生まれは甲州鶯宿峠に立っている
なんじゃもんじゃの股からですよ
大正3年、山梨生まれ。
方代は本名で、その由来は生き放題、死に放題のホウダイだと、著書の中で言っています。そのあたりで既に伝説めいた御仁ではありませんか。
散りあらそえり瞳は盲いていく
戦争で右目を失明し、残る左目も白内障や緑内障を患っていた方代は横浜や大船あたりを転々とし、最後は鎌倉の小さなプレハブ小屋「艸庵」に永住。
ここらあたりは相州鎌倉郡字手広 艸庵の札下げてこもりたり
瑞泉寺の和尚がくれし小遣いを たしかめおれば雪が降りくる
長谷坂の坂のくぼみを卯の花が白くこまかく染めて散っている
いつもみボサボサの髪にみすぼらしい身なり。話すことはその時々で全く違う、と
つかみどころのない方代。
しかし、例えば瑞泉寺の住職は方代が訪ねれば必ず1万円を「お布施だよ」と言って渡したり、長年の知り合いが、住むところのない方代のために自分の家の敷地にプレハブ小屋を作って電気や水道もひき住まわせたりと、多くの人が彼の人柄に親しみを覚え、その独特のユーモアに惹きつけられてしまうのです。
ある朝のできごとでしたこおろぎが
わが欠け茶碗とびこえゆけり
おのずからもれ出る嘘のかなしみが
すべてでもあるお許しあれよ
いつまでも握っていると石ころも 身内のように温まりけり
冬の日が部屋に溜まって赤いので
両手でそっと掬い上げてみる
寂しくてひとり笑えば茶ぶ台の上の茶碗が笑いだしたり
こんなにも湯呑茶碗があたたかく しどろもどろに吾はおるなり
彼は酒好きで、昼から飲むのはあたりまえ、八幡宮前あたりをカップ酒片手に散歩していたそうです。ただ、彼の「酒」は人前、特に女性と話すことの怖さを紛らわせるためのものだったのかもしれません。そんな気弱なところもある方代なのでした。
あきらめは天辺の禿のみならず 屋台の隅で飲んでいる
わからなくなれば夜霧に垂れ下がる
黒きのれんをわけて出てゆく
焼酎の酔いの醒めつつ見ておれば 障子の桟がたそがれてゆく
一生を独身で過ごした方代。
それでも、彼の歌にはなんともいえない色気があります。
桑の実に口赤く染めてかわしたる
かの指きりのことはまもれり
くらがりの鏡のすみに鼈甲の 櫛落ちておるせつないのだよ
声をあげて泣いてみたいね夕顔の 白い白い花が咲いている
茶碗の底に梅干しの種二つ並びおる
ああこれが愛と云うものだ
一度だけ本当の恋がありまして 南天の実が知っております
一度だけの恋の相手。それは同人仲間の広島の女性でした。肺病を病む彼女を見舞いに行き一世一代の愛の告白をしますが、やんわりと断られ、それ以後二度と会うことはなかったようです。
地上より消えゆくときも人間は暗き秘密を一つ持つべし
誤って生まれ来しことのあやまちを 最後に許し死なしめ給え
私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう
めずらしく晴れたる冬の朝なり 手広の富士においとま申す
方代は昭和60年、肺がんのため70年の生涯を閉じました。
異端の歌人、放浪の歌人と呼ばれながら一方で「方代さん」と
多くの人に親しまれた彼の歌碑は瑞泉寺にあります。
手のひらに豆腐をのせていそいそと
いつもの角をまがりて帰る
