「水35ℓ、炭素20kg、アンモニア4ℓ、石灰1.5kg、リン800g、塩分250g、硝石100g、イオウ80g、フッ素7.5g、鉄5g、ケイ素3g、その他少量の15の元素・・・。大人一人分として計算した場合の人体の構成成分だ。今の科学ではここまで判っているのに実際に人体錬成に成功した例は報告されていない。”足りない何か”がなんなのか・・・。何百年も前から科学者達が研究を重ねてきてそれでも未だに解明できていない。」
―――エドワード・エルリック
その”足りない何か”のヒントはこの本にある。そう思ったので「生物と無生物のあいだ」をエドワードに勧めてみた。
「生命とは動的平衡にある流れである」
これが本書で提示された生命の定義だ。なぜそう言えるのかは本書を読めばわかる。速読の達人であるエドワードも研究の合間をぬって本書を読み進め、わずか1日で読了し、この生命の定義の意味を心得た。そして本書の最後のページを閉じるなり、何かに導かれるかのようにとある錬金術の研究に着手する。
それは「貝殻」の錬成であった。
見たところ何の変哲もない、どこにでも転がっていそうな小さな貝殻だ。国家錬金術ともあろう者が何を今更、と思うかもしれない。しかし、この研究は人体錬成が可能であるかどうかを見極める上で非常に重要な研究であった。
エドワードは実に3日間も研究室に閉じこもり、何度も何度も錬成陣を書き替え貝殻の錬成に挑んだ。しかし、何度やっても納得する貝殻を錬成することはできない。天才錬金術師、エドワード・エルリックがまさかの貝殻の錬成に苦戦。これまで複雑な造形の錬成をも軽々とおこなってきたはずであるが、なぜか貝殻の錬成が成功しないのである。
エドワードは錬成された貝殻と、自然の貝殻をじっくりと見比べてみた。形はまぎれもなく同じ。でも何かが違う。
エドワードは錬金術で顕微鏡を1台錬成し、それを用いてさらに詳しく観察してみた。するとその差異がよりいっそう浮き彫りになった。エドワードが錬成した貝殻にはわずかながら微小な錬成痕が残っており、その細部に迫れば迫るほど人工的につくったことを感じさせる無機質な痕跡が見られた。言い換えれば、錬成した貝殻には、自然の貝殻に存在するはずのある種の「美」が欠落しているような気がするのだ。その「美」とは生命の動的な営みの中にある自然な流れのうえにつくられる美であった。
「ちきしょう!」
エドワードはオートメイルの右腕を机に叩きつけた。万年筆がころころと転がり机から落ちる。
このときエドワードは「生物と無生物のあいだ」で提示された生命の定義の意味を貝殻を錬成することを通して体感したのであった。
錬金術で貝殻の動的な造形美を表現することはできない。なぜなら錬金術では物質をその構成する成分で分けて理解しようとする傾向があるからだ。貝殻の造形美は「動的平衡状態にある流れ」によってのみ表現されるものであり、構成要素どうしの連関に着目しなければつくることはできない。
人体もまた然り。
錬成された貝殻の「自然美」の欠落は、人体錬成は決して成功しないことを示唆する。錬金術では顕微鏡のような複雑な機械を錬成することはできるが、生命の本質である「流れ」を表現することができない。
エドワードは賢者の石のことを思い出した。賢者の石の材料は生きた人間。エドワードは本書を通してさらに一歩深く賢者の石について考察した。本書の著者はこう言ってる。
「生命というあり方には、パーツが張り合わされて作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な重要な特性が存在している。
ここには何か別の「内に秘めたエネルギー」が存在している。私達がこの世界を見て、生物と無生物とを識別できるのは、そのダイナミズムを感得しているからではないだろうか。」
なるほど。賢者の石の正体は人間の動的な流れをつくる内なるエネルギーなのだ。やつらはそれを生きた人間から絞り出して、結晶化することで賢者の石としているようだ。
エドワードはさらに昔自分が犯した禁忌のことに想いを馳せた。あのときは人体を構成する成分の材料を、機械的に繋ぎあわせていけば成功すると思っていた。しかしそれは大きな間違いだった。
今ならわかる。
たとえ、人体に必要な構成要素を練り合わせて肉体をつくり、そこに死者の魂を定着させることに成功したとしても、その命が生きることができるのはほんの一瞬だけなのである。動的平衡状態にない生命の細胞はやがて乱雑になり、全体として瓦解する。結果、傍から見れば血で染められたグロテスクな肉塊が残されるだけとなる。エドワードはあのときの光景を思い出し、強い吐き気に襲われた。
結局、今回の研究からわかったことは、いかなる偉大な錬金術師であろうと、完璧な貝殻を忠実に錬成することはできないということだ。もっとも、動的平衡状態の流れを維持する為の「内なるエネルギーの結晶体」、つまり賢者の石を使用すれば可能かもしれないが。
錬金術の可能性を信じていたエドワードにとっては、本書の生命観は絶望を象徴するものに変わった。錬金術では貝殻さえも完璧につくることはできないのだ。だがそれはまさしく真理であった。
エドワードはその場に項垂れた。
そして、しばらくの沈黙を経てから狂ったように笑い出した。そのまま立ち上がり、窓を開け放って空を仰ぎ見た。どんよりとした曇天がどこまでも続いている。しかしエドワードは、その曇り空の先に一筋の光が射したのを見逃さなかった。
「人体錬成の完璧な理論だの禁忌だのと・・・何をやってるんだオレは・・・。」
エドワードはオートメイルではない方の手のひらで貝殻を強く握った。
「今さっきまでこれは絶望の象徴だった。だが今はこれが希望につながる。なんて事だ・・・。答えはスタート地点にあったんだよ。」
真理は残酷だが正しい。だがその現実を乗り越えたときエドワードは一つの答えを見つけた。最後に精悍な表情を浮かべて言い切った。
「アルは元に戻れる!!」
追記
<生命に関して書かれた他の本>
動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡に纏わるさまざまなエピソードを通して、その本質を理解することができる。こっちをエドワードに勧めればよかったのかもしれない。
福岡さん曰く「生命とは何かを考えるのに欠かせない名著として読み継がれている」らしい。この本では、生命の体を構成するそれぞれの要素の役割を追求する代わりに、要素どうしの「関係性」に生命の特質を見出そうとする。
〈生命〉とは何だろうか――表現する生物学、思考する芸術 (講談社現代新書)
今朝のHONZで紹介された本。この本の著者は「生命をつくる」ことを通して「生命とは何か」に迫ろうとしているらしい。エドワードにも勧めておこう。ボディ&ソウルで公開朝会の会場を沸かせてくれた
村上さんのレビューはこちら
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<新書大賞>
生物と無生物のあいだは、中央公論新社が主催する「新書大賞」の第一回大賞を獲得している。他の大賞受賞作品はこちち