イナセハギノミコトって誰?稲背脛命を追跡! 印西市各所・神崎町・いすみ市 | 未知の駅 總フサ

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千葉県=東国は蘇我氏に縁の地であったという痕跡を探し、伝承・神社・古墳など諸々を調べています。

百嶋神社考古学にご興味を持たれた方はブックマークの「新ひぼろぎ逍遥」さんを訪ねてみてください。

麻賀多神社の記事をまとめている中で

イツコリさんに教えていただけたので

忘れないうちに記事にします。

 

みなさんイナセハギノミコトってご存じですか?

古事記に出てくる方で、国譲りの時に大国主(大己貴命)が事代主に意見を聞くために遣わしたのが、この方です。

 

このイナセハギノミコトがなんでか印西市にだけ祀られているんです。

ただしどれも境内社としてで、すべて疱瘡神社です。

 

笠神社

印西市笠神字笠神前797

 

熊野神社

印西市角田字梨子木1

 

鳥見神社

印西市中根字宮馬場1339

 

鳥見神社

印西市萩原字邉田谷1424

 

八幡神社

印西市中根字門屋敷1092

 

日枝神社

印西市竜腹寺字堂崎632

 

宗像神社

印西市平賀字宮前1

 

宗像神社

印西市山田字宮前94

 

分布としてはこのような感じになっています

割と狭い範囲に集中しているんですよ

 

県内ではこのエリアだけでしか祀られていないイナセハギノミコトなのですが、実は別の名前だと割とあちこちにいらっしゃいます。

稲背脛命はこのお名前の他に

 

大背飯三熊之大人

武三熊之大人

武日照命

武夷鳥命

天夷鳥命

天日照命

鳥之石楠船神

天鳥船神

阿波伎閉委奈佐毘古命

 

などと同一神であるとされています。

しかし、なぜこんなに別の名があるのか?

それが古代の千葉県の謎を解く鍵でもあると思うのです。

おそらくイナセハギノミコトという名は出雲系の人々の間での呼び名で、大背飯三熊之大人は多氏、阿波伎閉委奈佐毘古命は完全に忌部からの呼称だと思われます。

武夷鳥命=隼人系、天夷鳥命=海人族ではないかなぁと。

鳥之石楠船神に関しては、彼が生前はすごい航海技術の持ち主で、それこそ鳥が飛ぶように速く船を操ったことからの異名ではないかと思います。

 

そして彼は出雲・多氏・忌部・隼人・海人族のすべてと血縁がある人物であったのだと推測します。

古代の千葉県にはいろいろな氏族が移住してきて、共存していたのだと思います。助け合って生活してきた彼らは次第に婚姻関係を結んでいって血族となっていったのではないかと。

その為同一人物にいろいろな名称が生まれたのだと思います。

え?

それでも同じ呼び方には統一できるだろうって?

現代の我々には名前は一つですが、

ちょっと前の明治時代ぐらいまで世襲する名前がある家もあったぐらいですからね。江戸時代なんて武士は幼名から始まって元服名やら家督継いだらまた名前が変わってとか、あったじゃないですか!

しかも古代世界においては、氏族毎にルーツも違えば、使っている言語も異なっていた可能性が高いです。

別々の民族と言っても過言ではありません。

古代の人々は大陸から移住しながら最終的に日本に渡って来た人々です。自分たちのアイデンティティを守るためにも、代々継がれている「名前」にはこだわりがあったと思います。

でもそれらは唐の介入により言語も思想も統一を図られて、氏族に伝わっていた記録も焚書にあい、手掛かりは極わずか。

もちろん言語も失われてしまって、その所為で現代の私たちには同じ人物のことなのに、別々の人物ではないかという誤解が生じたり、言葉の意味や名前の理由が伝わっておらず、まったく解読できなかったりという事になってしまったのだと思います。

 

 

次にイナセハギノミコト以外の名前で祀られている神社を

ご紹介しましょう。

天鳥船神という名で祀られているのがコチラ。

 

神崎神社

神崎町神崎本宿字鳥居前1944

 

拝殿

取材に来たのはいまから3年前です

隣接して社務所があるので、ぐるっと回りこめませんでした

神紋は五七桐

男千木

 

 

「千葉県神社名鑑」によれば御祭神は天鳥船命・少名彦名命・面足命・惶根命・大己貴命。

御由緒は

 

白鳳2年、常陸国と下総国との境である大浦沼二つ塚より現在の地に遷座した。「三代実録」所載の子松神社で、元亀・天正の頃まで、神領700町歩を有した。徳川時代は、代々御朱印20石を寄せられた。六所鎮守、神崎大明神、神崎大社等と称せられていたが、明治元年以降、神崎神社と改称されている。明治6年郷社に列し、大正10年県社に昇格した。

神事に御田植祭、流鏑馬祭、御舟木祭

 

 

「千葉県神社明細帳」では御祭神は少名彦名命・大己貴命。相殿に面足命・惶根命。後年本殿に合祀された久延毘古神社御祭神不詳・水神社水波能賣命。

御由緒は

 

白鳳2癸酉年2月朔日常陸国河内郡●下総国香取郡之交際なる大浦沼の二島より小松村字神嵜双生山之頂上に御遷座 壬丑社殿は則宮の造営成賜う処也 旧号は則小松神社三代実録に現在す 又六所鎮守又神崎大明神又神崎大社又明治元以還神﨑神社と号す

 

明治期に調査された時には「天鳥船命」の名がないんですよ。

でも近年にはお名前が連なっているのは二つの可能性が考えられます。

1つは後から合祀された。

もう1つは長い間隠されていた。

どちらなのかはわかりませんが、それよりも重視するのが遷座していることです。

もともとは現茨城県にあったことが記載されています。残念ながら元宮地がどこなのか、調べてもわからなかったのですが「二つ塚」や「二島」。また旧住所の小字が「双生山」であることから、古墳上にあった可能性が高いです。

それを裏付けになるかは不確かですが、当時はまだそんなにスピ能力のなかった私が肌で感じた雰囲気が市原市の島穴神社と似てたんですよね。島穴神社の御祭神も古墳の方です。

なのでここの御祭神も古墳の人(被葬者の人)だと思います。

 

 

ちなみにここには水戸様で有名な「なんじゃもんじゃの木」があります。

 

 

それと神崎神社は境内の周囲をぐるっと森が囲んでいるのですが、

確か本殿の裏から小径に入れるんですよ。

木々の間を抜けていく小径なんですが、その道沿いに境内社が点在しております。

 

白山大権現

小径はこんな感じ

蜘蛛の巣、あったかなぁ

天満宮

地主稲荷

鹿島神社・香取神社・かまど神社

子安子育聖観音

三峯神社

不明です

 

「千葉県神社明細帳」によれば境内社15社

 

稲荷神社(受持命)

地主の神と称す 神嵜神社御遷座以前稲荷神社の社地なるを以て再力いうなり

多賀神社(伊弉諾命、伊弉册命)

麻疹神社(大物主命)

菅原神社(菅公霊神)

神明宮(大日霊貴)

白山神社(不詳)

香取神社(経津主命)

鹿島神社(建甕槌命)

竈神社(火産霊命)

八幡神社(応神天皇)

八坂神社(素戔男命)明治7年焼失

三峯神社(大名持命)

猿田神社(猿田彦命)

琴平神社(大物主命)

国御柱神社(級戸辺命)

神武天皇遥拝所

招魂社

 

 

他に息栖神社に主祭神の相殿に天鳥船命が祀られています。

以前にも記事にしましたね、懐かしい~

 

こちらの主祭神は久那戸神で、

相殿に天鳥船命と住吉三神が祀られています。

 

 

武夷鳥命としてはコチラ。

 

三嶋神社

いすみ市上布施字三島997

 

民家の横にあったと思います

一見なんの神社かわからないのですが

中を見ると扁額があるのでわかります

 

こちらは治承4年上総権介平広常の創建で、

大山祇命・武甕槌命・武夷鳥命・素戔嗚命・大国主命を祀っています。

 

建比良鳥大神としては、

 

稲荷神社

いすみ市作田字鴻巣1694

 

御祭神として倉稲魂大神と共に祀られています。

詳しい由緒は不詳。

 

すみません、取材に行けていないです。

グーグルマップで確認したところ男千木でした。

ただ創建が元禄元年なことと、

境内社に四方神社があることしかわかりませんでした。

 

 

ちょっとだけスピ話ですが、先日のイツコリさんのお話だと

イナセハギノミコトはあるグループの長であったそうです。

ただ何故かイナセハギノミコトを題材にした神楽の面だと

鼻毛を強調された面になっているんですよ~(汗)

思ったんですが、こういうことをするのは絶対に敵側の

卑しい人間性の人達だと思うので、

「貶めることが目的」でこういう面が伝わったと思うんですよ~。

鼻毛だってね、本当は口ヒゲの濃い方だったかも

しれないじゃないですか。

それが誇張されて表現されているのではないかと思うのです。

結構神名の漢字にも「貶めることを意図した」当て字とかも

あるよなーと思うんですよ。

例えばイザナミ・イザナギも「伊邪那美」じゃないですか。

本来ならば「伊佐」とかだと思うんですよ。

「邪」という悪い意味の字を当ててくるところに藤原氏の

陰湿さを感じます。

 

 

最後に神崎神社の麓にあった神社が気になったので

ご紹介します。

 

八坂神社

神崎町神崎神宿字宮下235

 

神崎神社の駐車場に行く途中の道路沿いにありました

男千木 御祭神は建速須佐之男命です

看板によると正徳2年(1712)の創建

一説では櫛稲田姫を祀るとも

境内にある石祠

 

私が注目したのは、上の画像の歌なんですよ。

「お神輿渡御の詠歌」の歌詞なんですが、

歌いだしが

 

あさひさす ゆうひかがやく そのもとに

こがね花さく いづみはなも

 

とあるんです。

これってよくある黄金伝説に伝わる歌と同じなんですよね。

いまのところ埋蔵金伝説があるかどうかは不明なのですが、

すんごい気になったので取り上げてみました。

 

香取地区の神社は県内の中でも本当に謎に包まれているので

調査が難航してなかなか記事にできないのですが

おもしろいところはたくさんあるので

取材にいったらまたお届けします♪