以前の記事で2001年製作「バニラ・スカイ」までのトム・クルーズの代表作品を紹介しているが、今回は1992年製作の「ア・フュー・グッドメン」を単独で紹介する。
トム・クルーズ主演ではあるが、敵役のジャック・ニコルソンの演技にもなかなかのものがあり、印象に残っていた作品であった。
最近、テレビ放送で再見したのでコメントを以前の記事に追記しようと思ったが、案外長くなったので個別の記事にした次第である。
映画「ア・フュー・グッドメン」(原題:A Few Good Men)は1992年製作、ロブ・ライナー監督のアメリカ映画である。
キューバの米軍基地で、兵士同士の殺人事件が起こった。弁護団は、海軍の暴力的制裁「コードR」が事件に絡んでいることをつきとめる。だが、基地の総司令官ジェセップ大佐の陰謀で、暗礁に乗りあげてしまう。従来の法廷作品と一線を画するのは、つまるところテーマが「軍隊とはなにか」「軍隊は正義か」で、どちらが正しいとも言いきれない状況のなかで争われる点だろう。
トム・クルーズやジャック・ニコルソンなど、豪華なキャストだ。トムは「ジャック・ニコルソンと共演できる映画に出演しない役者なんていないよ」と語っている。確かにトム、ニコルソン、ケビン・ベーコン(検事)がそれぞれの正義、プライドを激しくぶつけあう姿は見ごたえがある。
冒頭シーンで、何十人もの兵士が一糸乱れぬ正確さで銃をくるくる回しながら形態を変えていく。その銃の扱いの見事さにも目を奪われる。(梅澤眞由美)
※上記バナーの Amazon 商品サイトより引用
▼映画「ア・フュー・グッドメン」予告ダイジェスト
本題(ネタバレあり注意)
キューバ米海軍基地で起った不審な殺人事件の真相を弁護士役のトム・クルーズが暴いていくという話である。
殺人事件の被害者であるサンティアゴの死因が、命令による懲罰的行為の結果であることは中盤までに明らかになるが、この作品の核心は犯人が誰かということよりも、法廷での勝ち負けよりも、何が正義かということにある。
弁護士役のトム・クルーズは懲罰的行為を行った二人(ドーソンとダウニー)を弁護する側だが、この二人は命令に従った正義にこだわって、罪を認めるかわりに減刑されるという司法取引に応じない。
何が正義かに苦悩する若手弁護士のトム・クルーズには、これ以前の作品にはない雰囲気が感じられた。
共演女優はデミ・ムーアで、お決まりのパターンで恋愛関係に発展するがこちらの方は添え物的な印象であった。
裁判の焦点は、懲罰的行為が命令によるものだったどうかになり、弁護士役のトム・クルーズは大佐役のジャック・ニコルソンから命令したという証言を引き出すことに成功する。
このシーンは本当に見応えがあった。
トム・クルーズは当時30歳、ジャック・ニコルソンは当時55歳である。
ジャック・ニコルソンの迫力は相当なもので、気圧されるトム・クルーズとの双方の演技に見るべきものがある。
ジャック・ニコルソンはこの作品で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされている。(受賞は「許されざる者」のジーン・ハックマン)
最終的にジャック・ニコルソンは違法な懲罰的行為の命令のために逮捕され、トム・クルーズは裁判に勝つが、命令により懲罰的行為を行った二人は軍に対する背信行為を行ったという理由で除隊処分となる。
この判決に対して「間違ったことはしてない」というダウニーに、ドーソンは「したんだよ、自分で戦えない人を守るのが俺達の務めだ。サンティアゴを守ってやればよかった。」と言う。
こう言ったドーソンにトム・クルーズは「名誉に軍服は必要ないぞ」という言葉をかけ、二人は互いに敬礼する。
このラストシーンも清々しさが感じられて、なかなか良かった。
タイトルの「ア・フュー・グッドメン(A Few Good Men)」は直訳すれば「少数の善人」という意味であり、この場合は誰なのかと考えさせられる。
弁護士陣は正義よりも勝訴を目指しており、懲罰的行為を命令したジャック・ニコルソンにも軍を守る責任があるという大儀があり、懲罰的行為を行ったドーソンとダウニーにも命令に従うのが軍人であるという正しさがある。
そもそもこのタイトルの由来はなんだろうと思って確認してみたところ、下記の「Yahoo!知恵袋」の記事に、
“THE MARINES ARE LOOKING FOR A FEW GOOD MEN“
「海兵隊は若干名の精鋭たちを求めている」
という海兵隊募集のポスターが由来であるという記載があり、このポスターでは「少数精鋭」の意味であるという。
アメリカではこのポスターが良く知られているということならば、多くの人が「愚直に命令を遂行するのが『少数精鋭』ということなのか?」というメッセージを感じ取るのかもしれない。
すると結末はこれに応えて、「それぞれの正義がある中で、弱者は誰なのかという自分の判断に基づいて行動するのが、本当の『少数精鋭』ということなのではないか。」と言っているようにも受け止められる。
基本的にはこういう作りのように思われるが、このタイトルはもっと一般的に、「少数の善人は誰なのか」と言っていると読んでもいいのではないかと思う。
この場合の「少数の善人」は、作品全体としてはそれぞれの正義があることを強調しているから、特定の立場を担っている誰かではなく、それぞれの立場を代表している人達すべてであろう。
社会はそれぞれの立場の人がそれぞれの正義を全うしようとするから、なんとか回っているのであるという現実があると思う。
こう考えた場合、このそれぞれの立場でそれぞれの正義を全うしようとする人は皆、「少数の善人」である。
そして、「名誉に軍服は必要ないぞ」というセリフは、善はどの立場でも為せると言っているとも考えられる。
これを実践する人は「ア・フュー・グッドメン」ではなく「トゥルー・グッドメン」と言えるのではないだろうか。
それ故、この作品の核心には、全ての人が「トゥルー・グッドメン」でありますようにという想いがあるのではないかと思ったがどうだろうか。
個人的には、これが深読みしすぎではないことを願いたい。
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