さて、遺伝子検査やるか否か。

頭の中では、楽観的なわたし、悲観的なわたし、真面目なわたしや堕落したわたしが、ああでもない、こうでもないと喧々諤々議論中である。

K先生は選択の参考情報を提示してくださる。
が、この先生、データはいくらでも教えてくれるが、「僕はこちらのほうがいいと思います」という誘導だけは、絶対にしてくれないのだ。
それが彼なりの誠意なのはわかってきた。
わかってきたものの、今!ここで!ひとりで!決めるには、なかなかの案件である。

「自分も家族も知りたくないから、やらないという選択をなさる患者さんもいらっしゃいます」
でしょうね…。
知ってしまったら最後、いつ発症するか不安に苛まれながら每日を送るか、予防的に手術をして両乳房と卵巣を取り去るかの二択だ。
選択できないからいっそ調べない、という気持ちもわかる。

「陽性だった結果、全摘出を選ぶかどうかも、患者さん次第です」
それだって、可能性と確率を天秤にかけて、我が身を削るか否かの選択をしなければならない。

更には、これは本来は20万円ほどかかる検査で、保険適用後であっても、7万円ほどの自己負担はあるそうだ。

悩む。これは悩むやつだ。

ちらりと夫を見ると、
「やりたいなら、やったら」
何の参考にもならない回答が来た。
これはきっと、費用のことしか考えてないな。お金はなんとかなるから、あなたの望むままに決めていいよ、という親切風のやつでしょう。

いや、違うだろう。確かにお金も大切だけれど、これはそれ以前の、人生観に関わる問題だ。自分の人生のリスクとどう折り合いをつけて生きていくかという話なんだよ。

そもそも、病院の検査なんて大抵がそうだが、やりたいか、やりたくないかで決めることではない。
やりたいわけないだろう。
やるべきか、やらざるべきかだ。

で、あれば。
「遺伝子検査、やろうと思います」

性分として、自分のリスクを知っておきたいというのもあった。
しかしながら、一番の理由としては、妹や姪に関わりがあるなら、調べておくべきだと思ったのだ。
子どもたちを育て上げるために、まだまだ時間が必要な妹は、わたしよりもずっとリスクを把握しておくべき人だ。その一助になるのであれば、やろう。

「わかりました。それでは、正月明けに遺伝子検査、1月末に結果が出たところで、今後の手術の内容と日程を決めましょう。
おそらく2月の後半以降に再手術をして、その後の治療もあるので、少なくとも3月いっぱいは仕事を休むことになると思います」
と、K先生。

そんなに休まなくてはいけないのか。
また職場に報告しなくては。
今度の報告では、皆に病名も伝えておいたほうがいいかもしれないな。
やれやれ、体の傷も癒えてはいないのに、考えることは山積みである。

帰りの車で、夫がぽつんと言った。
「この前の手術で、だいたい終わりかと思ってたよ」
きみ、ずいぶん楽観的だったんだな。だけど、うん、わたしも若干そんな気持ちではあったかな。
「この前の手術は、治療の終わりではなくて、始まりだったって感じだね。やっぱり癌になるっていうのは、それなりに大変だってことか」
「そうだね」

治療が終わったと実感できるまで、どのくらいの期間が必要なのだろう。先に想像していたより、かなり長そうだ。
車窓の景色を眺めながら、ぼんやりと考えた。

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