映画「板尾創路の月光ノ仮面」 | 読書日記PNU屋

映画「板尾創路の月光ノ仮面」

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よしもとアール・アンド・シー 2012-06-06


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 戦死の知らせから二年後、落語家一門の屋敷に死んだはずの男が帰って来る。売れっ子噺家「森乃家うさぎ」として高座に座ることになった男だが、衝撃の結末が待っていた。

 藤子・F・不二雄「ノスタル爺」かと思って見ていたら、ラストは「片腕マシンガール」だった…何を言ってるのかわからねーと思うが(ry
 うーん、理解不能。石原さとみがとにかく綺麗だった…。原作本を読むと、あらましがわかったりするのかな?(まだ未読)


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 こっからネタバレ注意












 物語が盛り上がるのは、噺家のホープだったはずの人が二人帰って来ちゃうところ。顔の怪我と記憶喪失、体の同じところにアザがあったせいで、家族ですら見分けがつかなかったという…とはいえ、二人を見比べれば答えは歴然。追い出されるはずだった偽物は、本物が喉の怪我でしゃべれなくなっていたことから、本物のふりをして高座に上がることになる。

 満月が何度も出て来るので、てっきり時間経過を表してんだと思ったら、『満月がずっと続く世界』だったんだそうな。その連続満月もそうだし、手掛かりだと思っていたこと(芸者の穴掘り、謎のタイムトラベラーの存在)が全部放りっぱなしで終わってしまうので、肩すかし感がハンパない。

 ラスト謎の銃乱射について。
 最初に見たとき、面白いはずもない素人=名噺家・森乃家うさぎの偽物を見て笑う準備をしている客たちに、死の鉄槌を下しているのだと思った。
 森乃家うさぎの偽物になる前、板尾演じる男は「森乃家小鮭」なる名前で前座を務めるが、そこでは全く笑いが取れず場を冷やしてしまう。なのに、いったん人気噺家「うさぎ」の名で高座に上がったとたん、客たちは嬌声を上げて場を盛り上げるようにふるまうのである。
 つまり、客たちは見て聴いて笑いを生じているのではなく、有名人だから笑えるに違いない、という思いこみでうさぎ(実はなりすましの、偽物)を見ているということになるのだ。
 そんな、笑いに対して不誠実な態度を取る客どもを、『有名人で客引きしないと閑古鳥だから』なる経済的理由で偽物を高座に引っ張り出した身内ごと殺戮することにより、監督が『お笑いなめんな』というメッセージを映画の観客に送っているのだと確信した。

 だが、ラスト撃ち殺されたはずの本物の「うさぎ」が人力車で帰っていく。さっき、額に銃弾を受けて即死したはずの、本家「うさぎ」が、である。
 それを見たとき、別の解釈もありうるのではないかと気付いた。
 あの銃乱射はお笑いがウケたことの比喩表現であると。なぜなら、銃弾が命中しているのに笑顔で倒れる人間はいないからだ。あれは、命がけで臨むお笑いを、ネタを銃弾、ウケるか否かを客の生死にたとえただけで、実は誰も死んでいないのではないか。
 
 また、この二つの解釈は共に誤りで、夜見る夢のようにストーリーにヤマもオチもなく、不条理な、けれど美しい世界を流れるがままに見ているのが正しいのかもしれない。解釈をすら拒否する映画なのかもしれないと、少し思った。



蛇足の妄想:うさぎは二人とも本物。同じところに同じか価値のアザがあるのはそのため。ノドを怪我したうさぎは弥生とは結ばれず、落語界から放逐されてしまう。女郎(お亀)に慰めを見出し、年老いたころ医学の進歩で声が出るようになる。お亀に先立たれ、孤独から心を病んだころにドクター中松と知り合い、戦時中にタイムトリップ。若い自分を補佐することに。世話になったお亀も自由の身になれるよう、娼館脱走&タイムトリッパーを手配。
 でも、これだと満月の悦明がつかないのよね。