前回に続いて、ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」の後半の記事である。
※原書の出版は1979年、日本での出版は1982年
▼単行本の装丁
本の概略と前半の感想については、過去の記事を参照されたい。
▼このシリーズの過去の記事
---以下、ネタばれあり注意---
エルフェンバイン塔でこれまでの出来事を聞いた女王・幼ごころの君は、アトレーユと幸いの竜・フッフールに塔で休息するように言って、自らは山奥にいる古老に会いに向かった。
この山の古老こそは、ファンタジー園での出来事を刻々と「はてしない物語」に書いている人物であった。
そして幼ごころの君は山の古老に、バスチアンを本の中に吸い込む秘策を行うように命じるのだった。
※この秘策については前回の記事を参照
ここまでが、前半部分の268ページまでである。
本の中に吸い込まれたバスチアンは、幼ごころの君に新しい名前「月の子(モンデンキント)」を差し上げて、ファンタジーエンに新しい世界を作っていく。
※「ファンタジー園」の原文表記は後半から「ファンタジーエン」
ここから物語全体の主人公がバスチアンになる。
月の子が残していったメッセージは
「汝の欲することをなせ」
であった。
そして、ファンタジーエンにはバスチアンの望みに応じた新しい世界を生まれていく。
しかし、それは自分自身の記憶と引き換えにであった。
望みに応じて新しい世界が生まれていくが、その度に現実世界の記憶は失われていき、これが全てなくなってしまえば現実世界に帰れなくなる。
最初に生まれた新しい世界は砂漠であった。
バスチアンはそこで出会ったライオン・グラオーグラマーンを従僕にする。
ある日、グラオーグラマーンはいつまでもこの砂漠にいてはいけないという。
バスチアンがその理由を訊くと、グラオーグラマーンはこう答えた。
あなたさまはご自身の物語を体験なさらなくてはなりませぬ。ここにとどまっておられてはいけません。
(中略)
ファンタジーエンの道は、あなたさまの望みによってのみ見いだされるのです。
※ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」岩波書店1982, p315 より引用
そして、そのために千の扉の寺を通りぬけなければならないという。
ここで更に望みについて、本当の望みというものが提示される。
千の扉の迷路は、なにかほんとうの望みがあってはじめて通りぬけられるのですから。ほんとうの望みを持っていないものは、自分が何を望んでいるのかはっきりするまで、寺の中をぐるぐる迷い歩かねばなりません。それが、ときにはずいぶん長くかかるのです。
※ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」岩波書店1982, p316 より引用
エンデは何を考えていたのだろう?
自分の本当の望みを知るのは自分でも難しいということだろうか。
人生の要諦である。
とは言え、この望みの違いを説明するのは難しいのではないかなぁ、と思いながらページをめくると、それは「自分自身の深い秘密」だとあっさり説明された。
「『汝の欲することをなせ』というのは、ぼくがしたいことはなんでもしていいっていうことなんだろう、ね?」
グラオーグラマーンの顔が急に、はっとするほど真剣になり、目がらんらんと燃えはじめた。
「ちがいます。」あの、深い、遠雷のような声がいった。「それは、あなたさまが真に欲することをすべきだということです。あなたさまの真の意志を持てということです。これ以上にむずかしいことはありません。」
「ぼくの真の意志だって?」バスチアンは心にとまったそのことばをくりかえした。「それは、いったい何なんだ?」
「それは、あなたさまがご存じないあなたさまご自身の深い秘密です。」
「どうしたら、それがぼくにわかるだろう?」
「いくつもの望みの道をたどってゆかれることです。一つ一つ、最後まで。 それがあなたさまをご自分の真に欲すること、真の意志へと導いてくれるでしょう。」
「それならそれほどむずかしいとも思えないけど。」バスチアンはいった。
「いや、これはあらゆる道の中で、一番危険な道なのです。」 ライオンはいった。
(中略)
「この道をゆくには、この上ない誠実さと細心の注意がなければならないのです。 この道ほど決定的に迷ってしまいやすい道はほかにないのですから。」※ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」岩波書店1982, p317-318 より引用
これは人生そのものではないか!
そして、これがあらゆる道の中で一番危険な道だ!
なんともっともな!
とは言えエンデは、これが人生であることは読み手の児童に意識されなくてもよいと考えていたのではないかと思う。
人が望みを求めていくのであれば、必然的に、いくつもの望みの道をたどって自分の本当の望みに近づいていくしかないからである。
だから、ファンタジーエンという世界として説明されるだけで十分なのだ。
この後、バスチアンはやっとアトレーユと再会する。
このバスチアンとの再会の一幕で、エンデは物語とは何かを語ることによって、自分自身の物語を生きるとはどういうことかを語っているように思われた。
それは、ある登場人物にこう言わせていたからである。
勇士をして勇士たらしめるためには、ときに怪物も必要なんですがね。
※ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」岩波書店1982, p365 より引用
既にグラオーグラマーンが、「自分自身の物語を生きよ」と言っていることを前提とすると、これは自分自身の物語を生きるのに相手役が必要であると言っていることになる。
自分が愛の物語を生きようとすれば、その物語を成立させるための相手と世界が必要になる。
この後、バスチアンは女王・月の子に会うためにエルフェンバイン塔に戻るが、裏切り者の側近・サイーデの策略によって自分が王になろうと欲したバスチアンは、アトレーユと戦うことになってしまう。
既に説明されていたように、望みの道はたどっていかなくてはいけないが危険である。
アトレーユを打ち負かしたものの、勝利は胆汁のように苦かった。
勝利は胆汁を飲んだように苦かった。それでいて、獰猛な勝利感に酔ってもいた。
※ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」岩波書店1982, p365 より引用
そして、アトレーユを追撃するうちにバスチアンは「元帝王たちの都」に迷い込む。
そこは、自分自身の記憶を完全に失うまで望みを使って現実に帰れなくなった、ファンタジーエンの過去の帝王たちの町だった。
この町の秘密をアーガックスという猿から聞いたバスチアンは、ここでやっと現実の世界にもどろうと回心する。
アトレーユと再会してから150ページに渡って語られる長い心の迷いであった。
とは言え、人生の迷いに比べれはまだ短いかもしれない。
そして、「元帝王たちの都」の住人にならずに済んだのだからまだ希望は残されている。
523ページで裏切り者の側近・サイーデの最期がサラッと語られて、バスチアンの話が続いていく。
欲することを為しながら本当の望みに近づいて自分自身の物語を生きる道は、それでもまだ遠いのだった。
ということで、この感想記事もまだ終われないので次回に続く。
▼単行本
単行本は2022年8月29日時点で3,146円。
なかなか素晴らしい内容ではあるが、児童書としてはなかなかのお値段でもある。
▼文庫版はこちら