ふくわらい | BOOKROOM

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本と本屋が大好きな私の、おすすめする本です。

「ふくわらい」(西加奈子 朝日新聞出版)


昔から、表情というものについて

つらつらと考えていたことが

いくつかあります。


例えば、表情の豊かな人と乏しい人について。

豊かな人は、表情の手持ちのカードが多い。

出力段階も細かい。

そしてそういう人は、

他人の表情の意味を

読み取る能力も高いことが多い。

とすると、表情の豊かさ、乏しさというのは

手持ちのモノサシの、目盛りの違いのようなもの?

1ミリ単位のモノサシの人と

5センチ単位の人とでは

発するものも、計る能力も

違うということなのか?


とか


しかし、抱えている感情の濃淡や深さと

モノサシの目盛りは別のものだから

すごく葛藤したり感動したりしても

顔に出にくい人もいるし、出まくる人もいる。

器の中の液体の温度は

モノサシでは計れないなあ。


とか


親子というのは表情の型が似ているけれど

子は親からモノサシの目盛りの付け方を

習うわけで、

子は親の資質や家庭環境を選べないしなあ、


とか


夫婦というのは他人なのに

表情がすごく似てくる。

一緒にクラスというのは

影響力が大きいものだ、


・・というようなことを考えていたのです。


最近私の胸にしみたのは

「表情を読み取るモノサシの目盛りの

とてもこまやかで繊細な人のすごさ」でした。

はっきりと発言していなくても

ただよっているもの、漠然とした不安、

何かを探している気配、

そういうものを読み取ったうえで

成熟度の高い言葉を放つ。

その、場を整えたり

人の痛みを撫でたりする人への

最高品質の信頼。


そんなことを感じていたときに

読んだのが、この

「顔」がとても重要なこの小説。

最近とんと小説を読まなくなっていた私ですが


世の中と上手に接続できない人たちが

それぞれ、欠落や、痛みや、ゆがみ、

心許なさを抱えつつ

自分のやり方で世界と向かい合うことの切なさ。

そして、人が解放されたり

つながれるようになることの、凄さ。

意表をつく展開の

不意打ちの連続にやられてしまって

久しぶりに、小説で泣きました。