映画「オッペンハイマー」は2023年製作、クリストファー・ノーラン監督のアメリカ映画である。
クリストファー・ノーラン監督の作品といえば「ダークナイト」3部作、「インセプション」、「インターステラー」、「TENET テネット」などこれまでにも多数の話題作が日本でも公開されている。
「インセプション」をDVDで観た時に劇場で観たかったと思ったので、「TENET テネット」は劇場に行った。
そして「オッペンハイマー」である。
「原爆の父」と呼ばれた天才物理学者ロバート・オッペンハイマーの伝記的作品である。
内容のあらましについては、公式サイトや原作であるカイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」の紹介文などを参照されたい。
2006年ピュリッツァー賞受賞作品。「原爆の父」と呼ばれた一人の天才物理学者J.ロバート・オッペンハイマーの生涯を丹念に描くことで、人類にとって国家とは、科学とは、平和とは何かを問いかける全米で絶賛された話題作の邦訳。
裕福な家庭に生まれたオッペンハイマーがその才能を開花させていく過程を綴る。彼は学問に打ち込む一方で、心身のバランスを崩し、なかば躁鬱の状態に陥る。ドイツのゲッチンゲン大学に招聘されたころから、症状も改善し、理論物理学者としての前途が大きく開けてくる。やがて、原爆プロジェクトの委員長に任命され、開発にあたるようになる。
研究にあたっては、彼自身の中に忸怩たる思いもあったようだ。1945年7月16日早朝、実験が成功した彼は「われわれ全員がこの瞬間"ちくしょう"になってしまった」と呟き研究所をあとにする。※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用
映画「オッペンハイマー」はアカデミー賞の13部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞した。
しかし、これだけ高い評価を得た作品ではあるが、原爆開発をテーマにしているために日本での公開が見送られていた。
今回の日本公開にあたっては、事前に長崎市の先行試写会が実施されている。
また、NHK「クローズアップ現代」では公開前にノーラン監督のインタビューを放送している。
このインタビューでノーラン監督は、核の脅威をテーマにしているが、オッペンハイマーの苦悩を観客にも体験して欲しいとコメントしている。
このコメントの背後には、原子力開発の問題は直接関わる研究者だけの問題ではないという考えがあるように思われた。
下記のNHK「クローズアップ現代」公式サイトでにはインタビューの全文が掲載されており、製作意図等についてのコメントもあるので、詳細についてはこちらを参照されたい。
同じくアカデミー賞の視覚効果賞を「ゴジラ-1.0」で受賞した山崎貴監督との対談映像も公開されているので、こちらのリンクも貼っておく。
さて、有名作品なので基本情報等についてはいつもの通り公式サイトに任せて、そろそろ本題の個人的な感想に進みたいと思う。
尚、映画の内容についての記述は劇場で観た記憶に基づいているので、記憶違いがあるかもしれないが、その点はご容赦いただきたい。
---以下、ネタばれありの感想---
【目次】
・前半で描かれていた幾つかな事柄
・話の転換点となる中間部について
・後半で中心となる二つの会議について
・「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」
・総評
・補遺:オッペンハイマーの言葉
前半で描かれていた幾つかな事柄について
まずは、前半での幾つかのシーンについて書いておきたいと思う。
前半はオッペンハイマーの伝記的な内容が中心になっている。
研究者として実験が苦手であったので理論の方に進んだという経緯があり、その後は星の一生の研究を進めて論文が掲載される。
この論文はブラックホールの存在を予想していた研究として評価されているが、その後は原爆の開発計画に関わっていく。
研究者としての道程も決して一本道ではなかったのである。
また、オッペンハイマーが女性を口説く時に、我々の体は実はスカスカだというような話をする場面がある。
原子が核とその周りを回る電子から構成されていることは比較的知られていることである。
これに加えて、原子が物質として空間を占めているのは、核と電子を結び付けている強い力があるからである。
だから、我々の体は質量で埋まっている訳ではなく、実は本当にスカスカなのである。
そして、核分裂の時に放出されるエネルギーが、この核と電子を結び付けている強い力なのである。
ノーラン監督はこの内容について、大学の授業で説明するようなシーンは作らず、暗示として女性との会話にサラッと忍ばせている。
その後、原爆開発が進む中でかつての師であったニールス・ボーアと原爆について話す場面がある。
ここでオッペンハイマーが、ウランの核分裂の連鎖反応によって作れる兵器を「新爆弾」と言ったのに対して、ボーアはそれがもたらすのは「新爆弾」ではなく「新世界」であると言う。
しかし、その意味は説明されない。
ノーラン監督はサラッと盛るんだなぁ。
そして原爆開発が更に進む中、1945年5月にドイツが降伏する。
当初、原爆は対ドイツ用の兵器という想定であったが、対日本向けの兵器として開発計画は続行される。
そして1945年7月のポツダム会談までに実験を成功させるよう指令が下る。
この辺りの原爆開発計画(マンハッタン計画)についてはNHKのドキュメンタリー番組が2024年2月19日に放送されている。
この番組の中には、実際のトルーマン大統領とスターリンの会談映像もある。
※単品:220円(税込み) 購入期限:2025年2月16日
話の転換点となる中間部について
さて、話の転換点となるのは、トリニティ実験と呼ばれるマンハッタン計画の中での核実験の成功から、原爆が日本に投下されたというニュースをオッペンハイマーが聞いて、スタッフ達の前で演説するところまでの一連のシーンである。
映画的な作りとして一番印象に残ったのが、この一連のシーンでの音響効果であった。
トリニティ実験の準備段階から音量が次第に大きくなり、緊張感が高まっていく。
そして核爆発のボタンが押されるあたりに至っては、鼓膜がおかしくなりそうな音量に感じた。
この後にくるであろう爆発音はきっと更に大きいに違いないと思って、耳を塞ぐ準備をした。
けれども、爆発の時は燃え盛る火柱の映像のみで無音であった。
これはおかしくない。
音速は1秒あたり約340mであるから、音が聴こえるのは10km離れたところで約30秒後、20km離れたところであれば1分後ぐらいになるからである。
そして、やっぱり後からきた。
しかし、思ったよりも大きくなかった。
離れたところで聞こえる音量を想定して加減したのだろう。
その後、原爆が日本に投下されたというニュースが報じられ、オッペンハイマーはこの日の夜、スタッフ達の前で演説をする。
ここのところでまた音量が次第に大きくなっていき、オッペンハイマーの脳裏を実際に広島に落とされたキノコ雲と被爆した人間を思わせる映像がよぎる。
ここできた。
トリニティ実験の何倍もの音量の爆発音がきた。
オッペンハイマーの頭の中で轟音が響き渡った。
この音量の落差には、オッペンハイマーが感じたであろう実験と実戦の落差を観客にも体感させようというノーラン監督の狙いがあるに違いないと思われた。
後半で中心となる二つの会議について
さて、これ以降の後半部分では、主に二つの会議の話が中心になる。
一つは、アメリカ海軍少将でその後にアメリカ原子力委員会の委員長を務めたルイス・ストローズの閣僚入りを検討するために開かれた公聴会である。
もう一つは、オッペンハイマーの機密情報へのアクセス権をめぐる審問会である。
オッペンハイマーはこの審問会で過去の共産主義者との交流や水爆開発に反対する立場などを激しく追及されることになる。
そして観客には、このオッペンハイマーの審問会が、実はかつてアイソトープ輸出に関する公聴会で面目を潰されたストローズの意趣返しであることが明かされていく。
オッペンハイマーが審問会で激しく追及される一方で、ストローズの公聴会ではオッペンハイマーの審問会の企みが暴露される。
この後半部分はなかなか巧妙な編集で、オッペンハイマーの審問会とその後に開かれたストローズの公聴会が並行して展開される。
観る側の気持ちを引っ張り続ける効果はあったように思うが、一方でわかり難くさもあり、やりすぎの感もあった。
そして長い。
オッペンハイマーのその後の経緯を描くところに主眼があるならば、もっと違った作りになったはずである。
だからこの作りは意図的で、狙いがある筈である。
これはついてはやはり、オッペンハイマーの苦悩を観客に感じさせるための作りなのではないかと思われた。
次に内容的な観点での意味を考えてみたい。
個人的にはこの後半部分のテーマは、人間の善性と理性的態度を含む広い意味での良心というものを我々はどこまで信頼できるのかという懐疑であると思われた。
オッペンハイマーがアイソトープ輸出の公聴会で言っていたことは正論だったのだろうが、公聴会であからさまにストローズの面目を潰したオッペンハイマーから感じたのは傲慢さであった。
最終的に、オッペンハイマーはこの傲慢さによって機密情報へのアクセス権を剥奪され、オッペンハイマーの審問会の陰謀を暴露されたストローズは閣僚入りを見送られることになる。
ストローズは閣僚入りが見送られたという結果を聞いて、反対した者の名前を確認する。
その一人はジョン・F・ケネディで、反対の理由はオッペンハイマーに対する悪意を込めた意趣返しの件であった。
後半を殆どを費して描かれたこの一連の流れ。
オッペンハイマーの傲慢さは禍根を残し後年になって意趣返しを喰らう。
意趣返しをストローズの悪意もまたケネディの反対によって懲悪される。
そしてケネディは後に大統領となり、キューバ危機の時に核による先制攻撃をしないという決断をする。
恐らくここでは、ケネディは人間の良心の象徴であろう。
所詮は人間のやることであるから、傲慢さによって禍根を残せば争いに発展することになる。
もちろん、人間が常に傲慢であるということではない。
同様に、常にケネディ大統領のような決断が期待できるわけでもない。
それ故、この一連の流れは内容的には、人間の良心はどこまで信頼に足るものかという懐疑を描く意図があったと思うのである。
「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」
ノーラン監督が後半部分で、人間の良心はどこまで信頼に足るものかという懐疑を描こうとしたのであればこの背景には、「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる」というマーフィーの法則があったのではないかと思う。
このマーフィーの法則は「インターステラー」のセリフにも登場している。
「オッペンハイマー」ではこのマーフィーの法則はそのままの形では語られないが、匂わせるセリフはある。
オッペンハイマーは審問会で、水爆開発に反対の立場を取るようになった時期について、
「人間には持ってしまった兵器を使う傾向性があると確信した時である。」
と答えている。
「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる」というマーフィーの法則に従えば、持ってしまえば、つまり使用可能性が生じた場合には実際に使われる可能性は100%である。
だから現在の我々の状況は絶望的であるということになる。
後半部分の内容からは、人間の良心が勝ち続けられる見込みはどのくらいだろうか、と問うこともできる。
「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる」というマーフィーの法則に従えば、やはりゼロである。
ニアゼロですらなく、ゼロである。
つまり、いつか人間の良心が負ける最初の日がやってくる。
故に、現在の我々の状況は絶望的である。
そして映画は、世界の破滅を予見させるラストシーンで終わる。
総評
この作品は内容的には原爆を開発したオッペンハイマーの伝記的作品であり、人物像や人間関係もよく描かれているが、全体としては科学技術の開発とコントロールをテーマにした作品であるとも言えよう。
この点だけを考えれば、作品の題材は原爆でなくても、オッペンハイマーでなくても良かったのだと思われる。
しかし、ノーラン監督本人のインタビューで語られているように、題材を原爆とオッペンハイマーにしたのは、原爆の驚異的な破壊力の故である。
公式サイトで最初に現れるのは「THE WORLD FOREVER CHANGES」というメッセージであるる。
世界は一瞬にして人類が滅びかねない状況に変わってしまったのである。
遺伝子操作やAIなど人類の滅亡に繋がりかねない科学技術が開発され続けている現在の状況は憂慮すべき状況であって、この作品を単に原爆の危険性を訴えた作品としてはいけないように思う。
そして、開発の当事者がこれだけ苦悩していても、原爆が実戦で使用されてしまうという現実は、この問題が開発した研究者を悪者にして事足れりという話でもないということであり、更には政治家を悪者にして事足れりという話でもないということである。
これがインタビューでオッペンハイマーの苦悩を観客にも体験して欲しいというノーラン監督の真意であるように思われた。
---以下、ラストシーンについての記述あり、---
そして、「世界が一瞬にして人類が滅びかねない状況」に変わってしまったということは、同時に、「科学技術に対して我々一人一人の問題として関心を持ち続けなくてはならない状況」に変わってしまったということでもある。
映画は地球に業火が広がっていく映像で終わる。
世界の破滅を予見させるラストシーンの映像は、このことを伝えているのだと思う。
補遺:オッペンハイマーの言葉
映画作品では脚色や誇張が入ることは避けられないので、補遺として前掲のNHKのドキュメンタリー番組からオッペンハイマー自身の言葉を紹介してこの記事を終わる。
※単品:220円(税込み) 購入期限:2025年2月16日
この番組では終盤にオッペンハイマーのインタビュー映像が二つある。
一つは1960年7月に来日した時の映像である。
この時、原爆に関わったことを後悔しているか、という記者の質問に対してオッペンハイマーはこう答えている。
後悔はしていない。
それは申し訳ないと思っていないということではない。
もう一つは1965年にアメリカのテレビ局が行ったインタビューである。
あなたのような科学者は原爆を生み出したことで今も良心の呵責に苦しんでいるように見える、というインタビュアーの質問へのオッペンハイマーの答えはこうであった
私たちには大義があったと信じています。
しかし私たちの心は完全に楽になってはいけないと思うのです。
自然について研究してその真実を学ぶことから逸脱し、人類の歴史の流れを変えてしまったのですから。
私は今になっても、あの時、もっとよい道があったと言える自信がありません。
私にはよい答えがないのです。
オッペンハイマーはこのインタビューの二年後の1967年、62歳でガンで亡くなった。