『みかづき』
 森絵都
 集英社 2018年11月25日

「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです」

太陽の光を十分に吸収できない子どもたちを静かに照らす存在になれたら──そんな理想からはじまった「塾」経営、迷い、悩みながら教育と向き合う親子三代の物語を通して、教育の意味や意義を真っ直ぐに問いかけてくる作品。


『正義や美徳は時代の波にさらわれ、ほかの何ものかに置きかえられたとしても、知力は誰にも奪えない。』

『十分な知識さえ授けておけば、いつかまた物騒な時代が訪れたときにも、何が義であり何が不義なのか、子どもたちは自分の頭で判断することができる。』
-p. 23

「より多くの子どもたちに月光をそそぐことは、塾に通えない事情を抱えた子どもたちに、より濃い影を落とすことにもつながるのではないか──。」
-p. 207

「子どもの教育へ投資を惜しまない家庭と、塾の授業料を払えない家庭。この溝を誰が埋めるのか。」
-p. 475

「教育は子どもをコントロールするためにあるんじゃない。不条理に抗う力、たやすくコントロールされないための力を授けるためにあるんだ──。」
-p. 592

『どんな時代のどんな(教育本の)書き手も、当世の教育事情を一様に悲観している』

『最近の教育はなってない、これでは子どもがまともに育たないと、誰も彼もが憂いている。もっと改善が必要だ、改革が必要だと叫んでいる。』

『常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない』
-p. 602


森絵都先生の作品は(覚えている限り)はじめましてだが、冒頭から胸が熱くなるような、鼻の奥がツンとするような、鳥肌が立つような、心を揺さぶる言葉が満載で、すぐに引き込まれてしまった。

昭和36年から始まるので、最初は自分が生きていない時代、物心つく前の時代について描かれているが、時代が下るにつれ、「学校5日制」、「東進ハイスクール」の「サテライブ」、「セーラームーン」、「ハンカチ王子」、「ビリーズ ブートキャンプ」のようなキーワードが顔を覗かせ、その時の社会の様相などが思い出しやすく、懐かしさも感じた。

600ページ超え、「大河小説」といわれるだけあって、読後は

#パンチンコ
  ミン・ジン・リー

『海賊と呼ばれた男』
 百田尚樹

を読んだ時のような、不思議な脱力感と深い満足感に包まれた。



我が家には小学生がふたりいるので、学校や学校の先生方には感謝の念でいっぱいだけれど、大変そうだなといつも見ている。なぜなら何度教育改革を重ねても、「落ちこぼれ」が減らないのは、年齢で輪切りにした一斉授業のせいだと私は思っているから。

私は教育の専門家ではないが、日々膝を突き合わせて子どもの勉強を見ていれば、同じ課題を与えられても、何度練習したらできるようになるか、どんな説明をしたら理解できるようになるかは、子供によって全く違うし、それが当たり前だとわかる。また、一旦できた、わかったこととでもこまめに復習をしないと、スッカリ忘れてしまうこともあると知っている。

平均より「できる」子も「できない」子も、自分に合った進度、難易度の学習ができれば、それぞれ伸びてゆくだろうし、成長とともに差が縮まってゆくことだってあると思うが、現行の学校制度の中で、それを実現するのは難しいようだ。

家族がフォローできる家庭や、お金を出して「外注」できる家庭は良いが、そうでない家庭の子の中には、自分に合った学習内容や学習方法に出会えず、学習の面白さを知ることも、学習習慣をつけることもなく、大人になってしまう子がいるかもしれない。

公教育で必要最低限の知識を得て、考える力、生きる力を育むことは、全ての子どもに保証されるべき権利だと思うが、公教育の意思決定層にいる人たちは、「一律」「一斉」が「平等」だと本気で考えているのだろうか。