巾着田のヒガンバナと渡来人散歩 | 写真小話

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私が撮影しながら散歩した備忘録的な記録

2022.09.25

まだ結構暑いけど、ヒガンバナが満開になっちゃった。

う~ん、どこかヒガンバナがビシッと咲いている所に散歩に行きたいなぁ、真っ先に思い浮かぶのは埼玉の巾着田なのだけど、激熱スポットなので、早朝到着じゃないとまともに車が止められないしなぁ。

休日の朝は寝坊したいんだよ、夜駆けとかこの程度の散歩でカマしたくないし。

電車で行けば駐車の心配はないよな、じゃ、まぁ電車で行くとしますか。

八高線、高麗川駅12時30分到着、これでも頑張りました。

西武線の高麗駅の方が巾着田にはずっと近いのだけど、憧れの八高線に乗ってみたかったので、ここになりました。

こんなところから歩いていく物好きなんていねぇやな、と思っていたら、駅前に案内のパンフが特設で置いてあり、案内人までいるし、しかも結構な人がパンフ受け取ってました、こりゃ侮れないな。

そして、駅近の街中華でラーメンとチャーハンを食して、お腹いっぱいで出発である。

ポツンと咲くヒガンバナにテンションが上がります。

スカッと広い空が気持ち良いです。

そういえば一応台風一過なんだよな…

さわやかな竹林もありました。

高麗川駅から真っすぐ巾着田に向かっても芸がないので、高麗神社に立ち寄る。

このあたりは名前の通り、高句麗の人たちの移住地帯でした。

紀元前から668年まで、700年も続いた高句麗が滅んだ時に倭(当時の日本)に落ち延びた人たちが、当時の朝廷(まだ奈良にあった)に東方へ住むよう言われ、さらに後、この辺りにまとめて移住させられ高麗郡が設置されたのだそうな。

これは、朝鮮半島の人たちの魔除け、日本でいう所の道祖伸とか庚申講の青面金剛のような物で同じように村の入り口に設置されているそうな。

見た目てきに、道祖伸や青面金剛にはちっとも似ていないけど、九州の「田の神」になんとなく通ずるものがある気がする、地理的にもちょっと近いし。

で、話を高句麗の移住人にもどす。

700年ごろの移住から時が下って十一世紀、当時の武蔵国の様子を更級日記というものに記されていて、その一節にこんなのがある。

 

「早くも武蔵国にさしかかった、とりたてて風情がある所も見えない、浜辺も白砂というわけでもなく泥のようで、柴草が生い茂っていると聞いているが、どこにあるかさっぱり分からない、それほどに葦と萩がたかだかと生い茂り、弓を持ち馬に乗った人に出会っても、振り返ればもう草の向こうに消えている」

 

海がでてくるので、これは東京湾の事だろう、作者は上総から旅をしているのでおそらく今で言う船橋らへんの三番瀬を過ぎたあたりかな?そりゃ干潟だから砂浜じゃなくて泥だろうよ。

そしてここに登場する「弓を持ち馬に乗った人」は武士と見るのが自然かもしれないけど、関東に多くの高句麗人が移住したとすると騎馬民族である高句麗人の末裔って考えられないかな?高麗郡移住の後、関東平野へ広く根付いて太田道灌の時代(室町時代)いや江戸時代まで広い広い関東平野の主(あるじ)として馬に乗って自在に駆け回っていたのかも知れない。

高句麗人の痕跡は関東周辺の至る所に見られるし。

そんな訳で高麗神社はどこか異国感のある神社です。

そして高麗神社の前の道路が渋滞しています。

ゲゲッ、これは、もしや巾着田渋滞かな。

高麗川を渡る、ちょっと増水しているな、台風のせいか…

そして、いちおう本日のメイン、巾着田に到着。

すごい車、そしてすごい人…

まるで千鳥ヶ淵の花見状態、人が渋滞しています。

ヒガンバナは盛りをちょいと過ぎて若干終わり始めといった所。

でも、やっぱりここのヒガンバナはすげぇや、ビッシリ生えてます。

 

因みに、ここは冬に来るとこんな感じです。

木の下のビッシリ生えた葉っぱがヒガンバナです。

冬から春にかけて光合成して、木が生い茂る夏にはいなくなってしまいます、そして夏の終わりに葉に先んじて花をつけます。

ここのヒガンバナはもともと、植えたヒガンバナではなくて、上流から球根が流れてきて川のカーブで溜まって群落になったそうです。

ヒガンバナはもともと日本に自生していなくて、大陸から古くに持ち込まれて帰化した植物、大陸からの渡来人が帰化して開いた土地に、大陸から帰化した花が群生するって、ちょっとロマンがあるね。

白いのも混ざってたり

まぁ、巾着田のヒガンバナはこんな感じ。

この巾着田も、もともと高句麗人が開いた田んぼ、ちょうど川が蛇行してΩ状になっている所をうまい具合に灌漑して田んぼを開いたそうな、当時としては進んだ技術だったのだろう、高句麗からの渡来人は騎馬民族だけど稲作も得意だったんだねぇ。

さぁこれから、日和田山にでも登って、かつて高句麗人も眺めたであろう景色を眺めて帰るとしよう。

ちょっとした墓地にもヒガンバナが咲いています、墓地にもヒガンバナがよく似合う。

きっと今ごろ鎌倉も良い感じだろうなぁ~

日和田山の一の鳥居

一の鳥居を過ぎ、男坂を登る、岩の登山道になっていて楽しめる。

そして二の鳥居を過ぎて、山頂へ

山頂の標石、梵語が刻んであるので仏教的な何かだろうけど、読めねぇし…

山頂から東側…大宮方面の眺め。

さぁ、とっとと下るとするか。

二の鳥居へ下り戻ると、

おおぅ、巾着田が俯瞰できるぜ!

真ん中の野球場みたいに見えるのが巾着田、きっと高句麗人もここから川を眺めて田んぼを開く場所を決めたのであろう。

さっさと、下山し、帰りは西武線の高麗駅へ

道端にあった石仏的なもの、平和と豊作が祈念されてるっぽい、上部のおむすび型の彫り物は、もしかして始めは頭があったのかも。

これは水天の碑というそうな、江戸時代にこの辺りの水害(干ばつ、洪水)や筏流しの災害を防ぐ目的で五日五夜の念仏の後に建立されたのだそう。

こんな碑にもヒガンバナが良く似合う。

高麗駅の駅前にも真っ赤な魔除けがありました。

そして案の定、高麗駅は場違いな程に人がいて、飯能駅まで混雑していたけど、そこからは皆、池袋方面へ、自分は東横直通に乗って、居眠りこきながら帰りました、あー楽ちん。

 

おしまい