道民なので蝦夷史・北海道史を紹介します | ブー子のブログ

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96503 :ほっかいどー:2013/06/05(水) 18:10:44 ID:-

北海道道民なので蝦夷史・北海道史を紹介します
 

良い機会ですので、手前味噌ですが私が今まで学んだ郷土史・北海道史、
北海道の概況等を皆さんに紹介・解説させてください。

 北海道史は誤解が多いものです。なので、史実を溯れる限り古い時代から
一つ一つ概略として記す必要があり、必然かなり長くなり、詳細までは書けません。
(文字数制限で書き込みが弾かれるでしょうから、数コメントに渡るはずです!)
ただ、未熟者でして、皆さんの需要には十分に答えられないかもしれません。

まず、北海道史の一般認識として
・「北海道には明治時代までアイヌ人しかいなかった」
・「日本人は明治の開拓期に蝦夷地へ渡った」
・「開拓が行われるまで北海道は全域未開の地だった」

多くの方が、こういった史観を持っていられるかと思います。
実は、当の道民すらこの歴史観を持っており「北海道は歴史が浅くて史跡が少ない」と
自嘲する傾向があります。しかし、日本国民が知らない、一番知っているべき道民も
知らないだけで、北海道は過去から連綿と豊かな歴史を紡いできた地域です。

 まず、日本建国以前の時代からして誤解があるかもしれないので、そこから記すべきと思います。
歴史上、旧く顕著な特徴の見られる時代として有名な「縄文時代」というものがあり、ある意味で
日本の原風景ともされる時代ですが、北海道はこの縄文文化の花拓いた、つまり相当昔から
栄えていた地域です。

言うまでもなく、縄文時代の遺跡は多く発見されており、例として私の住む地域では
極めて保存状態の良い史跡が発掘され、完全に近い状態で発見された道具類から
縄文時代の文化の一端が完全解明されるという、歴史的な快挙となりました。

北海道の他の地域でも、縄文文化の象徴の一つである土偶、巨大な勾玉等が発掘されたり、
現在の秋田や新潟との交易の跡が発見されたりと、繁栄と文化的繋がりは明らかです。



北海道道民なので蝦夷史・北海道史を紹介します2
 


 その後の史書にも、宋書や旧唐書の倭国日本伝には和人が居住していた事が記されており、
日本書紀の斉明天皇の時代、西暦だと657年の記載から、七世紀頃には盛んな交易が行われ、
現在の後志(しりべし)に行政府が置かれていたことがわかります。その後も安東氏や蠣崎氏
(後の松前氏)の統治や、徳川幕府の直轄統治といった形でも活動ははっきりしています。
北海道西南部には沢山の城(館)が築かれ、和人とアイヌの混住が確認されていおり、
様々な利権を争って様々な勢力が入り組んでいたこともわかっています。

神社仏閣もそれなりに歴史が深く、函館の船霊神社の創立が保延元年(1135)であり、
それ以外にも沿岸部には7~800年の歴史を持つ神社がいくつもあり、2~300年の神社は
さらに多くが存在しています。お寺は少し遅れて永享五年(1434)、今の上磯街に
海渡阿(口牛)寺が移入建立され、北海道最初の寺となっています。

江戸太平の世には北前船(正確には弁才船)による交易で、海産物・木材・毛皮等の特産品で
巨利が生じており、例えば北海道の昆布が沖縄へ→更に中国へといった流通も起きていました。

そして、少なくとも江戸時代末期にはロシアの脅威が認知されております。ロシアは度々
北海道に船を出して宣教師の布教活動や探険活動が行っていました。(故に日本で最も多い
キリスト教はロシア正教徒だった時期すらありました。)

ロシアは商業活動(というより海賊行為)を行っており、不満を抱くと和人・アイヌの別なく
襲っていたので、蝦夷地の直轄統治までして民心や経済の安定に腐心してきた江戸幕府が
無関心であるはずはありません。当時の知識人が蝦夷の本格開拓の重要性・必要性を訴えるべく
本を一筆したり、会津藩に兵を出させてロシア警戒に当たらせたりと、様々な対策が行われました。
(分かり易い例でいくと、五稜郭(近くに四稜郭と言われる土塁もあります)の築城等です)

つまり、明治政府も屯田兵も、これらの仕事を江戸幕府から引き継いだものです。
この様に、北海道は太古の昔までしっかり日本の歴史を溯れる地域であり、
明治時代に突然歴史が始まったという地域ではありません。



96505 :ほっかいどー::2013/06/05(水) 18:12:59 ID:-

北海道道民なので蝦夷史・北海道史を紹介します3
 

 渦中の明治以降のお話ですが、開拓使の主力となったのは当然、屯田兵でありました。
これはレスやコメントで触れられている通り、士族階級の人々の募集がなされます。
その人々は名簿も残っており、一人一人の氏名が今でもちゃんと確認をできますので、
出自のあやしい方達というのはいません。この要件は後々に事実上緩んできて、
士族出身でなくても希望者から選抜していたようです。つまり、誰でも自由にできた訳ではなく、
それなりの人間でないといけなかった訳です。

この時、屯田兵に割り当てられた家は当時の平均的な家よりも相当に良いもので、
札幌西区の琴似にある琴似神社には一件、資料として残されているものがあります。
(開拓事業は辛いものでしたが、屯田兵自体は相応の篤い待遇を受けていました)

また、あまり知られていないもう一つの主力として「お寺」があります。
檀家を引き連れて道路を作ったり開拓したりと、熱心に開拓活動をしたために、
現在も「○○寺」通りという旧称が残り、開拓使時代の重要な功績を残しています。

ちなみに「エタ・ヒニンといった被差別階級」「食いつめもの」「貧農やその次男以下」
「犯罪者」「不良外人」が移民というのは、橋の建設や道路等の開削に当たって、
犯罪者が労役として駆り出された事例等が一人歩きして、尾鰭がついていったのでしょう。

とういうもの一口に「開拓者」といっても「開拓から発展に至るまで全て請け負った」という方は
少なく、大概の開拓者は一つの地域を開拓したら別の地域に移って開拓をするというように、
転々として開拓を続けていきました。

そうして、ある程度まで開拓された所へ、後から移住してきた人達が商業活動を発展させ、
現在の街々を築いていくという形になっています。私の先祖もある程度、開拓が進んでから
群馬から越してきた(元)士族の長男で、次男や三男ではありませんでした。そこそこ豊かな
家だったそうで良い服を着ている写真も残っており、貧しいから移住したという訳ではないようです。

この手のお話は、恐らく満州に一発当てる為に移住した、という方達の逸話と
混ざって伝わっているのではと思われます。


96506 :ほっかいどー:2013/06/05(水) 18:14:09 ID:-


 差し出がましいようですが、レスとコメントにいくつか
首を捻るものがあるので、コメントさせてください。

>町の名前に「共和町」という名称が多い
これは初耳です。北海道で多い地名は各地方のアイヌ語を語源とする漢字の語呂合わせ(古譚など)
移住した士族達の所属した家の名前(伊達や白石等)、開拓功労者の名や特徴を採ったもの
(安春川・天狗橋など)ですね

>だから「赤い大地」と言われるほどまでに共産思想に魅かれるんだろうね
これは誤解です。愛国政治家といて名高い町村信孝氏や、中川(酒)氏は北海道の選挙区で
出馬して当選している方で、直近の衆院選挙では民主党員が軒並み落選(比例で復活)しています。
横路や上田、ムネオ等、濃い連中も居るので、誤解を受けやすいのだと思います。

>道民として生まれ育った者からすると、本州から来た者の言動にそういうものを感じる事が多々ある。
>だからこそ北海道暮らしや北海道産にこだわったりする力が働くんだと思う。仲間の県が居ないし、なんとなく沖縄にシンパシーを感じているのもそう。
僕は無いですw故郷暮らしを好むのは誰しもありますし、北海道は食糧自給率100%を超えていて、
スーパーで道産食材が多くあるのは当然です。北海道で取れないものは、他県産のものが普通に消費され、
農業は基幹産業でもあるので行政が道産食材のPRや、食材を活かした取り組みをするのは当然です。
沖縄にも別にシンパシーというものはなく、他の都道府県と何ら変わりありません。

>「分断工作!」って連呼されたら地方の裏事情なんて何にも話せなくなる。
>そういうものに限って知っておくべき大事な話が紛れ込んでいることも少なくないんだけど・・・
>これだけ「語るな」「喋るな」とやはり色々勘繰ってしまうわ。
>「差別されている」と一方的に感じている人からすると、敏感に反応してしまうってことか。
そうではなく「嘘を語るな」「でたらめを喋るな」なんですね。
嘘を本当の様に言われるというのは、慰安婦や南京の件でもわかるように、
言われる側は不利に立たされます。これを意図的にやる人の本音は、
分断工作というより「嫌がらせ」ではないでしょうか



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