「青木雄二のナニワ流ゼニの哲学」は、テレビドラマ化もされた「ナニワ金融道」という漫画で知られる青木雄二さんのエッセイ本である。
「ナニワ金融道」は講談社の週刊漫画雑誌「モーニング」に1990年から連載を開始した作品で、講談社公式サイトの著者紹介は以下の通りである。
青木 雄二(アオキ ユウジ)
1945年、京都府生まれ。岡山県立津山工業高校土木科卒業後、関西の電鉄会社に就職する。退社後、岡山にて町役場に勤めるが数ヵ月後に退職。次いで大阪でパチンコ店店員、寿司職人見習いなど約30種の職業を経験する。後に、デザイン会社を設立し約8年間、経営した。1989年、『50億円の約束手形』でアフタヌーン四季賞入賞。1990年、モーニングで『ナニワ金融道』の連載を開始する。1992年講談社漫画賞、1998年手塚治虫文化賞を受賞。近年は漫画のみならず評論家としても活躍していた。『ナニワ金融道』のほか近著に『だまされたらアカン』『ゼニの美学』『青木雄二のどついたれッ』『ゼニのカラクリがわかるマルクス経済学』(いずれも講談社刊)がある。
ヒット作品となった「ナニワ金融道」はその後、1997年まで連載され単行本の最終巻は19巻である。
【内容紹介】
帝国金融に入りたての新人営業マン・灰原が見たものは、金を操る人、金に操られる人がうごめく世界だった。不渡り、夜逃げ、追い込み、差し押さえ……。貸した金はあらゆる手段で回収。法を利用して、人を操り、金から金を生む、それが帝国金融だ。金が人間を変えていく悲喜劇を、コテコテにお見せします。
※上記バナーの講談社公式サイトより引用
著者紹介にもある通り、1945年生まれの青木さんは44歳で1989年に講談社の漫画賞(アフタヌーン四季賞)を受賞するまで間に、約30種の職業を転々とした後でデザイン会社を設立するに至るというなかなか異色の経歴の方である。
1997年の「ナニワ金融道」連載終了時に漫画家を引退し、2003年に肺がんで亡くなられている。
青木さんの漫画は(スクリーントーンを使わない)すべて手書きで、背景の人物一人一人の表情まで生き生きと描くことによって独特の雰囲気を生み出している。
実際には大変な作業であったことだろう。
享年58歳であったというのは、この漫画家時代も含めた苦労の結果であろうことを思うと、社会のシビアさに直面しながらもそこを生き抜いた人生であったのだろうと思われた。
青木さんの初期作品については、「レアまんJapan~レア漫画紹介~」さんの下記の記事を参照されたい。
さて、今回取り上げる「青木雄二のナニワ流ゼニの哲学」成美文庫(2002年)は、
「ナニワの土性っ骨」大和書房(1999年)を文庫化した本である。
章立ては下記の通りで、全73項目である。
第1章 ナニワの底力は新しもん好きから生まれた!
第2章 ナニワのゼニ感覚をお手本とせよ!
第3章 ナニワの商法の秘密はひらめきと才覚だ!
第4章 ナニワの食いもんには理くつはいらん!
第5章 ナニワのお笑いにはほんまもんの人間学がある!
まえがきで、大阪を拠点にしていた青木さんはナニワと東京の違いに何度もビックリすることがあって、これからの社会を変える庶民パワーはナニワにあると書いており、この本の内容は青木流のナニワ東京比較考察である。
関東と関西の違いとして、「馬鹿」と「阿呆」の使われ方の違い、麵つゆの違いなど思いつくものは幾つかある。
こういう具体的な話もいろいろ取り上げられてはいたが、この手の話はただ羅列してもきりがないので、ここでは次のエピソードを紹介するに留める。
東京のそば屋にはじめて入ったときに、冬やったけど、「ざるそば」を食うやつが多いので驚いたことを思い出すな。寒い冬に冷たいもんを食べるというのは、ナニワでは考えられないことや。(中略)あれ見たときはごっつうカルチャーショックを覚えたで、スキー場で、かき氷食うてるバカを発見したようなもんですわ。
※青木雄二「青木雄二のナニワ流ゼニの哲学」成美堂出版2002,p167 より引用
関東に住んでいて冬に「ざるそば」を普通に食べる私としては、これが「スキー場で、かき氷食うてるバカ」に見えるのかという逆カルチャーショックを受けた。
この本はこうした具体的な話も面白いのであるが、やはりポイントは青木さんの考察的な見方であり、それは目次で各項目のタイトルを読むだけでも伺える。
例えば、第1章の6は「ナニワの人間は東京の人間より、あきらかにずうずうしい」であり、次の第1章の7は「関西の人間も、自分で「自分たちはマナーが悪い」と思っている」となっている。
これはずうずうしいのがマナーとして正しいと思っているわけではなく、良いか悪いかと言えば相対的には悪いのだけれど、生き方や考え方が生活において実践された結果としての在り方なのだということなのである。
もう一つ、第1章の12は「ナニワ人は自分の出したゼニに見合うサービスをきったり要求する」であり、次の第1章の13は「面白くない小説には、平気で「ゼニ返せ」と言うナニワ人のシビアさ」となっている。
ゼニにシビアであるということが単にケチだということではなく、それはやはり考え方の実践の結果なのであって、関西人がゼニにシビアということがどういうことかよく伝わってくる。
こうした、生き方や考え方の違いについて指摘の中で最も印象的だったのは、
「ナニワにみなぎっているエネルギーの半分くらいは、笑いのパワーから生まれているという実感もある。」
※青木雄二「青木雄二のナニワ流ゼニの哲学」成美堂出版2002,p196 より引用
ということであった。
この指摘が印象的だったのは、関東に住んでいる私にはこういう実感がないということがあったと思うが、この後の、
テレビのニュースで大阪弁やったら、やっぱりさまにならんかもしれんな。
※青木雄二「青木雄二のナニワ流ゼニの哲学」成美堂出版2002,p205 より引用
という感想には、更に発見を含んだ驚きがあった。
これは、大阪弁にはそもそも笑いの要素が不可分な形で含まれてしまっているということだと思われたからである。
とは言え、関西の人はこれで当たり前という感覚なのだろうなぁ。
日本は狭いがナニワ感覚は遠いと感じられた。
そして、
みんなもっと笑わなアカン!
青木さんがこう言っているようであった。
尚、青木さんの晩年の思いは下記のエッセイ集として追悼出版されている。