いつもありがとうございます。
今日から何回かに分けて、
自分のもう一つのライフテーマであるお金のことについて書きます。
というのも、自分の特性や大好きなこと、夢がわかっても、
それを活かした仕事、生活をすることを
『お金』を理由に諦めてしまう場合が多いからです。
「お金が無くなったらどうやって生活しよう」
そんな気持ちが自分らしい生き方に踏み出すのを躊躇させます。
自分の経験上、
お金が理由で最初の一歩が踏み出せない理由は、
勇気がないからではなく、
最初から「自分にはできない」とあきらめているためだと思います。
そこで、お金の本質を知ると
そもそもあきらめていたことがバカバカしくなります。
(自分自身まだまだ、本当に小さな一歩を踏み出せただけですが)
では、お金とは何でしょうか?
いろいろな考え方があると思いますが、
自分は、お金とは「信頼」とか「信用」だと思っています。
例えば、1万円札は、原価は20円程度。
つまり絵や文字が印刷された紙としての価値は20円です。
それを日本銀行が、勝手に「1万円」と言っているだけです。
(法律上の紙幣の定義とは違うかもしれませんが)
私が紙切れに手書きで”1万円”と書いて、
「1万円」と言い張っているものと原理的には同じです。
そこで、1万円の値札がついたデジカメを
近所の個人商店の電気屋さんに買いに行くとします。
日本銀行の”書いた”1万円札なら、
何の問題もなくデジカメが買えるでしょう。
何の問題もなくデジカメが買えるでしょう。
一方、私が書いた1万円札でデジカメを買うとなると、
かなり苦労する、というより買うのは無理でしょう。
かなり苦労する、というより買うのは無理でしょう。
というのも、この個人商店のおじさんは、
私から受け取った日本銀行の1万円札であれば、
それを使って自分の買物はできますが、
それを使って自分の買物はできますが、
私の書いた1万円札で、他のところで買物をするのは無理だからです。
つまり、この差が’私”と”日本銀行”の「信用」の差なのです。
私程度の信用度では、
私が自分で書いた1万円札が1万円の価値があると信じているのは
『私自身』だけです。
ここが、わかりにくいところだけど、大事なところです。
全く信用がないのではなく、最低限”書いた”本人は信じているわけです。
ということは、仮に、この電気屋のおじさんが、
手書きの1万円の価値を認めてくれて
デジカメを売ってくれたとします。
その後、我が家にやってきて、
私から1万円の個人セッションを受けたとしたら、
その代金は、その時受け取った、
私の手書きの1万円で払うことができます。
私の手書きの1万円で払うことができます。
(私はそれが1万円の価値があると信じているからです)
これを、私なんかよりもっと信用のある団体が
ある程度の規模の使用範囲でやっているのが
ある程度の規模の使用範囲でやっているのが
”商品券”とか”電子マネー”というやつです。
だから、手書きのお金に対して、
自分が強い自信を持って、それを周りに認めさせることができれば、
原則お金に困ることはありません。
例えは悪いですが、
例えば、 私ではなく、”風立ちぬ”の宮﨑駿監督が、
色紙に、”1万円”とかいて、自筆のサインをして、
「1万円のデジカメ売って」となれば、
もしかしたら、ヤマダ電機でもデジカメが買えるかもしれませんよね。
(会計処理上の問題はいろいろありそうですが...)
(会計処理上の問題はいろいろありそうですが...)
でも、この宮崎監督が、あちこちでこの色紙をばらまいて、
日本人なら、誰でも2,3枚持っているくらいの数の色紙が流通したら
多分、だれも1万円の価値とは認めてくれないですよね。
そう考えると、
希少価値というのも、お金の性質に絡んでいるのかもしれません。
さて、私なんかを信用してくれないのは仕方がないとして、
みなさんは、何を根拠に”日本銀行”を信じているのですか?
「みんなが信用しているから」という以外の理由を言える人いますか?
日本銀行の人たちが”大嘘つき”の集団だったらどうしますか?
大量に流通した場合の宮崎監督のサイン色紙のように、
紙幣が大量に出まわって、価値が少なくなったらどうしますか?
こんな感じで、お金とは、根拠のはっきりしない
非常に微妙な「信頼」「信用」そのものなのです。
明日は、じゃぁ、お金が理由で一歩が踏み出せない場合
どうすればいいか書く予定です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。