■「ウィンドウズ10」で盛り上がらず
10月1日午前、東京・日本橋の高級ホテル「マンダリンオリエンタル東京」の一室。関係者によると、ナデラはお忍びで富士通社長の山本正已と面会した。
「アマゾン(・ドット・コム)に対抗するため、一緒に徹底的に攻めましょう」
ナデラは1時間ほどの面会中、山本とじっくり話し込んだ。語り口は今までのマイクロソフトの経営者のように熱心そのもの。ところが、肝心の話の内容は、ビル・ゲイツ、スティーブ・バルマーといった歴代経営トップの時代から様変わりしたという。
対アマゾンで共闘を呼びかけたのは、一般ユーザー向けのタブレット(多機能携帯端末)などハード分野に進攻してきたアマゾンを警戒してのことではない。今まで以上の連携を富士通に求めたビジネスは、ネット経由でアプリケーションソフトや情報システムを自由に使える「クラウド」だ。アマゾンが先行するクラウド市場の攻略について、ナデラは山本との面会時間の大半を費やした。
一方で、ナデラは次期基本ソフト(OS)「ウィンドウズ10」には、ほとんど触れずじまいだったという。この日はウィンドウズ10の話題で盛り上がっていいタイミングだったのにもかかわらず、だ。
実は、2人が日本で会談する半日ほど前、マイクロソフトは本拠地の米国で、ウィンドウズ10のプレビュー版の発表会を開催していた。当然、ナデラは不在。マイクロソフトにとって、「ウィンドウズの世代交代」は大切なイベントの一つであるはずだが、ナデラはアジア出張を優先した。
ウィンドウズ10は現行の「ウィンドウズ8」を継ぐOSだ。本来なら、「ウィンドウズ9」という名前がついておかしくないが、マイクロソフトはあえて1つ飛ばして、ウィンドウズ10と名付けた。ナデラ自身も「一つずつ数字が増える今までのような延長線上にないということ。10は変化と進化を示す数字を選んだ」と説明しているが、そんな意気込みとは裏腹の行動をとり続けている。
ナデラが隠さないマイクロソフトの「ウィンドウズ離れ」。伏線は半年前にあった。
■捨てた「ゲイツの哲学」
ナデラのCEO就任から2カ月後の4月初旬。ライバルの米アップルや米グーグルもよく利用するサンフランシスコ市内の会議場で、マイクロソフトはソフト開発者らを集めた技術発表会を開いた。来場者は5000人に達し、マイクロソフトがなおIT(情報技術)業界で注目される企業であることを示したが、壇上のマイクロソフト幹部が告げた一言に、聴衆の誰もが耳を疑った。
「ウィンドウズを無償で提供することにしました」
ウィンドウズ部門を率いる上級副社長、テリー・マイヤーソンの説明によると、無償の対象は画面サイズが9型以下のタブレットとスマートフォン(スマホ)。限定的とはいえ、個人や法人の最終ユーザーにとっては、その分、端末費用が安くなる。
「ソフトウエアは有料であるべきだ」――。ゲイツら歴代経営者は、こんな金科玉条をかたくなに守ってきた。誰でも開発に参加できる無料のOS「リナックス」が出回ったとき、ゲイツの後を引き継いだ前CEOのバルマーは「癌(がん)のようなものだ」と切って捨てたこともある。
■花形は知らない
「ウィンドウズ無料」の宣言は、そんな哲学をマイクロソフト自身が捨てることを意味する。会場にいたナデラが発した一言が、今のウィンドウズとマイクロソフトの立ち位置を物語る。 「我々は今、挑戦者なんだ」
パソコンだけならウィンドウズは今も90%以上のシェアを持つが、スマホやタブレットなどのモバイル機器を含めて比べると、わずか14%と大きく下がる。パソコンに代わって情報機器の主役となったスマホ単体では3%にも満たない。そんな現実をナデラは直視しただけだった。
ナデラのマイクロソフトへの入社は1992年。この年にマイクロソフトが発売した「ウィンドウズ3.1」は人気が高く、ゲイツは世界中で注目の経営者になっていた。そして、1995年秋にデビューした「ウィンドウズ95」は、パソコンを爆発的に普及させる起爆剤になった。そこからウィンドウズとマイクロソフトの黄金期が始まっていくが、その中心にナデラはいなかった。
ナデラはインド出身。地元の大学を卒業すると、米国の地を踏んだ。最初の就職先は米サン・マイクロシステムズ。マイクロソフトに転職した当初は苦労の連続だった。平日はワシントン州シアトル郊外の本社で働き、週末の夜は飛行機に飛び乗り、シカゴ大学のビジネススクールに通ったこともある。若くから本流を歩んだスーパーエリートとはいえない。
マイクロソフトの社内では、企業向けの情報システムに使うソフトウエア、検索サービス、そしてクラウドなどの仕事を任されてきた。ウィンドウズなど社内で目立つ仕事と比べ、「花形」とはいえなかった仕事だ。そして、バルマーらに「次のCEOを任せたい」と告げられたとき、マイクロソフトの「成功の方程式」は完全に崩れ去っていた。
■「8は傲慢の象徴」
ウィンドウズ全盛期の成功の方程式は、パソコン用OSで圧倒的なシェアを誇るウィンドウズ、そのウィンドウズと相性がいいビジネスソフト「オフィス」のライセンスビジネスだったが、この根幹が今や揺らいでいる。ウィンドウズの存在感は小さくなり、オフィスに爆発的な成長力はない。そんな過去のビジネスモデルはもう限界ではないか。ナデラに見切りをつけさせたきっかけの一つは、ウィンドウズ8の誤算だ。 2012年10月にウィンドウズ8を発売したとき、マイクロソフトは窮地に追い詰められていた。アップルやグーグルはスマホやタブレットで勢力を猛スピードで拡大中。個人ユーザーを再び振り向かせるため、マイクロソフトがデビューさせた切り札こそ、ウィンドウズ8だった。
ところが、「スタート」ボタンをなくすなど、先代の「ウィンドウズ7」からの変更が大きすぎて、ユーザーの不評を買った。戸惑ったのは、個人ユーザーばかりではない。マイクロソフトの牙城である法人市場でもそっぽを向かれてしまったのだ。
あるパソコン大手の首脳は「8はマイクロソフトの傲慢さの象徴。法人と同じように個人市場も取りにいけると勘違いした結果、法人市場でもアップルやグーグルに攻め込まれている」と証言する
■なお9割が「ウィンドウズ7」
事実、法人に強いパナソニックでは、およそ2年たった今でも顧客企業の9割が「7」を選んでいるという。個人の好みや流行の影響を受けやすい個人向けと違い、法人向けは、ウィンドウズが圧倒的に強い市場だったが、アップルなどの攻勢が無視できなくなりつつある。
「全面的かつ継続的にサポートする」10月上旬、ナデラは、自社開発のタブレット「サーフェス」について異例のコメントを発表した。CEOが一製品についてコメントをわざわざ出すことは極めてまれだった。 「サーフェスを『いつかやめるんじゃないか』って絶対に思われたくないからでしょう。事業として行き詰まったからやめる、ということになったら法人顧客は困る。そう思われたら、他社のタブレットに流れてしまうでしょ。そして、もう一つの理由があるんじゃないですか」
あるIT大手の幹部はこう推測するが、この「もう一つの理由」とはアップルと米IBMとの提携のことだ。長年のライバルだった両社は7月に業務提携の締結を発表、100以上のビジネスソフトを共同開発するだけでなく、アップルの「iPad」をIBMの顧客企業に売り込もうとしている。 アップルと異なり、IBMは法人向けのITサービスで圧倒的な存在だ。まだ結果は出ていないが、調査会社IDCジャパンのアナリスト、片山雅弘は「法人顧客はそもそも、アップルのサポートの弱さからiPadの導入をやめようとしていた。ところが、アップルとIBMとの提携で、考え直し始めている」と解説する。 ウィンドウズの成長とともにマイクロソフトが巨大化していったゲイツ時代、その威光を引き継いだバルマー時代、そして、陰りの見えた「マイクロソフト帝国」を引き継いだ3代目のナデラ時代。創業世代ではないナデラに、ゲイツやバルマーのような誰もが認めるほどの成功体験はなく、過去へのこだわりもない。マイクロソフトは、「次の時代」へと転進しきれるのか。
■閉鎖された「シリコンバレーの頭脳」
ナデラが就任して以来、マイクロソフトの株価は20%超上昇。同じ期間のダウ平均の上昇率を10ポイント以上、上回っている。直近の7~9月期決算もクラウドとモバイルに力を入れる戦略が奏功したためか、前年同期比25%の大幅増収。ナデラは決算会見中、「ここまでの進捗に満足している」と自信ありげに語ったが、決して順風満帆のスタートを切っているわけではない。
大幅増収をみせつけた7~9月期決算も、純利益は前年同期比13%減。大きく目減りさせた。「古いマイクロソフト」を壊すリストラが続き、その費用がかさんでいるからだ。
米国西海岸シリコンバレーのマウンテンビュー市。観光名所にもなっているグーグルの広大な本社キャンパスから車で3分ほどの郊外に高級感の漂う白いオフィスビルがある。
「マイクロソフト・リサーチ・シリコンバレー・ラボ」――。この研究所はITバブルのピークだった2001年に設立され、約50人の研究者が分散コンピューティングシステムなどの研究を進めていた。コンピューターの世界のノーベル賞とも呼ばれる「チューリング賞」を受賞した研究者が在籍していたことでも知られていたが、9月中旬に突然、閉鎖された。
■消えない解体論
ナデラは7月、全世界の従業員の14%に相当する最大1万8000人の人員削減計画を決めた。これまで聖域視されがちだったウィンドウズ部門や研究開発部門までリストラのメスを入れているが、周囲から心配する声が絶えない。
「次に分割への道を選ぶのはマイクロソフトではないか。クラウド中心の法人部門、ゲーム機などの消費者部門に分かれた方がよいのではないか」
シリコンバレーの名門企業、米ヒューレット・パッカード(HP)が会社分割を発表した10月初旬、こんな見方が米国メディアの間で取り沙汰された。HPが決断した会社分割から、「マイクロソフト分割」の連想が広がったのだ。 それだけ、誰もがマイクロソフトを「圧倒的な優良企業」とは見ていない。ナデラが勝負の土俵と見据え、将来の収益源と考えているクラウドの世界も、マイクロソフトの勝利が保証されているわけではない。アマゾンやグーグルなど強力なライバルが控えている。
最初のウィンドウズである「ウィンドウズ1.0」を1985年に発売して30年近く。ナデラとマイクロソフトは、ゲイツ時代から引き継いだ最大の遺産、ウィンドウズへのこだわりを捨てた。
吉と出るか、凶と出るか。負けられない賭けに出た。