ショットバー ブートレッガー SENGAWA BAR HOPPIN' -7ページ目

ショットバー ブートレッガー SENGAWA BAR HOPPIN'

BAR HOPPIN'とは・・・・バー巡りのコト
あなたは今夜、どこで呑みますか?
ブートレッガーは仙川の南の端ッコのショットバーです
ブートの酒番が、あんなコトやこんなコトをブログにアップしてますw

「ノルウェーとスコットランドの決戦」

1263年10月2日、スコットランド王アレグザンダー3世は「ラーグスの戦い」で「決戦」を期して、ノルウェー王ホーコン4世とマン島の王マグヌス3世にクライド湾口で会敵します。ここを抜かれるとグラスゴーが丸裸にされ、100年前のレンフルーの悪夢が甦ります。スコットランドはこの戦いに勝利します。戦線を下げ、軍の立て直しを計ろうとしたホーコン4世が12月15日に病死し、腰の引けまくった息子のマグヌス6世は継戦を諦め、1266年のパース条約(Treaty of perth)で頭金4000マルクと、毎年100マルクの賠償金を支払う事を約定します。そして、オークニー諸島とシェトランド諸島とのバーターでヘブリディーズ諸島とマン島からノルウェーは手を引き、スコットランドに宗主権がある事が両国によって確認されます。

スコットランドは長年の懸案だった、ノルウェーの横槍の排除に“概ね”成功したのです。


ソマーレッドの曾孫、アンガス・モウ・マクドナルド(Angus Mor MacDonald 1248-94or98)は当初ノルウェー側で参戦しましたが、途中からスコットランド側に寝返り、ノルウェー追討に貢献しました。

アンガス・モウに対してスコットランドは今後の帰順を条件にアイラ島を中心としたヘブリディーズ諸島の領地を安堵しました。

(但し、マン島領有は叶いませんでした。パース条約から9年後、1275年10月8日のロナルズウェイ (Ronaldsway)の戦いで、ノルウェーから見捨てられたマグヌス3世の息子のゴドレッド6世が敗死する迄、マン島に対するスコットランドの支配は実効されませんでした)

帰順の証にアンガス・モウの嗣子アレグザンダー・オグ(Alexander Og1260-1308)は1264年から数年間、人質に差し出されています。

アンガス・モウはアイラ島北部のフィンラガン(Finlaggan)で行政を執り仕切ります。この時、公式文書に捺印する為の印章(ハンコ)こそが、「大印章」(The Great Seal of Ialay)です。

<つづく>

アイラ・ミストのラベルとして使用されているグレートシールに登場するソマーレッドとその子孫について物語します。

まず、ソマーレッドって誰?って話ですが、ザックリ云えば12世紀に実在したヴァイキングです。アイラ島民にとっては「オラが島の一番ハブリの良かった時代の立役者」といったところです。山梨の土産品に武田菱が欠かせないのと同様、アイラ島に彼は欠かせません。長ったらしい文章なので分割しました。お付き合いの程を・・・・・


「ソマーレッドの挙兵」

1098年以降のブリテン島嶼部、なかんずくアイラ島を含む全ヘブリディーズ諸島はヴァイキングを使ってブイブイいわせていたノルウェー王国の影響下にありました。スコットランド王国は隣接するイングランド王国との国境線確定に傾注せざるを得ず島嶼部に対する影響力は極めて脆弱でした

※ブリテン島嶼部=ブリテン本島西方、アイルランド島との間のアイルランド海に浮かぶ数々の島の事。瀬戸内のイメージでOKです。


1153年5月24日スコットランド王デヴィット1世が崩御。御年11歳の少年王マルカム4世が即位。ひと月後の6月29日に「島嶼部及びマン島王国(マン島はノルウェー・ヴァイキングの島嶼部における本拠地、アイルランド海のヘソです)の統治者オラフ1世(OlafⅠ)が亡くなり、息子のゴドレッド2世(GodredⅡ)が跡を継ぎます。


ヘブリディーズ諸島海域は相次ぐ政変で俄かに政治的に不安定な状態になりました。

この期を逃さず、ヘブリディーズ諸島を臨むスコットランド本土南西部のアーガイル(Argyll)地方キンタイア半島(Kintyre)の領主ソマーレッド(Somerled)(1113年~1164年)が挙兵します。


ソマーレッドには1140年にオラフ1世の娘ラアグネイルトが輿入れしており、ゴドレッド2世より自分の息子ダグホール(Dughall)にこそ「島嶼部及びマン島王国」の継承権があると主張した訳です。


1156年1月6日80艘の船団を率いてソマーレッドがゴドレッド2世に海戦を仕掛け勝利し、アイラ島、ジュラ島、マル島などインナー・ヘブリディーズ諸島の領主となります。さらに2年後、“事前にノルウェーにナシを着けといて”再び53艘の船団でゴドレッド2世と会戦しノルウェーに放逐する事に成功します。一時マン島も領有し「島々の王」を名乗ります。


更に挙兵から8年後の1164年、ブリテン島嶼部を平定した余勢をかって、一万五千の兵力でスコットランド軍と首都グラスゴー正面のレンフルー(Renfrew)で激戦を展開します。しかし、ソマーレッドは戦闘の混乱の中で槍傷を足に負った後、暗殺されます。本土進攻反対派で先妻との間の息子、(Gillecallum)が暗殺したとも云われています。その息子も戦死してしまい、部隊は敗走します。


結局ソマーレッドの後継者達(後述する三兄弟)は本家と分家に分れてアイラ島を含むヘブリディーズ諸島などの「遺領」を分割相続しますが、マン島は再びゴドレッド2世の統治下に入ります。

ブリテン島嶼部はスコットランドの云う事を聞かない二つの王国が聯立する事になります。


ソマーレッド自身ノースマン(Norseman, ノルウェー人)とアイルランド系ケルト人(ゲール人)の血を引いています。名前からして古ノルウェー語で「夏の放浪者」(夏場は海賊として出稼ぎに行く人)を意味し、当時のヘブリディーズ諸島がいかにゲール人とノース人の同化の進んだ『ちょっと変わったスコットランドの島々』であったか解ろうと云うものです。


この辺が現在もアイラ島民に『俺達はヨソとは違うンだぞ』的なアイデンティティーを持たせる端緒になったようです。


ただ、スコットランドから見れば自分の家の裏庭でノルウェーの息の掛かったヴァイキング同士が国盗り合戦を繰り広げているんですから、面白いハズがありません。

スコットランドは「島嶼部の領主のコントロール」と「ノルウェーの干渉の完全排除」を目指します

<つづく>

「アイラ・ミスト」(ISLAY MIST<アイラ島の海霧> De Luxe)700ml40%


「アイラ・ミスト」は1992年に設立されたマクダフ社(Macduff international ltd)のボトラーズ・ブランドです。


あの「ヨードチンキな風味」でお馴染みのアイラ・モルトの「ラフロイグ」をキーモルトにスペイサイド・モルト「グレンリベット」の原酒や「グレングラント」等をブレンドし、「取っ付き易いラフロイグ」に仕上げてあります。


オフィシャル・インフォメーションではありませんが、700ml中こんな配合らしいです。

448ml:ラフロイグ

112ml:グレンリヴェット・グレングラント

140ml:グレーンウィスキー


元々このウイスキーはラフロイグ蒸留所が1928年に島の大地主の孫、ジョン・グランビル・モリソン(John Granville Morrison 1906年12月16日-1996年5月25日)氏の21歳の誕生日パーティーの来客もてなし用にブレンドしたウィスキーを復刻したものです。


モリソン氏は1965年には男爵(Lord Margadale)に叙せられました。現在でも男爵家はアイラ島の実に5割近い295平方㎞を保有しています。

(アイラ島は総面積620平方㎞。淡路島ぐらいの大きさです)


「アイラ・ミスト」のラベルにデザインされている印章は、かつてアイラ島の領主が使用していたグレートシール(大印章)です。


アイラ島民にとって、その独自の文化を語る時に欠かす事の出来ない人物、かつてのこの島の領主「ソマーレッド」と三人の息子達が描かれています。

(ソマーレッドとグレートシールには物語があります。後日お伝えします)

SENGAWA BAR HOPPIN'

マクダフ社はスコットランド本土グラスゴーで操業中です。

そこは「ソマーレッド」が志半ばで倒れたレンフルーの戦場跡からわずか数キロ離れたところです。



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