房総のヒーロー?日本武尊ヤマトタケルの伝説③ | 未知の駅 總フサ

未知の駅 總フサ

千葉県=東国は蘇我氏に縁の地であったという痕跡を探し、伝承・神社・古墳など諸々を調べています。

百嶋神社考古学にご興味を持たれた方はブックマークの「新ひぼろぎ逍遥」さんを訪ねてみてください。

【富津市】
●吾妻神社 西大和田字吾妻作
御祭神…日本武尊・弟橘姫命
社伝によれば日本武尊が東征の際、海神の怒りを鎮める為に身を捧げた弟橘姫の遺品(櫛といわれている)が流れ着いたので当社を建てて奉祀したという。尊が当神社から鹿野山に進撃する時、尊自身が白鳥となって鹿野山に飛んだとか、吾妻神社から白鳥が飛び立ち案内したという。尊は当地に来た際に姫を慕い「ああ吾が妻よ」といったことから地名になったという。この伝説に基づいて当神社のある吾妻山の別名を恋が峰・恋が崎とも呼んでいる。当神社には馬だし祭りという祭礼があり、遺品の櫛を浜で馬が拾い当神社に駆け上がったという伝承から始まったという。

●天降神社 山中字西澤1652
御祭神…日本武尊
元禄10年1697創建。

●金谷神社 金谷字新町4020
御祭神…豊受姫命・金谷山毘古神・日本武尊
通称「鉄尊様・鉄尊権現様」。養老4年(720)伊勢外宮から分霊を勧請、地主神・金谷山毘古神と併祀し、金谷神社としたのが始まりという。古くから産業神として崇められ、隣接してある社には海から引き揚げた大鏡鉄がある。この鏡鉄は質の良い砂鉄で造られており、たたら製鉄で作られたものだという。社伝によれば文明元年(1469)神社西方の海で漁師たちが光る物を発見、引き揚げようとしたが容易にあがらないので神社に祈ったところ、鏡板が二つに割れ、ようやく引き上げることができたという。この大鏡は古代に日本武尊が東征の際、船首につけていたものであるといわれている。特殊神饌の朝饌アサミケ供えがある。

●貴布禰神社 富津1174
御祭神…弟橘姫命
弟橘姫命が入水されたとき御身に巻いていた白布が漂着したので祠を建てて貴船神社貴布禰明神と称して崇敬した。また白布が漂着した地を布流津といい、これが転訛して富津となったという。

●熊野神社 更和字貝津田441
御祭神…伊弉册命(現在は熊野神)
景行天皇が当地に泊まった際に熊野神を祀ったという。当村は旧称木村(紀村)で御止宿の地を神宿という。大正4年聖神社(少彦名命)日枝神社(大山咋命)大武神社(日本武尊)日枝神社(大山咋命)を合祀 昭和27年羽黒神社(事代主命)を合祀。

●住吉神社 竹岡字十宮12
御祭神…祓戸大神(現在は表筒男神、中筒男神、底筒男神等住吉十柱神)
三柱神社末社。拝殿背後の巨石が御神体。日本武尊が東征の際、この住吉の神が先導をなし上総への水先案内を果たしたという。初ごもり(春祈祷)で御神体の磐座に注連を張る。

●日月神社 佐貫字西野登路54
御祭神…天照大御神、月夜見命
日本武尊が東征の際、鬼泪山を平定するにあたり日月の幡を建て天照大神・月読尊に武運を祈ったことが創始の始まりで、素盞嗚尊も併せて日月神社として奉斎した。一時期神社の傍に「日月星山天羽院放光寺」があった。放光寺縁起によれば文武天皇683~707の頃、中納言大臣高市丸が霊夢により吉野詣で得た吉野姫は長じてその美貌と歌舞管弦の才を開花させ、その舞姿は天女が天羽衣を翻すが如くであった故に、天皇から天羽姫の号を賜った。姫は天皇崩御の後、この佐貫の里に入り髪を下ろし尼になられたが、その最後の舞には天人が舞い降り共に舞ったという。姫はその後村人が日月星山の傍らに作った庵に住み、日神月神に七郷の氏子の安寧を祈り過ごした。姫亡き後、日月星山のあらたかな霊験を伝え聞いた人々により門前市をなすようになった。天保14年1836火災により神社の古事等は失われた。境内社は琴平神社(大物主命)八坂神社(素盞嗚命)古峯神社(日本武命)秋葉神社(加具土命)日枝神社(大山咋命)浅間神社(木花咲耶姫)水神社(水波能賣命)。

●八雲神社 岩坂字白坂74
御祭神…素戔嗚命・奇稲田姫命・大己貴命・少彦名命
景行天皇40年(110)日本武尊が東征の際、当地に神籬磐境を立て、素戔嗚命を祀ったことにより阿久留王を討つことができたという。のち景行天皇53年(123)に天皇が東国巡幸の際、当地に社殿を造営し八雲大神の神号を与え磐鹿六獦命(現宮司の祖先)に命じて祭祀を行わせ天羽郡総鎮守と称したという。天文年中(1532~55)火災により社伝焼失、永禄11年(1568)に再興。境内末社に慶長6年(1601)内藤長政が造営した東照宮(徳川家康)があったが、嘉永6年(1853)にはすでに旧跡となり御神祭だけが行われていたという。

●八坂神社 富津字原町1465
御祭神…速須佐之男命他六柱
日本武尊が相模より当地に渡ってきて神籬を建て素盞嗚尊を祀ったという。日本三大蜘蛛相撲大会が開かれている。

●龍岳リュウガク神社 上字龍岳谷1032
御祭神…日本武尊
創建年代、由緒不詳。現在は浅間神社・御嶽神社が合祀されている。

●数馬かずま
地名は日本武尊が馬を数えたことから名付けられたという。

●桜井字駒場さくらい あざ こまば
日本武尊が駒をつないだ場所という。

●鬼泪山きなだやま 桜井・桜井総称鬼泪山
別名・血泪山ちなだやま。鹿野山に連接している山で現在はマザー牧場になっている。伝説では日本武尊が東征の際、当山で蝦夷の首長・阿久留王と対決したといい、阿久留王は涙を流して命乞いをしたことから「鬼泪山」という山名になったという。尊は阿久留王をバラバラにして埋め、首塚は神野寺から下町に降りる旧道の坂道にあり、その坂道は首坂と呼ばれている。また昔篠部地区では62歳になると年寄りを鬼泪山に捨てたという姥捨て伝説もある。

●染川そめかわ
日本武尊と鬼が戦った時、鬼の血で流れが赤く染まったことから「血染川」と呼ばれたが、いつしか「染川」に変じた。

●千種新田ちぐさしんでん
地名の「千種新田」は地先の浦の名が千種浦と称したことにちなむ。この千種は日本武尊が鹿野山の阿久留王と戦った際、浦が血生臭くなったことから「血臭浦」と名付けられたのが「千種浦」に変じたという。また千種川も血臭川と呼ばれたのが由来だという。

●富津ふっつ
里伝によればもとは布都(ふつ)と称した。他、風津・布津が混用された。地名は日本武尊東征の際、海神に身を捧げた弟橘姫の衣が流れ着いたことから「布流津(ふるつ)」と呼ばれそれが転訛したといわれている。布引海岸という地名も残る。

●三舟山みふねやま 富津市障子谷
別名・御船山、見舟山。大貫駅の東西方向、郡ダムの近くにある山。戦国時代は里見氏と北条氏の合戦場にもなった山で姥捨て伝説もある。伝説だと日本武尊が東征の際、相模より船で着て山の北麓に到着したことから、御船山と名付けたという。また一説には山形舟に似ていることから見舟山と呼んだとも。



【船橋市】
●入日神社 海神字上組3-7-8
御祭神…天照皇大神・
日本武尊
旧村社。日本武尊が東征の際、湊郷に着船し当地にて伊勢の天照大神を拝し東夷降伏祈願をしたという。この時海上の無人の小舟より神鏡を得たので、それを靈代にして奉斎した。また景行天皇が当地にきた際、洪水で当社へ行けず船を浮かべて橋とし高岡(現在の意富比神社の鎮座地)に神社を遷座させたため、意富比神社の元宮とも言われている。境内に稲荷神社(宇賀魂神・稚産霊神・大己貴神)庚申塔、山王大権現がある。

●王子神社 八木ヶ谷字王子5-1-2 長福寺の敷地内?
御祭神…伊弉册命
創建年代、由緒不詳。欅の大木の根元の穴の中に白蛇がいたという伝説がある。明治44年(1911)石尊神社(字西庭:
日本武尊)と境内社の子安神社(玉依姫命)庚申社(猿田彦命)、白幡神社(字白幡:誉田別命)境内社の雷神社(別雷命)、王子神社を合祀し改称。大正5年(1916)若宮神社、庚申社、雷神社を合祀。境内社に天満宮・正八幡・子安大明神・八坂神社・浅間神社がある。

●意富比オオヒ神社(船橋大神宮) 宮本字宮之内5-2-1
御祭神…天照皇大神
相殿…萬幡豊秋津姫命・天手力雄命
旧県社。式内社意富比神社に比定されている。神明社、伊勢神宮の分祀ともいわれるが元は伊勢神宮の御厨であったことにちなむ。創祀は日本武尊が東征の際、湊郷にきたとき人々が大旱で苦しんでいたので祭場を建て伊勢神宮を拝祭して征夷と降雨とを乞うと黒雨が降り民はみな喜んだ。これにより天照大神の霊代として神鏡を奉安したという。一説には尊が海上の捨て船の中から発見した神鏡を天照大神の霊代として祀ったともいう。のち社地を夏見に移したが、その後現在地に遷座。平安初期には意富比神であったが現在は天照皇大神。社名の「意富比」は大火または大炊の意味で「おほいの神」は御食津神を意味するという説がある。宝暦5年(1755)の「意冨比神社御鎮座伝記」に「相殿の祭神外宮は、中、止由気御饌都の大神」とある。この伝記によれば本殿に天照皇大神宮・豊受皇大神宮、左の社は八幡大神宮、右の社は春日大明神、伊勢皇大神宮を朝日の宮、当神宮を夕日の宮と呼んだと書かれている。また元船橋市海神の入日神社に漁人たちが海神を祀ったのが起こりであるとの説、古墳時代に農民により農耕神として祀られたのが当神社の起こりとの説がある。境内にある灯明台が立つ小丘は円墳と推定されており覆宮塚と称される。また当神社の神官である富氏の始祖は景行天皇第4子・五百城入彦尊だという。慶応4年(1868)船橋戦争にて焼失、明治6年(1873)再建。十二座神楽の系統の太々神楽が伝わる。境内社は豊受神社(豊受姫命 相殿:瓊々杵命、天兒屋根命、太玉命)八雲神社(須佐之男命、大己貴命、稲田姫命)常磐神社(日本尊命 相殿:東照宮、秀忠公)天神社(高皇産霊命)祈年穀社(若宇賀賣命、級長津彦命、級長戸辺命)浅間社(木花開耶姫命)稲荷社(宇賀之魂命、雅産霊命、大己貴命)天満宮(菅原道真公)猿田彦神社(猿田彦命)大己貴神社(大己貴命)三嶽神社(大己貴命、少名彦命、日本武尊)磐長神社(磐長姫命)大国主神事代主神合社(大国主命、事代主命)信吉神社(表筒男命、底筒男命、中筒男命)粟嶋神社(少名彦命)琴平神社(大物主命 明治41年八剱神社(建速須佐之男命)を合祀)大山祇神社(大山祇之命)厳嶋神社(田心姫命、市杵嶋姫命、多気津姫命)豊玉姫命か葺不合命社(豊玉姫命、ウガヤフキアエズ)柿本人麿社(柿本人麻呂)阿夫利神社(大山祇命、日本武命)多賀神社(伊邪那岐命)鹿嶋神社(武甕槌命)香取神社(斎主命)根神社(大己貴命)龍神社(表津海童命、中津海童命、底津海童命)船玉神社(天鳥船命、信吉命)客神社(瓊々杵命)産霊神社(面足命、惶根命)安房神社(太玉命)秋葉神社(香具槌命、水波女之命、埴山姫命)水神社(水波女之命)春日神社(武甕槌命、齋主命、天兒屋根命)大鳥神社(日本武命)竈神社(奥津彦命、奥津姫命)道祖神社(久那斗神、道長乳歯神、衢神)祓所神社(瀬織津姫命、速秋津姫命、気吹戸主命、速佐須良姫命)玉前神社(玉依姫命)八幡神社(本多別之命、息長足姫命、武内宿禰命)琴平神社(大物主命 大正12年日枝神社水神社を合祀)。

●神明神社 夏見
御祭神…不明
以前大神宮に移転合祀した神明神社の跡地。伝説では日本武尊が雨乞いをした場所。

●道祖神社 船橋九日市字通町
御祭神…久那斗神、道長乳歯神、八衢神
創立年代、由緒不詳。境内社は三峯神社(大己貴命、少名彦命、日本武尊)。

●茂侶神社 船橋五日市字砂山
御祭神…木花咲耶姫命
創立年代、由緒不詳。境内社は阿夫利神社(大山祇命、日本武命)。

●海神かいじん
地名は日本武尊が海神(意富比神社)を祀ったとの伝承にちなむ。

●米ヶ崎町こめがさきちょう
地名は日本武尊が伊勢神宮を夏見に奉祀した際、当地から新穀を奉じたため「米が先」と称したことにちなむと伝える。

●夏見なつみ
地名は日本武尊が東征の際、葛飾野の手ごわい敵と日照りに苦しめられ大変な苦戦をしいられた。そこで尊は雨乞いをすることを思い立ち高間原(現日枝神社周辺)で儀式を行った。するとたちまち黒雲が生じ海の方にたなびいた。その時、会場に一隻の船が現れその中に八咫鏡があった。尊は浜に持ち帰り新しく宮を建てたという。神鏡の船を最初に見たのが夏であったことから名付けられたという説、磯菜を摘んで神に捧げたことから菜摘の郷と称したという説がある。また景行天皇が東征の際、里人に地名を尋ねたところ都の言葉が理解できなかった里人は今何をしているのかを答えたため「なつみ」という地名になったともいう。

●船橋ふなばし
地名は日本武尊が東征の際、海老川を渡る為に舟を連ねて橋を作り渡ったという伝説にちなむという。



【松戸】
●金山神社 根本字金山344
御祭神…金山比古命
創建年代、由緒不詳。境内社は大鷲社(大武尊?)疱瘡神社(大己貴命、少名彦命)。

●高龗タカオ神社 六高台1-15
御祭神…高龗神(現在は日本武尊
明治6年に創建。

●松戸神社 松戸字宮田1457
御祭神…日本武尊
寛永3年(1626)創建。安政の大地震で拝殿倒壊。元は御嶽大権現。日本武尊が船橋に伊勢大神を奉斎した後当地に来て従者の吉備武彦連と大伴武日連と待ち合わせをしていたので当初を待処の郷と称し尊の御陣営の地に社を建てた。御嶽神社の頃に水戸光圀が当地に狩りに来た。

●松戸まつど
地名は日本武尊が東征の際、従者と待ち合わせた場所に祠(現松戸神社)を建てたという伝説から「まつさと」→「まつど」に転訛したとする説がある。



【南房総市】
●愛宕神社 中
御祭神…日本武尊
通称「愛宕さま」と呼ばれている。口伝によると正徳年間から正月に福引が伝わっていたという。

●熱田神社 千倉町大貫字宮田1441
御祭神…日本武尊
養老元年717の創立。永禄5年1562社殿修復宮司・秋野中務殿藤原堯次とある。太神宮と呼ばれていた。

●熱田神社 千倉町千田字五反畑517
御祭神…日本武尊
石祠。

●熱田神社 御庄字林545
御祭神…日本武尊
文亀3年1503創立。

●大井神社 大井801
御祭神…伊邪那岐命、大山祇命、日本武尊、伊弉冉尊
通称おくまんさま。天保4年1833にはあった。

●小滝神社 白浜町白浜字塩浦
御祭神…日本武尊
同所浅間神社末社。

●莫越山ナゴシヤマ神社 沓見字神梅253
御祭神…手置帆負命・彦狭知命称小屋安大神(或称地主神)、彦火々出見尊称神梅大御神
相殿:豊玉姫命称子安大神、鸕「茲鳥」草葺不合尊称問子大神
延喜式安房国六坐の1つ。国司祭参加社。通称小屋安さまコヤヤスサマ・祖神さま。神武天皇辛酉元年天冨命が斎部の諸氏を率いて東土開拓に来た時に天小民命・御道命も随従し工匠の職に奉仕。その祖・手置帆負命と彦狭知命を祀る。神酒醸造、粥占、猿田彦の舞などが伝わる。境内社は若宮神社【小民命、御道命 相殿:稲荷神社(宇賀御魂命)白鳥神社(日本武尊)白山神社(伊邪那義尊)八雲神社(建須佐之男命)山祇神社(大山祇命)宗像神社(市杵嶋姫命)】琴比羅神社(大物主命、崇徳天皇)猿田神社(猿田彦命)石神社(玉依姫命)。大正4年八幡神社(誉田別尊)神明社(天照皇大神)を合祀。

●波切神社 白浜町白浜字小戸
御祭神…日本武尊
創建年代、由緒不詳。

●御嶽神社 大井字久保
御祭神…日本武尊
享保4年1719創立。

●御殿山ごてんやま 南房総市御子神
山名は日本武尊が東征の際、安房を平定した後に四方を一望できる当山に御殿を建てたことからついたという。南麓塩井戸の御子神織右衛門家の家記には里見家がこの辺りで鷹狩を屡々行ったので御殿をこの山に作ったことから名付けられたという。また昔この山で雷獣を捕まえて食べたという記録がある。山頂には二基石祠があり1つは石尊大権現で昔は雨乞いをしていたという。塩井戸や御子神の衆は羯鼓舞を奉納したと伝えることから、もう一つの石祠は御子神地区にある王子神社の奥社であり、祭神日本武尊を祀ったものと考えられている。

●御子神みこがみ
元丸山町。江戸期は御子神村。地名は村域にある王子神社(日本武尊の皇子を祀る)にちなむ。または「み(水)・こ(処)・がみ(上)」で沼沢地のある高くなっている所という意味か。


【睦沢町】
●鵜羽神社 岩井字宮ノ前831
御祭神…彦火々出見命、豊玉比賣命、鵜葺草不合命
元は鵜羽山大明神と称した。『鵜羽大明神縁起』によると上総国一之庄祝郷は日本武尊が東征の際、当地に立ち寄り兵が湧水で喉を潤したという。以後岩井と改め帝御即位の時、高殿の御湯引の清水をこの地から奉ったと言う。大同元年806豊田庄の海辺で一顆の玉を得て漁屋に納めて尊崇する者があり、土人は玉依姫の神霊として右大臣百川に上申した。そのころ平城帝の御夢に釣ヶ岬の天孫降臨の故地に神霊を鎮め奉るようにとの御神託があったので、帝は上総介に命じて八神六社を祀らせた。神霊二座をまつって玉崎の社と名付け、別に岩井の郷にも二座を鎮め奉って鵜羽山と呼び、他に南宮・二之宮・三之宮・玉垣の四社を玉前六社としたという。祭礼の起源は大同元年(806)とも嘉祥三年(850)8月8日ともいい、この日は鵜茅葺不合命の御降誕の日であるという。この8月8日が、現在9月8日に行われている御漱オミスリ祭。

【茂原市】
●東神社 柴名字竜之谷(滝之谷)
御祭神…倭健命
創建年代、由緒不詳。

●東神社 法目字上人塚1057
御祭神…蛭子命(現在は日本武尊
万治元年1658勧請、元は市神社で字仲町に鎮座。

●鷲大オオトリ神社 鷲巣字西ノ谷18
御祭神…日本武尊、瓊々杵尊、蒼稲魂尊、大日孁貴命、天穂日命他四柱(現在は天日鷲神、日本武尊、天穂日命、倉稲魂命、大日孁尊他五柱)
神紋…三光紋
元禄2年1689創建。鷲宮大明神(鷲妙見大菩薩)を祀る。

●猿田彦神社 真名字古屋敷
御祭神…日本武尊
創建年代、由緒不詳。天照大神末社。

●芝崎神社 上太田字芝ヶ谷2037
御祭神…日本武命
白雉16年勧請(天智天皇4年とも)。元は皇子大明神。

●橘神社 長尾字市場台1463
御祭神…弟橘媛命、日本武尊、健稲種命
宝亀770~781・天応781~782の間の創建。景行天皇40年に日本武尊が走水の海を渡る時に身を投じた姫の流れ着いた衣を神璽とした。社殿の床下に塩釜という赤土の塊があり、姫の衣を納めて埋蔵したものだという。十二座神楽を伝える。

●橘神社 本納町御船形(辻戸田)738
御祭神…弟橘比賣命
相殿:日本武尊、忍山宿祢
式内社。景行天皇41年に日本武尊が創建。日本武尊と姫の父・忍山宿禰は元慶8年(884)に合祀されたという。地名の「本納」はもとは「帆丘(ほのおか)」で社の森の形が船に似ており、往時は真ん中に高い木があったのでさながら帆柱に見えたことから名付けられたが折れてしまったという。伝承では弟橘姫を乗せた船がこの浦に寄ったといわれ現在でも鎮座地は御船形という。本殿の背後には姫を葬ったという古墳があり、この墳墓を築くために土を掘った跡にできた池を吾妻ヶ池と称している。この古墳には姫の櫛を納めて墓としたする説、御骸を葬ったとする説とがある。寛政4年(1792)社頭が大破したため工事をしようとしたが神木と御廟に挟まれ狭くて工事に支障がある為、社職の者と村役人・氏子が相談の上、神木を伐採し御廟の裾を切り開いてもよいか神意をうかがった所、後ろの地所を切り開いてよいとの意がでた。そこで鍬を入れた所、土中から11の瓶・壺が出土したため骸が納めてあると思い驚いて封印し本殿に納めたという。この神は忌む物が6種あり鹿葦毛馬が社内に入ること、イグサ・菅・茶・麻等をつくること、鷹狩を忌むという。御浜下り・お的神事・鶏饌眞名箸料理神事を伝える。

●玉垣神社 下之郷字小谷371
御祭神…神日本磐餘彦尊
大同2年807創建。正徳5年1715玉垣大明神の極位を奉授、玉前六社の一つで「若宮」。御漱オミスリ祭を伝える。境内社は大杉神社(大物主命)三峯神社(日本武命)八坂神社(建須佐之男命)浅間神社(木花咲耶姫命)日吉神社(大山咋命)道祖神(八衢比古命、八衢比女命)。

●天満神社 榎神房字榎谷(神房前)236
御祭神…菅原道実公
寛政3年1791創建。大正元年子野神社(倭健命)八坂神社(素盞嗚命)水神社(水波ノ賣命)合祀。

●長谷ナガヤ神社 長谷字馬場568
御祭神…天照大神、誉田別命
仁和8年892創立。境内社は明星神社。大正10年柳谷神社、西宮神社(事代主命)日枝神社(大山咋命)熱田神社、馬場神社、日本武神社(日本武尊)熊野神社、水神社を合祀。

●八幡神社 茂原字本町196
御祭神…誉田別命
寿永3年(1184)藤判官代邦道の創建。境内社は三峯神社(日本武尊)御嶽神社。

●平野大神 小林字宿谷1234
御祭神…日本武尊
元和4年1618社殿建立。

●船着神社 押日351-1付近
御祭神…不明
社名は往時日本武尊が船でこの地に降り立ったことにちなむという。その時に夕日を見て「惜しい日だ」と言ったことから当地は「押日」という地名になったという。

●鉾崎神社 吉井下字大宮﨑654
御祭神…日本武尊
創建年代、由緒不詳。元慶元年877建立。

●御嶽神社 芦綱字神武谷275-1
御祭神…日本武尊
寛政2年1790に芦網551に創立。土地改良に伴い現在地に遷座。

●八劔大神 桂字小谷307-1
御祭神…日本武尊(現在は素盞嗚命)
元禄14年1701建立。大正2年小瀧大神(面足命)水神社(水波ノ賣命)天満天神(菅原道真公)八剱大神(日本武命)を合祀。

●榎神房えのきかんぼう
地名は日本武尊が子ノ神社に館を造り滞在されたので「神房」というようになったという。近隣にも同じ地名があったので榎の大木があったことから後に「榎」を冠した。

●大登おおのぼり
日本武尊が当地に仮の陣を設けたともいわれている。

●押日おしび
日本武尊が日没を惜しんだという場所。

●神房かんぼう
日本武尊が留まった場所。同地に尊が休憩したという武ヶ越山がある。

●法目ほうめ
地名は日本武尊の乗船していた船が難破し、その船の帆柱を埋めたので帆埋(ほうめ)と名付けたがいつの頃からか法目と書くようになったという。

●法目粥米地区
里人の粥を炊いて日本武尊に差し上げた。

●本納ほんのう
地名はもと帆丘と称した。帆丘の由来は古く日本武尊が船で難破し、西の丘陵にその船の帆柱を埋めたことが由来となったという。本納についてはやはり日本武尊が弟橘媛の遺品を奉納して塚を築き祀ったことから「奉納」と称していたのが転訛し「本納」となったか。

●真名まんな
地名は日本武尊が東征の際この地を通り休息した折り、村人が献上した水が非常に美味であったので「これ天の真井なり」と申されたことから「真井(まない)」となり、転訛して「まんな」となり「真名」の字があてられたといわれている。尊に献上した水は東前の堰の上にある「タンタン前の清水」ではないかという説がある。



【八千代市】
●熱田神社 佐山字大山台1921
御祭神…日本武尊
応永元年1394創建。獅子舞を伝える。

●熱田神社 平戸字西ノ上288
御祭神…日本武尊
創建年代、由緒不詳。

●日枝神社 麦丸字本郷1336
御祭神…大山咋命
明応8年1499当村を開拓した櫻井五郎が勧請。境内社は八坂神社(素盞嗚命)仙元社(木花開耶姫命)稲荷社(稲倉魂命)妙正社、三峯神社(日本武尊)道陸神社。明治44年熊野神社(伊弉册命)と境内社の妙正神社、雷神社(大雷神)を合祀。



【横芝光町】
●東山神社 遠山字本郷612
御祭神…早玉男命、伊弉册命、事解男命
紀伊国熊野大御神を勧請。日本武尊が武社姥ケ山に鬼神を成敗した時、郷人は鬼神を三段?に埋めた。その地名を三太刀台といい埋めた塚を鬼塚と呼ぶ。また賊徒の墓を並塚という。東山社の地名は日向といい、古墳が宮垣の中にある。神木は一つなのに枝が三つに分かれ磐根堅く結び千有余年は経っていると思われる。



【四街道市】
●天照皇大神社 物井字台870
御祭神…伊弉諾命、伊弉册命、事解男命
元は熊野大神。大正元年に部落内の各神社を合祀し改称。大正元年大日神(大日霊女貴命)境内社羽黒神社(稲倉魂命)熊野神社(伊弉諾尊、伊弉册尊、事解男尊)飯綱神社(稲倉魂命)月山神社(月読命)石高神社(倭健尊)秋葉神社(河具突智尊)香取神社(経津主命)八幡神社(品陀和気命)大宮神社(天津兒屋根命)朝日神社(天照皇大神)を合祀。