「イングランドとの戦い、その後のソマーレッドの子孫達」
ノルウェーを追い出したスコットランドですが、アレグザンダー3世の死後、王位継承のゴタゴタで腰の弱いトコを曝してしまい、今度はイングランドの内政干渉を招き独立を失いかけます。
最終的に王位はロバート1世(ロバート・ドゥ・ブルース)で落ち着くんでが、「二代目ロード・オブ・アイラ」アレグザンダー・オグが王位継承の正統性に異議を唱えます。かつてスコットランドに人質として差し出され、複雑な国際関係の只中に身を置いた事が災いした様です。イングランドの後ろ盾を貰って叛旗を翻しましたが1306年に返り討ちに遭い2年後の1308年、幽閉先で死亡します。内政の不安を解消したロバート1世は1314年6月24日のバノックバーン(Bannockburn)の戦いでイングランド軍を破りスコットランド独立を達成します。
アレグザンダー・オグの弟、アンガス・オグ(Aonghas Og ?-1329)はスコットランド軍として参陣し、ロバート1世の憶えめでたく、アイラ島をはじめとした従来の領土を安堵され「ロード・オブ・アイラ」三代目となります。加えて、かつてソマーレッドが一族に分割した領地も「加増」されます。
(但し、マン島領有はヤッパリ叶いませんでした。既にこの時マン島はイングランドとの領有権争いの渦中にあり、1333年以降はイングランド寄りの独立王国が成立します。そしてスコットランドにマン島が戻ってくる事は二度とありませんでした)
マン島処分が確定した後の1336年、アンガス・オグの息子ジョン1世は今までの「ロード・オブ・アイラ」に加え「ロード・オブ・ジ・アイルズ」(Lord of the Isles=島々の君主)も名乗ります。ここにおいてソマーレッドの子孫はブリテン諸島でイングランド王室、スコットランド王室に次ぐ強大な領主となりました。
しかし、その統治も長命ではなく1493年、4代目「ロード・オブ・ジ・アイルズ」ジョン・マクドナルド2世(ソマーレッドから数えて10代目のロード・オブ・アイラ)はイングランドと密約を交わし、スコットランド転覆を画策します。ところがこの密約がスコットランドにバレて、逆に「ロード・オブ・ジ・アイルズ」の称号は剥奪され、領土も召し上げられてしまいました。ソマーレッドが大博打に出てから337年、遂にアイラ島の独立性は失われました。
現在は「プリンス・オブ・ウェールズ」チャールズ皇太子が「ロード・オブ・ジ・アイルズ」を兼任しています。
<おしまい>
「大印章」(The Great Seal)
ソマーレッドとオラフ1世の娘の間に出来た三兄弟、ダグホール(Dughall 1145-1192) ラグナル(Raghnall 1148-1207※アンガス・モウの先祖)、アンガス(Aonghus 1150-1210)が軍船に乗船しゴドレッド2世相手に挙兵した「氏族にとって最も大切な時」が図案化されています。
外周に下から時計回りに ‘ドナルドの息子の、アイラ島のアンガス’ (Filii Domnaldi s’ Engus De Yle)とラテン語で刻印されています。軍船の下に描かれているのは9つの波です。これはケルトの古い言い伝えで「9つの波、9番目の波」を表し、この波に乗っているソマーレッドの軍船は「不可侵の軍船=無敵の軍船」である事を伝えています。以降、彼の子孫がアイラ島の領主「ロード・オブ・アイラ」(Lord of Isly)を継承し、アイラ島の独立性は深まっていきます。アンガス・モウは少なくとも1292年7月7日まで「大印章」を使用していた事が判明しています。息子のアンガス・オグは兄を破った(後述)1306年から「大印章」を復刻し、在位中の1329年まで使用しています