ブログネタ:「喝!」「あっぱれ!」と言いたいこと 参加中1978年の今日10月19日は、
アメリカ発のブラックマンデーでした。
映画で見てもこのブラックマンデーを境に財産や家を失い、
路上生活を強いられ、
炊き出し等をしながら生活をしていました。
同年の10月20日に日本も当然ブラックマンデーを食らいNK3836円安14.9%の史上最大の大暴落となりました。
ですがその時の日本は炊き出し生活にはなりませんでした。
日本は元気だったのですね。
あっと言う間に戻したのでした。
今では考えられないような事です。羨ましい。
と、ここまでは『あっぱれな日本』でした。
その後が間違えました。
三重野総裁が日本の株価を半分にしてやる。
と断言をし実行してしまい。その後は半分にしたどころか、
地価の下落と共に、
どんどんどんどんと下がり続け5分の1 8分の1 そして今にいたるのである。
これが日本のバブル崩壊です。
『喝』日本に恨みがあったのかよ

■「ブラックマンデー後」の日本では何が起こったか?
世界同時不況が懸念される中、日本は世界経済のアンカー役を期待され、日本株が底入れ、反発となった後も低金利の維持が期待されました。
そして、ようやく利上げに踏み切ったのは1989年5月でしたから、それはブラックマンデーが起こった1987年10月から数えて19カ月後のことでした。
ただ、この時には、すでに日本国内での資産インフレ懸念がかなり強くなっていたため、最初の利上げは一気に0.75%もの大幅利上げとなりました。
しかし、それでも株高は止まらず、むしろ大幅利上げでも株安にならないとなると、株高は「怖いもの知らず」で急加速に向かいました。
利上げは株高のスピードを緩める役割といった意味では、自動車におけるブレーキのようなものだと思います。しかし、ブレーキを踏んでも車が止まらず、それどころか加速するというなら、その車は壊れているということでしょう。壊れた車が止まるのは自壊、クラッシュしかありません。
日銀が利上げを行う中でも、逆噴射のように加速した日本の株高は、1989年12月末に日経平均4万円近くまで急騰したところから、一転暴落に向かいました。株式市場のクラッシュ、バブル破裂が起こったわけです。
さて、そんな「ブラックマンデー後」の日本と、今回の「リーマン・ショック後」の中国は似た構図だという話でした。日本はブラックマンデーから19カ月後に利上げしたら、「遅過ぎる利上げ」で、その後バブルの歯止めに失敗し、バブル崩壊に見舞われました。

ブラックマンデー(1987)
1987年10月19日(月)、
ニューヨーク証券取引所で平均株価が508ドルも下がる(22.6%)という史上最大の大暴落があり、
世界恐慌の引き金になった1929年10月29日(木)の「ブラックサーズデイ」を上回る下げ幅ということで、世界中が戦争でも起きるのではないかと騒然としました。
この暴落の背景には、当時アメリカの財政赤字や貿易赤字が拡大傾向にあり更にはドル安でインフレ懸念があった事などがあります。
アメリカはインフレ対策で9月5日に公定歩合を0.5%引き上げ6%にしましたが、10月14日に発表された貿易収支が予想を大きく上回る赤字額であったことから、企業成績に対する不安感が募りました。
しかしそれにしてもここまでのとんでもない下げ幅になるほどの要素は無かったといえますこのブラックマンデーが起きた最大の原因は、大口投資家の「プログラム売り」でした。
大口投資家は投資している株式の銘柄をコンピュータで管理していますが、
万一どれかの銘柄が一定の幅を超えて価格が下落した場合、損失を最小限に抑える(損切りする)ため、その銘柄を売りに出すというシステムを組んでいるのが普通です。
ところが、みんながそういうシステムを使っていると、いったん株価が下がり出すと、全員が一斉に自動的に全ての株を売り始めることになり、売りが殺到して株価の下げ圧力が強まり、一気に大暴落を起こしてしまうのです。
また他にも株価が下がり出した場合、投機筋がまだ株価が高い内に空売りをして、下がりきった所で買い戻して利益を得ようとするので、このような暴落に拍車を掛けてしまう面もありました。
人間が介入して株の売買をおこなう場合は、ある程度下がっても本来実力のある企業ならすぐに回復するだろうと判断して売らない人たちもいるので、あそこまでの暴落を起こすことはそうないのですが、当時は株式管理をしているプログラムのロジックが、まだ未熟だったといえます。
また更にはこのようなプログラム売りというものが普及しているということを政府や取引所などがまだ充分認識していなかったことなどもありました。
しかしこの時のアメリカ政府の対応は立派でした。FRB(米連邦準備制度理事会)のグリーンスパン議長が講演先から、FRBの強い姿勢を発表して信用不安の打ち消しに務め、また大企業や証券会社などへの個別折衝が実り、幾つかの大企業や証券会社が積極的に株を買うという発表をしてくれます。このため
翌日20日のニューヨークの株価は一転して102ドルの上昇をします。
更に翌日はこの大暴落のおかげでいきなり経営危機に陥ったコンチネンタルイリノイ銀行の子会社に対して、超法規的な救済策をFRBが指示したことから市場に安心感が広がり、21日は今度は史上最高の上げ幅となる186ドルもの平均株価上昇が起きて世界的な危機は回避されました。もっともこのニュー
ヨーク史上の株価が完全に元の水準に戻るには、その後2年ほどかかっています。
ブラックマンデーの影響は当然世界各地の株式市場にも現れ、日本でも東京証券取引所は株価が3836.48円(14.9%)下がる暴落を起こしましたが、翌日には2037.32円(13.24%)上昇してあっさり回復。その後半年ほどで元の水準まで戻しました。そしてこの株価の変動でおいしい目にあった人たちの影響で、バブル経済の「財テク」時代がやってきます。
しかし当時、日本ほどすばやく株価が回復した国はほかになかったようで他国は結構後遺症に苦しんでいます。