させた結果として、この土地においては竪穴式住居が居心地の良いものだと結論付けたわけだ
それに対して寝間については通風、温度等が勘案され、高床式のような造りとなっている
 
「2014年には初めて設計した住宅〈A House for Oiso〉、2018年には〈Todoroki House in Valley〉が竣工しました。ふたつの住宅に共通しているのは、田根がキャリアの 最初期から持ち続けている「場所の記憶」についての探求と、それを建築というかたちあるものへと展開させる手法です。「場所」とは固有であり、そこには古代から現代にいたるまでの記憶 ─ 個人的なのものであれ社会的なものであれ ─ が存在すること、それらを丹念に発掘/分類/調査/再構築することで、記憶を未来につなげる役割を果たそうとするのが田根の建築です。その手法はまさにArchaeological(考古学的)なアプローチといえるでしょう。〈エストニア国立博物館〉の竣工を機にAtelier Tsuyoshi Tane Architectsとしてあらたなスタートを切った田根の、さらなる飛躍が期待されます。」
 
 
長くなるが良くわかるので雑誌のインタビューから引用する(集英社新書プラスインタビュー)
 
「今積極的に取り組んでいるのは、設計における考古学的なアプローチです。ある場所に堆積した時間を考古学的に掘り下げていく。すると今まで知らなかった世界の断片がそこからどんどん出てくるわけです。それは敷地をただ見ているだけでは絶対に得られない情報です。建物のコンセプトを考える段階でこの考古学的なリサーチをかなり徹底的に行います。結果として、ある場所から過去に向かう考古学と、同じ場所から未来をつくる建築が繋がることができるのではないか。これが今、僕たちが取り組んでいる作業です」
 

田根がこの住宅を「A House for Oiso」と命名したのには深い意味がある。「大磯にある住宅」(A House in Oiso)ではなく、「大磯のための住宅」、敢えてその表現にこだわったのは、住宅という私的な建築を公共性へと繋ぐことを意図したからだという

 

「日本の住宅の場合は、個人の施主と建築家の共同作業でほとんどすべてが成立してしまいます。建築家の考えと施主の要望のどちらを優先させるかはケースバイケースですが、いずれにせよ個人の発想や趣味がそのまま建物に反映されてしまいます。これでは住宅を通じて町をつくることには繋がりません。例えば建蔽率さえ守れば、敷地の中で建物のない部分の土地は前庭にしても、駐車場にしても、あるいはバックヤードにしても自由です。町の景観の良さは統一性の問題なので、自分の建物でどんなに景観をよくしようと思って設計しても、隣の建物が変わると町がどんどんバラバラになってしまうわけです。そこで大礒の場合は、建蔽率を考える際に、建物以外の部分はすべて庭にして、大磯の森に返すというコンセプトを決めました」

 

田根が挙げるもうひとつの理由は、大都市圏での建設ラッシュだ

土地の価値は生み出す富の大きさで決まり、建築には富を最大化することが求められる

建設業は拡大再生産を続け、そのスピードは加速している

 

「日本では建築家には建物のデザインばかりが求められますが、最も重要なプロジェクトが生まれる前の構想段階に関わったり、計画全体を議論する時間の余裕は与えられていません。今の社会では建築は必要とされず、建設業が経済性を優先し、土地を次々と更地にして前に進んで行くという感じがします。僕は20歳で日本を出てからの十数年はどっぷりとヨーロッパでした。それがこの 4、5年は日本に帰ってくる頻度が増えて、帰ってくる度に何かおかしいと感じています。このままのやり方ではまずいけれど、これを変えるのは不可能かもしれない。そう諦めそうになるのですが、僕らの世代が諦めたら本当に駄目になるので、諦めてはいけない、闘い続けたい思っています」

https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/tane/992

 

 
 
 
《 等々力の家 》
 
「等々力の家」は、ウェットな下とドライな上の組み合わせの土地にどういうものがあっているかを徹底的にリサーチした結果生まれたものである
 
 

「たとえば今年、世田谷区の等々力に「Todoroki House in Valley」という住宅を作りました。そのときの依頼は、基本的に「等々力に家を作ってほしい」と、ただそれだけです。でも、物事には意味がある。そこで「等々力」という意味を解体していくと、ここには渓谷があり、湧き水があり、という地形や地質学的な特徴が見えてくる。そこで、世界各地の渓谷の環境を調べるわけです。

ジメジメした環境ゆえに独自の植生があり、多摩川が近いので上空にいつも風が吹いている。木がずっと揺れている光景が印象的でした。それで今度は、いろんな湿地帯や、拡大解釈で乾燥地帯も調べる。……するともう、止まらないんです(笑)。」(CINRA.NET)

 
彼自身の言葉による説明
 
 
会場には様々なアイコンが並べられていたが、それらを抽象的に立体化していくのが彼のやり方だ
また、模型の質感は人にとっての触感だという
 
日本古来のものとエキゾチックなものの組み合わせも特徴だ
 
 
 

《 弘前市芸術文化施設(仮) 》

 

青森の城下町・弘前に2020年度を目指し、現代美術館「弘前市芸術文化施設(仮)」の建設が進められている

 

明治時代のレンガの建物「吉野町煉瓦倉庫」を、現代美術のクリエイティブ・ハブへと生まれ変わらせるプロジェクトである

元々はリンゴの果汁からシードルをつくる工場だったが、耐震構造化のためにレンガを生かしつつ鉄骨を通していくことになっている

 

 
 
《 10 kyoto 》

 

廃棄物再生工場を京都発祥のショップの複合施設にするプロジェクト

そのコンセプト通り、廃棄物を集めて作るファサードは廃材から寄木を作って再生している

 

映像がその製作過程を分かりやすく説明していた

そばには金だわしの模型があった

 

 

 

また、田根は建築だけでなく様々な展覧会や店舗のディスプレイや舞台美術を手掛けている

ここでは短いながらも密度の高い2004年以降100作品以上の田根の全活動を、30mのコリドールを使ったタイムライン(年表)として総鑑していた

 

中でもシチズンとは長い付き合いだそうで、時計の地金を用いたディスプレイなどがあり、映像で紹介されたその移ろいも面白かった

 

 

 

また千聡やとらや(パリ店のファサードなど)についても様々なものを手がけていた

 

 

建築展は、話題になっている間に、「Social Engaged or Socialized」とでもいうべき活動として、メディアにとっても便利なのタイミングとして開催した

人も物も消費しつくすという世相への批判といった面もあるという

 

 

学生時代に法学部に入ったのを後悔してせっせと工学部の都市工学や建築の講義に通い、退職後も建築デザインを学んだがものにならなかった人間にとっては、やはり建築家はいいなとなんともため息が出るようだった

 

模型や映像で分かりやすくなっていたうえ、企画したキュレーターによる解説を聞き、3回も通い、文献も調べたため、近年になく理解を深た展覧会だった

 

 

 

 

 
マハン・エスファハニ(チェンバロ)
川瀬賢太郎(指揮)
日本センチュリー交響楽団
 
スティーヴ・ライヒ/ピアノ・フェイズ
マイケル・ナイマン/チェンバロ協奏曲
(アンコール H.パーセル/グラウンド ハ短調)
J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲
(アンコール J.S.バッハ/あなたがそばにいるなら BWV508)
 
先週真夜中にメッセージを受け取った
「演奏スゴイ、曲(ナイマン)がカッコいい、聴くべし」
大阪での定期演奏会にゲスト参加の演奏家から
結局ご招待いただくことになった
 
ライヒのピアノ・フェイズはその前の週末、小ホールでの若林かをりのレク&デモで「予習」してあったので楽しく聴けたが、一昨年ケルンでのエスファハニ自身のコンサートで観客が騒然となり演奏中止に追い込まれ、ライヒがむしろそれを喜んだというエピソードもむべなるかなというミニマル・ミュージックの典型のような曲
録音との「共演」となる演奏は一見単純だが、微細なズレも許されない
エスファハニは正確にテンポを刻んでいった
 
「ミニマル・ミュージック」の名付け親のナイマンの曲はこの夜最も迫力があった
ナイマンというと映画音楽が頭に浮かんでしまうのだが、それとは全く異なった世界
シンコペーションが多用されたジャジーな曲だが、第3部のカデンツァ以降は圧巻
腰を浮かせて息をもつかせぬ演奏だった
 
パーセルはいかにもチェンバロらしい曲で軽やかな演奏
左手は自らの通奏低音のごとく、右手の旋律とは全く異なった音を聴かせた
 
後半のゴルトベルク変奏曲は長い間グールドの演奏(特に55年盤)に親しんで来たが、それを批判するエステファニにの演奏は、アゴーギクの強いものだった
テンポをいじりまくっていて、アリアは止まってしまうのではないかと思うほどゆっくりだった(彼にはアリアについての独自の解釈があり、装飾を加えているらしいが)
端正な変奏、一気呵成な変奏と目まぐるしく変わっていったが、グールドと同様、これが新たな現代の解釈なのだと納得した
この曲にはやはりチェンバロが合っているかもしれない
スコアは一応自分でめくっていた
 
アンコールもバッハで締めくくった