自分の書評を読み返したときにうわって思うことがある。
書評以前に話すこと、書くことがみんなそうかもね。
それは、自我の強さっていうのかなぁ。
本を通して自分を語りたいんだなって気づいてしまう恥ずかしさ…。
たぶん言葉の検索をかけても、自分とか自己なんとかって言葉が多いんじゃないかな。
自己肯定感、Self Esteemが私のテーマの一つで、それがねっこにあるからこそ、私は今の道を選んだんだろうなというのは自覚としてある。
そういう風に私はできているんだと思う。
それがよい方に作用するとパワフルな私になる。
がうまくいかないときは、力ががっちがちに入って緊張しまくりになる。
そう、昔から肩の力を抜くのが下手くそだったのはたぶんそういうことだ。
自分にできることや自分を表現することばっかりばっかり考えがちだけど、同時に書評を書くようになってから、自分の力を超えている何かはたくさん意識するようになった。
人との出会いも本との出会いも、私の自己決定、自己選択の結果を超えていると思うことが多々ある。
もちろん、関わった人みんなの決定と選択の結果が今なんだけど、みんなの決定と選択を超える何かがあるんじゃないかなとも思う。
それをなんと呼ぶのかは、信ずるところによって異なる。
その自分の力を超えたものに感謝する、呼びかける表現のひとつがゴスペルなんだと思う。
ふだんがっちがちに肉体を纏った自分の中にいることに懸命な私だけど、ゴスペルはその私の殻を手放すことです。
脳をぱかっと開けて、考えるよりも感じる。
自分を表現するというよりも、自分を空っぽにして使っていただくという感じ。
それが本当に力を抜くことなのでしょう。
そうなるまでには準備もたくさんして、たくさん考えますけどね。
歌ではまだ、私の体の中を何かが通って行って、私じゃないみたいな声が出る経験はしたことがないです。
少しでもそんな世界に近づいてみたい。
本はこれを読むためにいたんだとか、書評はこれを書くために書いたんだ、みたいな感覚はたまにあります。
3月14日のゴスペルの本番まで、二週間を切りました。
私が私を手放す境地に近づくには、ぎりぎりまで、私のできるアクセスをしてみてからですよね。
ということでしばらくは、絵本語りだけでなく、本番で歌う歌の中の気になる歌詞について考えてみたいなと思います。