今年の2月にあの野村監督が亡くなられていた。
自宅の風呂場での事故死のようである。
10年くらい前に観たインタビュー番組を思い出した。
試合を観ていた訳ではないけれど、マスコミに取り上げられる機会が多くなってからは、ちょっと注目していたのである。
この番組は、各回25分、毎月4回で1人の人物を取り上げるインタビュー番組で、Eテレのシリーズ物なのでテキストもある。
テキストの略歴から球団関連を抜粋するとこうである。
1954年 南海ホークス入団
1970年 監督権選手に就任
1977年 監督解任
1978年 ロッテオリオンズに移籍
1979年 西武ライオンズに移籍
1980年 現役引退
1990年 ヤクルトスワローズ監督に就任
1999年 阪神タイガース監督に就任
2002年 実業団のシダックス野球部の監督となる
2006年 楽天イーグルスの監督に就任
この番組インタビューの2008年は72歳、楽天イーグルス監督二年目の時であった。
野球関連については他の記事が沢山あるので、ここでは人物についてのみ触れる。
テキストを読み直して印象的だったのは次の3つであった。
野村マイナス野球イコール零(野村-野球=0)
失敗と書いて成長と読む
仕事よりも女をとる
自分で「野村マイナス野球イコール零」というほど野球人生であり、失敗を反省し続けて成長し続けたからついてきた結果がある。
「ID野球」と言われるデータの活用も、この失敗を克服するための反省の結果だった。
野村監督ファンには周知のことであろうが、1977年に南海ホークスの監督を辞めたのは、当時の奥さんと正式離婚の前に沙知代沙知代さんと付き合っていたことを糾弾されたからだった。
自ら辞めたのではなく、沙知代さんと別れなかったために解任されたそうである。
これほど仕事に生きて更に仕事よりも女をとったのである。
2017年に沙知代さんが亡くなった時の記事を読んでも、これも野村監督の人柄という気がする。
サッチーに携帯電話を5個も折られて……野村克也さんが阿川佐和子さんに語った夫婦の話 - 文春オンライン
日経ビジネスのインタビューが2020年1月16日にされているので、本当にまだまだ現役であったようである。
残念ながら、追悼記事として掲載される形となってしまった。
追悼 故・野村克也氏が最後に語った「再生」と「自信」:日経ビジネス電子版
享年84歳。
心からご冥福をお祈りいたします。