アジャン・ブラム「マインドフルな毎日へと導く108つの小話」
第100話 病気になって何が悪いというのですか
マインドフルな毎日へと導く108つの小話
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原因不明の病になった知り合いの僧侶の話である。
---あらすじ---
知り合いの僧侶が原因不明の病になった。
寺は彼のために手を尽くし、
できるだけの治療をしてみたが治らなかった。
闘病生活が長くなるにつれて、
周囲の人は彼の死期が近いと思うようになった。
寺の住職は彼を見舞い、こう告げた。
「お前のことを支えてくれている者たちを代表して言う。
お前に死ぬ許可を与える。
もう病気と戦わなくてよい。」
その日から彼は快方に向かった。
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著者はこの知り合いの心理をこう述べている。
彼は手を尽くしてくれる周囲のために頑張らなければならないと思っていたが、
住職の言葉でその重責から解放された。
本人の主観視点では著者の言う通り、
よくならなければならないという過度の思いが、
この僧侶を病にし続けていたと見ることができる。
疾病利得の観点での別の解釈もあり得る。
周囲が手を尽くしてくれることは嬉しいことであり、
病気が治ることはそれを失うことである。
病気から得られる周りの世話などを失いたくないために症状が維持されることを、
「疾病利得」と言う。
重要なポイントは本人自身は治りたいと思っており、
意図的にコントロールできないような身体症状が実際に生じているということである。
つまり、それを失う恐れから自分では気づかずに生じるプロセスなのである。
住職が言ったような逆説的な言葉は、こうした逆説的な事態にしばしば効果的な場合がある。
カウンセリングにおける「良いクライアント」の例も同様の構造を持っている。
カウンセリングではまずクライアントとの信頼関係を築くことが重要である。
この信頼関係を前提として、その後ではクライアントの本心が引き出されるのである。
しかしながらクライアントは「良いクライアント」であろうとして、
カウンセラーの期待に沿うように反応しようと頑張ってしまう場合がある。
この場合にはまず、クライアントが「良いクライアント」であることを止めない限り、
面談の回数が進んでもカウンセリングそのものは実は何も進んでいないのである。
そして、「疾病利得」の場合と同様に、本人にはそういう自覚はないのである。
頑張るには、努力すればよい。
頑張らないことは、努力しても難しい。
もっと頑張らないことは、努力するともっと難しい。
ほんとうに頑張らないことは、努力するとほんとうに難しい。
マインドフルな心は、逆説を超える。