兄弟喧嘩をするたびに、
『喧嘩両成敗』
『大岡越前』
『罪を憎んで人を憎まず』
まぁ、いろんなことを聞かされましたが、
やはり一番心に残ったのは蒋介石の話でした。
爪を剥がされるなんて、
想像しただけで痛い気がします。
どうして許せたんだろうと思いました。
水曜日の夜、
ランエクで知り合った台湾の女の子が
『明日は原爆資料館に行く』
と言うので一緒に行くことにしました。
彼女はいろいろなことを勉強していました。
長崎は山に囲まれたすり鉢状の地形だったから、山に放射能が遮られたこととか、
被爆者は原爆のことを話したがらないことも知っていました。
『手の皮がズルリと剥けて手の指の先にだらりとぶら下がって…』
どちらかというと女性の方が話してくれてたかもしれません。
本当は、
私たちもいろいろな話を聞いて知っています。
「あなたのお父さんも話したがらなかった?」
そう聞かれていろいろなことを思い出しました。
子供の頃、見た資料館で一番怖かった写真は置いてありませんでした。
原爆で何もかもあっという間になくなってしまった町の名前が、大人になって今ならどの辺りのことかわかります。
何キロメートル、
何万人と聞いてもピンとこないけど、
いっぺんにあの町とこの町がなくなったと聞くと、なんでそんな兵器があるのかと思います。
クリント・イーストウッドが作った
【硫黄島からの手紙】
という映画をまだきちんと見ていません。
日本人側の視点からと、
アメリカ人側から作った二つをあわせて、
一つの作品となっています。
私は戦争は知りません。
だけどまだ私が子供の頃は、
お盆だとか遠い血の繋がりがあるかないかわからないおじさんがビルマ戦線の話をしようとしたり、それを子供には聞かせるなと遮るおばさんがいたりしました。
その様子から感じとることもあったかもしれない。
そういえば、
同級生の一人が台湾国籍でした。
元気にしてるかなぁ。