
古処誠二
『線』★★★★
最後の新刊は『メフェナーボウンのつどう道』だった記憶
でもパプアニューギニアの地図を見たら再読?
再読でした。。
心に沁みる。
今月は古処月としましょうか(笑)
戦争月ですね。
色々な意味で、、
「もう連絡してこないで」
「わたしに興味ないでしょう?」
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人は恐怖より信頼で動く生き物だった。
「お前はしばらく死なないだろうよ。俺もしばらく死なない。後ろの老兵と坊主もしばらく死なない」
「どうして言い切れる」
「勘だ」
「腹がへっては戦はできぬとは、まったく非の打ち所のない諺だな」
勝手に上陸してきて勝手に腹をすかせている。原住民にはまったく不可解な人間だった。目の光る鉄の獣を操り、奇声をあげる鉄の鳥を操る力を有していながら、なぜか食い物に困っている。あげく他人のものを盗んで回る。そんな苦労をするくらいなら、さっさと自分の国に帰ればいいはずだった。
壕内にまで押し寄せた爆風にうなじが焼けた。降り注ぐ泥は熱湯のようで、掩蓋のない壕に入った者たちは残らず悲鳴を上げた。母親を呼ぶ班員の声がし、そばで誰かがのたうち回った。
すべてが悪循環に陥っていた。不信が不正を招き、不正が不信を煽り、他人を押しのけることばかりに誰もが懸命だった。
「死んでしまえば苦労はない」
「敵弾に当たらないまま後退してくる兵隊は卑怯者だ」
味は感じられなかった。熱帯性マラリアが味覚を奪っていることはもとより、塩がないからだった。
兵隊生活とは、端的に言えば流離に他ならなかった。
「自分がよく言い聞かせておきます。分隊長殿、どうか今日のところは堪えてください」
ふと鳥肌が立つのを感じた。濡れた軍衣のせいではない。意図せずに発した自分の言葉がこの世の本質を突いているような気がした。
望む平和の形が異なるから戦は起きる。
「虚言を信じずに誰がこんな戦を耐えられますか」
虚言を虚言と言い放つ人間が行く場所などない。戦時とは、きっとそういう世の中のことだった。
「家に帰りたいって顔してるな。お母ちゃんに会いたいか」
戦地で触れる上官の脆い心は毒でしかなかった。
馬の涙ほど身に応えるものはない。
馬のわがままに対しては無言で見つめるのが最適だと実家で学んでいた。
争いに幕を引く方法は、泣くことと譲ること以外に知らなかった。手のかからない点ではありがたくとも、親からすれば不甲斐ない子供だったはずである。
この時代に兵隊となった男はことごとく不幸だった。
苦戦が続いていると誰でも一度は捨て鉢になるのだと言葉が継がれた。
「あんたも独り身だろう。なに、心配いらない。今はいい義足もある。金鵄勲章をもらえば嫁取りにも苦労はない。年金もらって瀬戸物屋
を開くのも悪くないだろうよ」
昨夜の上等兵が饒舌だったのも、戦傷は名誉で戦病は不名誉という不文律があるからだった。
「おたく、マラリアは?」
「ありません。妙なところばかり強運で」
これまで死なずにいたことも強運なら、「戦傷」による後送となったことも強運である。
「どうもこの戦はうまくないと思いますね。兵隊さんに申し訳ないですが、素人のわたしから見てもニューギニアには手を出すべきではなかったと分かります」
「とにかく、こんな土地は一刻も早く捨てるべきです」
「・・・・・・偉そうなこと言うな」
十歩進むにも時間のかかる戦病者に辟易し、武勇を誇示する戦傷者いも辟易していた。
「今日にでもまた白豚が来るきに、コンビーフとビスケット奪っちゃる」
ニューギニアは悪疫と泥濘の世界である。
マラリアはときに記憶も削ぐ病だった。
「勝ち気なところはさすがに工兵だな」
タコツボで耐える兵長には、永遠にも感じられただろう。
兵長の意識は二度と戻らなかった。夜を待って本陣地へ運び込んだときには息を引き取っていた。
兵は飢えつつある。米の備蓄はあると言われているが配給量はまた別の問題なのだろう。戦いがいつまで続くのか誰にも分からず、節食に節食が重なっていた。砲爆撃による野戦倉庫の焼失も勘案すれば、とにかく毎日食えるだけでありがたいと思わねばならなかった。
脳症を起こしたマラリア患者も、自分が狂っているとは思っていないだろう。
「ぱんぱんだよ。目なんか糸のようだ」
戦だからドンパチやると思っていたら大間違いだと、大陸を経験した兵隊に聞いたことがある。
歩兵でも、よほど機会がなければ銃など使いはしない。ただ歩き、ただ寝床を確保する。目的も知らされないまま駐屯地を出たかと思えば、平原の真ん中で二句三句と露営して引き返すことも稀ではない。無意味の反復には頭がいかれそうになるという声すら聞いたことがあった。
大陸における戦がそうとなれば、水の溜まるタコツボでの時間は拷問といって間違いない。
ソロモン諸島のガダルカナルという島でも戦いが激しさを増しているという。
「台湾軍は元気がええ。裸足とは恐れ入る」
バサブァ最後の陣地は泥水と腐水と下痢に占められ、生者と死者の区別すら満足につかなかった。
日本の将兵は勝手に飢え、勝手にやみ、勝手に死んできた。
自然の力に人智はおよばない。
名も顔も消し去られていく。
よくできた下士官とは、物事を曖昧に処理する人間に違いなかった。
「借りは必ず返すけん」
人は死とともに無になる。