100分de名著 マルクス・アウレリウス「自省録」(2019年4月) その4 | 日々是本日

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【公式】100分de名著:86「自省録」

※「100分de名著」は各回 25分×4週 = 100分 で毎月一冊の名著を紹介するNHKの番組である。

 

2019年4月の「100分de名著」はマルクス・アウレリウス「自省録」だった。

 

第2回以降を観ると、この本の名著たるところはその実践的な内容によっているということがわかったので記事を追加することにした。

 

 

第4回 は「「今、ここ」を生きる」である。

 

「今、ここを生きる」と言うと実に希望的な感じがするが、この回のキーワードは「死」である。

 

この「死」への実践的なアプローチはこうである。

 

1) 「今、ここを生きる」

 

マルクス・アウレリウスにおいては、「死」への実践的な対応が、「今、ここを生きる」ということであった。

 

その理由は、「過去と未来のことは失うことはできなから」である。

 

そのために、

 

2) すべての行為を生の最後の行為のように行う

 

これが西洋において、「メメントモリ(死を想え)」と言われる所以なのだろうか。

 

いずれにせよ、このように生きなければ我々は、「今、ここに生きる」ことはできずに時間を浪費したり、未来の達成のために今を失ったりするということである。

 

しかしながら、難しいことである。

 

岸見さんはこれは、「一期一会」と言われるように機会を失うことなく、常に最善の決断をしたのだから失敗しても後悔がないように、今を丁寧に生きることだと言っている。

 

3) 利己を捨てる

そして、人が個人の未来のために生きるのではなく「今、ここに生きる」ならば、その意味は他者と共に生きることである。

 

人は一人では今を生きられないからである。

 

それ故、利己は捨て去られ人は共同体の為に生きるのである。



哲学を生きるとは実にこういういうことであった。

 

 

さて最後に、「このように生きて人間はどこに向かうのであろうか」と問うてみたい。

 

アウレリウス自身の表現はこうである。

 

「人格の完成とは、

 毎日を最後の日のように過ごし、

 激することなく、無気力にもならず、

 偽善をしないこと。」

 

これは悟りのようであって悟りではない。

 

仏教は人格の「完成」を目指したりはしないからである。

 

やはり、哲学はどこまでも哲学なのであった。

 

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各回のタイトルは以下の通りである。

 

第1回 自分の「内」を見よ
第2回 「他者」と共生する
第3回 「困難」と向き合う
第4回 「今、ここ」を生きる

 

解説者は哲学者の岸見一郎さん。

 

原典の岩波文庫版の翻訳者は神谷美恵子さん。

 

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100分de名著 マルクス・アウレリウス“自省録” 第4回「“今、ここ”を生きる」