『日本人が知らない戦争の話』
──アジアが語る戦場の記憶
山下清海
筑摩書房 2023年7月10日
「私たちは、かつて日本軍がしたことをどれだけ知っているだろうか」
長年アジアに残る戦争の記憶に耳を傾けてきた地理学者が、日本人が知っておかなくてはならないこと、忘れてはいけないことを記す。
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・アジア・太平洋戦争はかつて太平洋戦争と呼ばれ、日本とアメリカの戦争というイメージが日本では根強く、中国や東南アジアにおける日本軍の侵攻や占領統治について、よく知らないという日本人は多い。
・戦争とは単に敵味方が争うものではない。戦闘が繰り広げられるその場所は、多くの住民の生活の場。
・中国にとって満洲事変は決して忘れてはいけない国辱の出来事、満洲国に言及する場合には必ず「偽満洲国」と表記される。
・1929(昭和4)年にアメリカから始まった世界恐慌は日本経済にも大打撃を与えた。主要な輸出品であったアメリカ向けの生糸輸出が激減したことで、農村が疲弊し、多くの銀行や会社が倒産した。
・満洲開拓は軍事的な目的のほか、満洲の広大な土地を占領・開拓することで、昭和恐慌で疲弊した農村の経済の立て直しや食糧増産などを目的に推し進められた。日本国内だけでは景気回復が困難だったために考え出された策だった。
・1936年から行われた満洲農業移民100万戸移住計画は、五反(50アール)以下の農地しか持たない貧しい小作農を年間で100万戸移住させる計画だ。
・1937年に日中戦争が始まると、国内労働力の需要が高まり、開拓移民を送り出すことが困難になった。このため若年層を送り出す満蒙開拓青少年義勇軍が考え出される。
・1945年には満洲開拓団員は約27万人に達し、そのうち約八万人が亡くなったといわれる。
・ソ連が日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告すると、関東軍やその家族たちは即座にトラックや列車で満洲国の東部へ避難した。民間人や満洲開拓団の家族たちがソ連侵攻を知ったときには、現地に取り残されている状態だった。
・満洲開拓団員の多くは、農家の次男三男などだったので、故郷に帰っても居場所がなかった。彼らの多くは再び新天地を求め、農業に適さない地などへと向かった。
・1936年、ハルビン市に関東軍防疫給水部の研究施設が新設される。撤退する際に多くの資料が焼却され、証拠が隠蔽されたため、そこで何が行われていたかについては不明な点も多いが、細菌戦の研究・遂行のため、生体実験などが繰り返されていたことが明らかになっている。
・日本軍は南京を占領、約2ヶ月にわたり、多数の中国軍捕虜や民間人を殺害、暴行し、略奪、放火なども行った。
・中国政府は重慶に遷都し、そこを抗日戦争の拠点とする。重慶に地上部隊を投入できなかった日本軍は、爆撃を開始、無差別爆撃による直接の死者だけで11,885人にのぼる。
・日本軍にとってシンガポール陥落は東南アジア占領への軍事的足場を確保したことを意味した。
・1942年、シンガポールでは「大検証」「華僑粛清」として知られる憲兵隊による検問がはじまり、曖昧で恣意的な基準によって、抗日分子だと選別された華人が殺害された。
・台湾・朝鮮をはじめとするアジアの多くの国では、皇民化政策が実施され、創始改定、日本語教育、天皇崇拝、神社参拝、日本時間、お辞儀などを強制。
・日本軍はインドネシアで捕虜4万人、民間人9万人のオランダ系住民を強制収容所に抑留、多くの死者を出した。
・日本はパターン半島攻略により、3年以上にわたり、フィリピンを占領した。占領下の皇民化教育の強制や日本兵による暴力は、スペインやアメリカによる支配で西洋文化の影響を強く受けてきたフィリピンの反日感情を高め、抗日ゲリラへの参加を促した。
・ソ連が日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告すると、関東軍やその家族たちは即座にトラックや列車で満洲国の東部へ避難した。民間人や満洲開拓団の家族たちがソ連侵攻を知ったときには、現地に取り残されている状態だった。
・戦争を語る上で抜け落ちてしまいがちな「戦場で苦しむ民間人の視点」、それこそが戦争の悲惨さや無意味さを具体的な体験に裏付けられた重みをともなって語り継いでいくうえで重要な要素。
⋆日本人は、アジアの人々が戦争を、どう語り継いでいるかということに、もっと関心を向けなければならない。
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「戦争は過去の一時期の話だけで終わるものではない。今につながる話であることを認識する必要がある」
という記述も印象的、
世界には「反日感情の高い国/地域」があるという点に触れた上で、日本人はまずその理由をしっかり考えた方が良いという記載もあった。
加害側である国の国民が何も知らない、事実をきちんと認識していない、忘れたような顔でいることが、加害側の感情に火をつけ、油を注ぐということもある。
適した表現ではないかも知れないが、かつて「日本のため」「国のため」と信じて戦った世代の人びとが年老いて、この世から去ってゆかれているからこそ、改めて日本人が犯した罪やあやまちについて学び直し、議論することができる時期が来たのではないかという気もする。
著者も指摘されているが、歴史は「日本史と世界史両方の視点から学ばなければならない」し、自国の解釈と、国際的な解釈違いにこそ、より深く知らなければならない、考えなくてはならないヒントがあるのだと思う。
また、
「何事でも、ある程度の基礎知識がないと、そもそも興味をもつことができず、避けてしまいがち」
とあるが、その通りだと思うし、日本史の教科書には、アジア・太平洋に関する内容にはページがほとんど割かれていない、授業での扱いも少ないという現実はある。
だが、やはり大人になってから
「学校では教わらなかった」
というのは言い訳にもならない。きっかけは何であれ、学校の歴史教育が不十分だと気が付いたのであれば、そこから広く情報を求め、知識を増やす努力をしなくてはならないと私は思う。
戦争に関することに限らず、世の中のことを全てを知ることはきっとできない。だけど、常に「自分には知らないことがある」「わからないことがある」という意識を持ち続けることは、絶対に必要だと思う。
