4月から中学校入学予定だけど学校へ行かない選択をされたお子さんと保護者の方へ | HSP✖️不登校サポーターaikoᵕ̈*親と子を繋ぐ居場所作りをしています‍‍

HSP✖️不登校サポーターaikoᵕ̈*親と子を繋ぐ居場所作りをしています‍‍

集団の場が苦手、人と話したいのに緊張して上手く話せない、場面緘黙症、共感性の高いHSPの気質をもつaikoだからこそ不登校になる子供の気持ちをくみとってきました。これから不登校の子と親を繋ぐ居場所を作ります ̖́-‬

こんにちは😊
 
HSP&場面緘黙症サポータをしておりますaikoですチューリップ
そして学校へ行かない選択を選んだHSCの子供から母である私自身が幸せを見つけることができ、学校へ行かないことは不幸ではないよとお伝えしています✨
 
波乱万丈だった人生が一変し闇から光に変わることができた人生経験を元に人はいつからでも変わることができるということをお伝えする活動をしています。



『入学おめでとうございます』


中学校の先生にそう言われて何て答えたらいいのか分からなかったという顔を夫がしていました。


同じ思いを感じた保護者の方はどれだけいらっしゃるでしょうか?


うちの子は、小2の冬から不登校になりました。
小学校では行ける時間のみ行っていましたが
中学校は、どう考えても絶対に行かないよね。

というか、行けないよね。。。。
子供が不登校になってサポートし続けてきて
親である私自身もそう思っていましたが
ずっと親身になって支えて下さった小学校の先生方も言葉にはしなかったけれど同じ意見でした。


集団が苦手。
怖い。


HSCの敏感さからくる感受性の強さで
中学校には行けないなと分かっていました。


SNSで入学式の写真を見るこの時期。



なんと私は、入学式がいつかも把握しておらず、
『あ!今日が入学式だったんだね』
と誰かから聞いて知るという。


うちの子のような選択をせざるおえなかった保護者の方は
きっとモヤモヤしたり
悲しい気持ちになったり
しているんじゃないでしょうか。


こんなことを書くとどうなのかと思われるかもしれないのですが


私自身は、モヤっとすることはありませんでした。
しいて言うなら、中学校への書類の引渡しがめんどくさいなーくらいで💦
絶対に学校行かないのにどこかには在籍しておかないといけないという理由で入学受付け行かないといけないの!?とモヤっていました。
書類を送るだけではダメでしょうか。。。
と思ってました。


子供が中学へ行けないからモヤとするではなく
子供が行かないところなのに、いろいろと手続きやら何やらで自分が行きたくないなーというモヤモヤはありました。





身近に中学校まったく行きませんというお子さんがいる人っていますか?

うちはいません。

不登校の子をもつお母さんの集いに行けばいらっしゃいますが
身近にはいないので

孤独感、絶望感、自分たちだけ

という感情を抱かれるお母さんたちがいるのではないかと思い、この文章を書いています。



大丈夫!ここにいます!!
ここにいますよ!!
うちもそうです。

周りに不登校の子はいてもうちの子みたいに難しいパターンってなかなかいないなーと思ってました。

学校に行けなくても友達とは遊んでる子。
学校に行けなくても趣味があり没頭している子。
学校に行けなくてもコミュニケーションはちゃんととれてる子。
学校に行けなくても学校以外の少人数の場所なら大丈夫な子。

そういう子たちなら沢山見てきたし、聞いてきたけれど、うちは全部だめでした。

やりたいこともない。
友達とも関わるのが怖い。
学校以外の場所を探しても全部だめ。
家から出れない。
ゆいつはまってるのがゲームだけ。

これってテレビで見る引きこもり状態です。
今は、その時期を経て変わっていますが
当時はここから始まりました。


この状態から不登校スタートで
けっこう難しいパターンを経験させられてるなと感じてきました。


私自身、子供が不登校でも何か1つ楽しいこと、夢中になれるものがあればいいという考え方で
学校以外の居場所が見つかればそれでもう解決よ!という腹の据わり方をしていました。


だけど、どれもだめでした。
試行錯誤して手に入れたのは


子供を信じて見守り待つ
という心でした。

ずっと居場所を探して見学に連れて行ってました。
それは今でも続いていて


つい最近も子供が夢中になるかも!と思い
見学に連れていったロボット教室が見事にダメでした。


それでも、ピンときたら連れていって子供に合う居場所を探し続けることを辞めませんでしたし、これからも探し続けていきます。


その思いが実り、不登校になってから3年半後に
やっと学校以外の安心できる居場所が見つかりました。


不登校になった時に分かったんです。
これは長期戦になるって。

だから途中で嫌だとかしんどいとか辛いと思わなかったんです。

初めから分かっていました。


だけど実際はきれいごとで言いきれないくらい
大変でした。

これもダメ~
あれもダメ~
いったいどこから突破口が~

という時間をずっと過ごしてきました。


だから、そんな時間を共に過ごしてきた保護者の方たちに伝えたいです。


本当に本当によく頑張ってきましたね。
普通と言われる道ではなく
誰も教えてくれない道を探して進んでいくしかなかったですよね。

苦しくて辛くてたまらなくて
もう嫌だと思った日が何度あったことでしょう。

周りから責められた方もいらっしゃると思います。
ぜんぜん悪くないのにね。
悪いことなんてしていないのにね。


ここまで歩んできて本当にお疲れ様でした。


わが子の不登校をサポートをしてきて分かったのは
保護者の方の苦しみでした。

私自身は大変でしたが辛かったり苦しかったりはありませんでした。


ですが、伝わってきたんです。
同じようにサポートしている方たちの悲しみや苦しみの気持ちが。


私自身が子供が不登校になったことで自分や家族が幸せになる道を歩めた経験からいつか何かできたらいいなと思ってきました。


見る方向性が変わるだけで心の持ち方が変わり
幸せになれることをお伝えしていく活動をしたいと思います。


何で子供が不登校だったのに辛くなかったのか。


それは、自分が子供の頃に無理矢理学校へ通い
何もいいことがひとつもないまま、もれなく大人になりその事で苦しんだ経験をしてきたからでした。

だから見えていたんです。
学校へ行くのが合わない子に無理矢理、人生を押し進めようとしても空回りしてしまうことが。


先に自分が経験して分かっていただけの話だったんです。


自分がされて嬉しかったことを子供にしていた結果
不登校だけど子供は笑顔でした。


『学校へ行ってなかったけど不安じゃなかった?』

基本的に子供のサポートを私に任せている夫に聞いてみました。

そしたら2つの答えが返ってきました。


『お前が大丈夫よ!この子は絶対に大丈夫だからっていつも言ってたから不安じゃなかった』



『あと、子供が家で笑ってる。
それが全ての答えなんじゃないか』


びっくりするほど深い答えが返ってきました。



お母さんの思いが家族に影響する大きさを感じました。

確かに私はずっと大丈夫と言い続けていたし
本当にそう思ってました。


誰よりも不登校になった息子のことを信じていました。
何年かかってもいい。
人とは違う道でもいい。

私がブレずにこの子を信じて、今できることを積み重ねていけば必ず花が咲く日がやってくる。

それはきっと遅咲きの花だけど
遅く咲いた分、感動も大きいだろう。


大多数の人たちとは違う道を選んだわが子。
私が選びたくても選べなかった道を選んだわが子の事を心からリスペクトしています。


そして胎内記憶をベースにして幸せな不登校生活を送ってきた経験から伝えていく活動も始めようと思います。








産前産後プロジェクト

お母さんを孤独にさせないという思いで
産前産後プロジェクトを立ち上げることになりました✨✨
お母さんたちの想いをのせてつくりあげているHPは、こちらですダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウンダウン
 

 

 
 
 

 

 
 
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こちらは、例ですがHSCの子をもつ親の集いは、ご意見を頂いて開催が決まりました✨
必ず実現できるお約束はできないのですが、ニーズが多くaikoにできそうな事はやらせて頂きたいと考えております。