「ノルウェーとスコットランドの決戦」
1263年10月2日、スコットランド王アレグザンダー3世は「ラーグスの戦い」で「決戦」を期して、ノルウェー王ホーコン4世とマン島の王マグヌス3世にクライド湾口で会敵します。ここを抜かれるとグラスゴーが丸裸にされ、100年前のレンフルーの悪夢が甦ります。スコットランドはこの戦いに勝利します。戦線を下げ、軍の立て直しを計ろうとしたホーコン4世が12月15日に病死し、腰の引けまくった息子のマグヌス6世は継戦を諦め、1266年のパース条約(Treaty of perth)で頭金4000マルクと、毎年100マルクの賠償金を支払う事を約定します。そして、オークニー諸島とシェトランド諸島とのバーターでヘブリディーズ諸島とマン島からノルウェーは手を引き、スコットランドに宗主権がある事が両国によって確認されます。
スコットランドは長年の懸案だった、ノルウェーの横槍の排除に“概ね”成功したのです。
ソマーレッドの曾孫、アンガス・モウ・マクドナルド(Angus Mor MacDonald 1248-94or98)は当初ノルウェー側で参戦しましたが、途中からスコットランド側に寝返り、ノルウェー追討に貢献しました。
アンガス・モウに対してスコットランドは今後の帰順を条件にアイラ島を中心としたヘブリディーズ諸島の領地を安堵しました。
(但し、マン島領有は叶いませんでした。パース条約から9年後、1275年10月8日のロナルズウェイ (Ronaldsway)の戦いで、ノルウェーから見捨てられたマグヌス3世の息子のゴドレッド6世が敗死する迄、マン島に対するスコットランドの支配は実効されませんでした)
帰順の証にアンガス・モウの嗣子アレグザンダー・オグ(Alexander Og1260-1308)は1264年から数年間、人質に差し出されています。
アンガス・モウはアイラ島北部のフィンラガン(Finlaggan)で行政を執り仕切ります。この時、公式文書に捺印する為の印章(ハンコ)こそが、「大印章」(The Great Seal of Ialay)です。
<つづく>


