「静か」とは音をたてないことではなくて、
注意を向ける現象がないこと。
著者は芭蕉の句を例に挙げている。
閑さや岩にしみ入蝉の声 (芭蕉)
蝉の声はしているがそれは光景の一部であり、
特に注意を引くものではないから静かなのだと言う。
だから「静かにせよ」とは、他の人が注意を向けてしまうような
ことをするなということである。
「静か」とは心の動きを表した言葉でした。
周りに工事の騒音が響いていようとも、
気にならないほど集中していれば私の心は「静か」である。
著者はもう一つ、人は外に注意を向けない時、
自らを見つめると指摘している。
静かなところで瞑想していると、湧き出す雑念に注意が振り回されるのを経験する。
周りに音がなくても私の心は「静か」ではないのだ。