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『母という呪縛娘という牢獄』
齋藤彩
講談社 2022年12月16日
「いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」
医学部を目指して9年間浪人生活を強いられた娘が、それを強いた母を殺害。
「多くの家族が、『良かれ』と思いあまって互いに束縛し、苦しめあっている。それが殺人事件にまで発展するのは極端な例だが、そこに至る芽は、多くの家庭に内包されている。」
-p. 13
「母にとっては助産師になるという約束を果たさない私は、家族ではなかった。しかし、父にとっては殺人犯であっても私は、家族ななだ。」
-p. 257
「誰にも理解されないと思っていた自分のしんどさが、裁判員や裁判官にわかってもらえた─嘘をついているのに。」
-p. 259
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娘が母を──。殺人事件の背景にある母娘の関係と真実を追うノンフィクション。
子どもの持って生まれた特性はなかなか強いので、親が何をしたところでそうそう変わるものではないと私は思っているが、親の日頃の言動や、絶え間ない刷り込みや情報操作によって、子どもの認知に影響を与えたり、親の望む選択に誘導したりすることは容易い。
「この子はこれくらいできる/できない」
この本に出てくる母親ほどではなくても、子どもが幼い頃から親は日々子どもの能力や発達具合見積もり、適正を見極めて何かをやらせたり、やらせなかったりを決めていることが多いと思う。
毎日一緒に暮らしいているから、毎日学習を見ているから、自分が育てているから、親は自分の見積もりや見極めが正しいと思っているが、果たしてそうなのか。
親の勝手な「目標」や「基準」を子どもに押し付けていないか、自分の「希望」ではなく、子どもの「希望」は耳に入っているか、目の前の子どもがきちんと見えているか、近くにいるからこそ、見えなくなっていることもあるのではないか、自分の認知は歪んでいないか、社会や世間に対して視野を広く保てているか、自問自答が止まらない。
また子どもは身近な人間を通して人間関係の築き方や社会との繋がり方を学ぶという。母親が君臨し、夫である父親さえも逃げてしまった家庭で、他所とはあまりに違う環境や考え方の下で育てば、親しい友人を作ることも難しくなるし、特に受験期以降はその他の親族とも距離があったようだ。そのような状況で母の価値観を押し付けられ、言動を管理されて育てば、その影響は計り知れない。
子どもたちを産んだのは私で、この子たちの養育、教育に責任がある。でもこの子たちは私の所有物ではないし、子どもたちには子どもたちの人格や人生がある。子どもたちをしっかり見て、それぞれが自ら学び、知識や情報を得て、自分で考える力、自分で決める力、自分を表現する力を身につけ、自分の道を選んで歩けるよう、私は徐々に手を離してゆかなくてはいけない。そのことを絶対に忘れないようにしたい。
