心臓がばくばくし過ぎて(わたしの)呼吸も浅かった為か具合が悪くなってしまったのだ。
●初の出産立ち会い。
6日の午前中に妻は入院した。促進剤を投与して上手に出産する為だ。日が7日に変わる頃、妻は今民を抱えながらスクワットなどの療法をやりながら7日の朝6時に破水した。
僕が電話で起こされたのが朝9時頃。妻はもう分娩室に入り苦しくもがいているので懸命に腰やお尻を押した。
徐々に子宮口も開いてきて、10:15分にいきみ始め、この世の地獄から聞こえてくるような叫び声を上げながら10:27分、僕と妻の愛の結晶はこの世に誕生した。
この辺りで僕の体にも変化が。
定呼吸と急な心拍数の上昇によりぶっ倒れそうになったのだが、この歴史的な瞬間に倒れては一生語り継がれるだろうと考えたわたしはへその緒と妻の安否を確認してからワンフロア下のトイレに篭った。
こういう時の個室ってのは天国だ。
便座に座りながら、そしてゆっくりと脳に酸素が運ばれた私は先ほど見た出産の光景を思い出してたらおしっこが出なくなってしまった。
前世で記憶が顕在意識の壁を破って体に現れたのだろう。それはいいとして、女の人はすごいと思った。「我が子のためにどんな痛みにも耐え抜く」と言い放った妻、いや世の中の女の人にリスペクト。
私は「出産」という事を体験して、「愛」を学んだ。
※「愛」と「LOVE」を混同されている方は、いま一度、エーリッヒフロム著・「愛するということ」を一読する事をお勧めする。
この時、10ヶ月間のあいだ妻のお腹の中で暴れまわっていた暴君と初対面したのだが、不思議なことに他人の赤ちゃんを見ても抱いても可愛いと思うことよりも怖いと思う気持ちが強かった僕の心に、小さな薪ストーブが灯されたかのような温かい気持ちになった。
上腕三頭筋の筋肉痛が許せば、いつまでも抱っこしてたくなるこの気持ちが不思議だ。そして、また明日我が子に会いにゆくのが楽しみなのだ。
実の父が、私の兄弟が小さい頃にカセットテープレコーダーに音声を録音していたことは、昔ここに書いたと思うが、それを真似て、リニアpcmレコーダーに出産の一部始終を録音した。
記録と記憶のズレを寸分の狂いもなく合致させるのが動画だが、記録された記憶を華やかにするのは音声録音だと悟ったからだ。
まだ記憶に新しいのは、妻と妻のお父さんが産後に握手を交わしたことだった。
難しい話はこのくらいにしておいて、怖かったけど、出産立ち会いをして良かった。人間ってすごいと思った。
僕は、何もないけど、全て持っている幸せ者です。
感謝してます。
デコ毛は妻譲り(笑)
感謝してます