多和田葉子 No.2◇旅をする裸の眼◇ | 星よりも大きく、星よりも多くの本を収納する本棚

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9年間の海外古典ミステリ読破に終止符を打ちました。

これからは国内外の多々ジャンルに飛び込みます。




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アジアからヨーロッパへ、映画を通して「私から、あなたへ」語りかける。何も語らない眼でもってーーー

 
 

 
◇旅をする裸の眼◇
多和田葉子
 
 
ベトナムの女子高生の「わたし」は、講演をするために訪れた東ベルリンで知り合った青年に、西ドイツ・ボーフムに連れ去られる。サイゴンに戻ろうと乗り込んだ列車でパリに着いてしまい、スクリーンの中で出会った女優に、「あなた」と話しかけるようになる―。様々な境界の上を皮膚感覚で辿る長編小説。
 
 
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1988年。「わたし」は講演の為にベトナムから東ベルリンにやって来た。ところが食事で同席した男ヨルクによって西ドイツのボーフムに連れ去られ、「妊娠」の果てに逃げ出して列車でソ連経由でサイゴンに帰ろうとするが、なんの因果か、逆方向のパリに着いてしまうーーー
 
 
「わたし」はいつしかフランスの映画館で観た女優に惹かれ、食い入るように映画を観る。その一方で流浪と亡命の時間は流れ続ける……
 
 
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「旅する裸の眼」です(・∀・)
前回に続き、多和田葉子第2作。今回は長編でなんとベトナム人女性が主人公。何の因果かフランスに流れ着いて言葉は分からないけれどフランス人女優カトリーヌ・ドヌーブに惹かれて様々な作品を鑑賞します。文字通り、「眼」で観て。
カトリーヌ・ドヌーブ……「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」しか知らないですわ……後者を見て「ああ、フランス人って歌うように話すんだな」と思ったものです←
 
 
題名がいかにも平野啓一郎っぽいんですが、これらの方がもっと抽象的で、その「眼」に色々な意味を持っています。主人公の「わたし」はただ見ているだけ、何も見ておらず、スクリーン上の女優カトリーヌ・ドヌーブの目も「わたし」を含めて何も見ておらず、その目を凝視する第三の視点ーーー神様の視点と言って良いのが冒頭にあるカメラだと示唆しています。
 
 
また「わたし」は彼女を「見て」語っています。独白で時々敬語になるのは語りかけの部分で、普通なら違和感があるのにこの部分はとってもしっくりしっとり感じます。この部分が結構好きです。断片的で脈絡の無いとも言える場面が転換される中、そこには彼女の「本当」がある。ここは「語り」の部分だから。ただ見ているだけ、実は何も見ていない彼女の、真実の瞬間。
 
 
2作続けて読みましたが、彼女の作品はエンターテイメントでは無く、とても芸術性を感じさせます。その中には世界の真理、言葉でしか、小説でしか出来ない冒険が詰まっていて、時間をかけてじっくりと読んでいきたいと思います。
 
 
「旅をする裸の眼」でした(・∀・)/ 
次はまたレム氏に戻って〜……アルデバランという知的種族が登場してーーー(*^o^*)/