もう一人、忘れらない人の話をしておこう。

大阪で会社を経営されていた山下洋祐さんだ。

過去形になっているのはすでに他界してしまったから。

 

洋祐さんとは、会った回数は少ないのだが、なんだか可愛がってもらった気がする。

僕が仲良くさせてもらった時は、すでに癌が進行しており、体調はあまり良くなかった。

しかし、勉強会で会うたびに、気にかけて声をかけてくれた。

 

僕らがやっている楡の木フォーラムという勉強会で洋祐さんに話をしてもらうことになった。

洋祐さんの会社は、スタッフと社長の距離が近い。地元のパートのおばちゃんが多く働いているその会社は、暖かい空気に包まれている。

それは、洋祐さんが、頭や理屈ではなく、感じる心を大切にして、それをベースに経営していたからだと思う。そのあたりを教えてもらうためにお話し頂いた。

 

しかし、勉強会の直前、容体が悪化し、洋祐さんは入院してしまった。

入院中は、僕らの前で話することを目標にリハビリしてくれていたらしい。

僕は直接お話しできなかったが、仲間が面会に行った様子から「とても辛そうだった。」と聞いて、勉強会を開催するかどうか判断に迷った。

最終的には、洋祐さんが来れない場合を想定してプログラムを考え、ご本人には「待っているけれど、本当に辛い時は別プログラムを用意しているから、その時は遠慮なくキャンセルしてほしい」と伝えた。

 

当日、ドキドキしていたが、洋祐さんは来てくれた。

そして、しっかりと話をしてくれた。

その話し方、声の張りは、とても癌が進行している人とは思えないほど、しっかりとして、ツヤがあった。

 

勉強会が終わった後、何回も「こんな場を作ってくれて、本当にありがとう」と何回も言われた。

心の中に詰まっていたこと、自分の人生を吐き出したような、なんかスッキリした表情にも見えた。

それは、洋祐さん自身が死が近いことを知っていたのかもしれない。

 

そして、次の日、フェイスブックのメッセージに「今朝から知恵熱っす(笑)」というメッセージをもらった。

癌末期の身体に、勉強会で半日話して、質疑応答するのは、相当体力を消耗したことだろう。まさに、全身全霊で僕らのために臨んでくれたのだと思う。

そしてその次の日、「1日で平熱に戻りました。体の毒をやっつけたみたい」とメッセージをもらった。

「静養に沖縄きてください」と返信した。

 

その後、7月9日の京都フォーラム。僕は少し遅れて会場入りした。

たまたま座った席が洋祐さんの後ろだった。

途中に休憩がなく、長時間進む勉強会の途中、集中力が切れかけたころ、洋祐さんが後ろを振り向き、無言でニヤッと笑って飴やチョコをくれた。

そして、その日のフェイスブックに「何時しかゆっくり対話したいね」とメッセージをくれた。

それに対して、僕は「8月か9月に時間作ってお伺いしてもいいですか?」と返信すると、「ずいぶん先な感じがするけど、熟すほど感動がでかくなる〜。待っております」と戻ってきた。

嬉しかった。

 

でも、この約束は果たせなかった。洋祐さんは、8月の頭に他界してしまった。

すでに、この時に自分の死期を感じていたのかもしれない。

いろんな後悔が残った。

会いたい人にはすぐに会いに行かないとダメだ。

いろんな理屈つけずに真っ先に会いに行っていたら、ゆっくり話ができたのに。

僕らがお願いした勉強会が、洋祐さんの体力を相当に奪い、それが原因だったのではないか。

あの時、何度も「こういう場を作ってくれたありがとう。」と言ってくれた。この言葉の意味はなんだったのか。

 

でも、最後まであんなに力強く、人に優しく、人のために。そんな生き方を目の前で見せて頂いた。

あの顔、声、洋祐さんの周りにある温かいオーラ。

今でも全て覚えている。

そういう意味では、僕の中では洋祐さんは今でも生きていて、僕と対話してくれている。

 

今、こう書いていて改めて思う。今の自分の生き方は、洋祐さんに褒められるだろうか。

精一杯、自分の命を燃やしていると胸が張れるだろうか。

洋祐さんに「生き様を見てもらいたい」と思えるだろうか。

 

もっともっと、力強く生きていきたい。「お前、やるなぁ」と言われるように。

洋祐さんと話したのはほんの数回だったのに、なんでこんなに記憶に残るのだろう。