「マインドフルな毎日へと導く108つの小話」 第49話 虎と蛇とのはざまで | 日々是本日

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アジャン・ブラム「マインドフルな毎日へと導く108つの小話」

第49話 虎と蛇とのはざまで

 

 

これは仏教の説話によくある「生きるか死ぬか」という話の一つであるという。

 

---あらすじ---

ある男がジャンルで虎に追いかけられていた。

虎がもう少しで追いつくというところで、男は井戸を見つける。

急いで飛び込むと木の根が突き出ていて、

そこにつかまってなんとか底に落ちずに済んだ。

その井戸は枯れていて、底には大きな黒蛇がいた。

黒蛇は男に気づき噛みつこうとしてきた。

男がそれをかわしていると、井戸の壁からネズミが出てきて、

木の根をかじり始めた。

その時、上から何かが降ってきた。

井戸の脇の木から井戸の上に伸びている枝には蜂の巣があり、

そこから蜂蜜が滴ってきたのである。

その蜂蜜をなんとか口で受け止めると男は言った。

「なんて美味しいんだ」

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著者は、この話はここで終わりで、

何もしない知恵があれば、このような状況でも蜂蜜を味わうことができると言っている。

 

この状況で蜂蜜を味わうには、やはり心の余裕が必要だろう。

 

著者は、自分が説法で話す時にはこの後の続きとして、

井戸に飛び込んだ虎は、男に当たることなく蛇の上に落ちて、

蛇も虎も死んだという部分を加えているそうである。

 

その理由について、人生は予測不能だからだと言っている。

 

予測される未来から自由であることも心の余裕につながるだろう。

 

心は目の前の状況からも、予測される未来からも自由であって、

自由な心には、いつでも蜂蜜を味わいお茶を飲む自由がある。

 

静観していると状況が思わぬ方向に変化するということは、

現実にも実際にあることである。

 

この静観する、あるいは放っておくという在り方は、

心理学では問題への「対処(Coping)」と言われており、

「解決」とは区別されている。

 

対処は解決ではないが、取り得る選択のうちの一つなのである。

 

マインドフルな心は、流れが変わるのを待つことができる。