トラウマを消化させる方法とは | HSP✖️不登校サポーターaikoᵕ̈*親と子を繋ぐ居場所作りをしています‍‍

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集団の場が苦手、人と話したいのに緊張して上手く話せない、場面緘黙症、共感性の高いHSPの気質をもつaikoだからこそ不登校になる子供の気持ちをくみとってきました。これから不登校の子と親を繋ぐ居場所を作ります ̖́-‬



22歳の頃に友達に誘われて中学の時の同窓会へ行ったんだよね。


小学校~中学校までは、もち上がりでひとつの小学校からそのまま中学に上がる感じだからみんな顔なじみでけっこう濃い関係なんじゃないかなっていう雰囲気。


私は、中2で引っ越して別の中学へ転校したんだけど

転校してからもずっと前の中学に戻りたいって思ってたんだ。



小学校時代っていったら

場面緘黙症の時代で

今だに私の声を聞いたことがない同級生が沢山いるの。


イジメもあったし、嫌な思いも沢山したよ。

でも何故か、根底から嫌だなと感じたことはなくて

その理由が同窓会へ行って分かったんだよね。



時間がなくて早く帰ることになったんだけど

同級生の男の子2人がわざわざ外まで送りに出てくれて


『中村さん(旧姓)、バイバイ!またね』

みたいなこと言ってくれたんだよね。



小学生当時は、話したりもできないし

関わりもなかったけど

大人になっても変わりなく話しかけてくれて


すっごく嬉しくて今でも思い出すだけで

キュンとするくらい嬉しくて。


他にも酔っ払って

『ああ~~!!中村愛子だよねぇ!』

と絡んでくれた子もいた。


その子とは、低学年の時に放課後よく遊んでたんだよね(^^)



『学校でも話せばいいのに』って言ってくれた言葉をよく覚えてるよ。

今ではいい思い出。


みんな、根がすごくいい人たちだったんだなって。


だから嫌なこと沢山あったけど、芯から嫌になりきれなかったんだなって。



私は、旧姓の中村っていう名字が大嫌いでね。

その理由が学校で『中村さん』ってよばれていて

話せもしなかったし、学校のイメージがすごく強かったから。


結婚して名字が変わってからは

解放された気分でした。


今でも中村には戻りたくない。

それくらい緘黙症の記憶が強いんだな。


中村さんって呼ばれるとあの頃とリンクしちゃうんだな。


小学生時代は、辛かったけど

実は、誰かか悪かったとかそういうことじゃなくて

自分自身の気質との戦いが辛かったんだと感じてます。



確かに小学生時代のトラウマは、あったけど

息子の不登校を境にそのトラウマも消化されました。


だから今では、いい経験をしたんだって思うことができています。



トラウマの克服って

同じ経験を追体験したり、または思い出すことで

そこと向き合った時にクリアに消化されるのかなと思います。


追体験とか思い出すってすごく嫌だし怖いけど

本当に消化されました。



私は、息子の不登校で追体験させられました。

それはそれはきつかった。

でも過去の記憶だから

私の経験ではない。

息子がしている経験で

私は、息子を通して思い出しているだけ。


そして当時、辛すぎて感じれなかった感情を

息子に起こる出来事を通して感じさせられました。

その時にちゃんとイジメの時の記憶もむくっと出てきてくれました。


感情ってちゃんと感じてあげないといけないんですね。

悲しみも怒りもちゃんと自分の中にあってもいいよって許可してあげられる自分になれた今、本来の自分に戻ることができました。


心の奥においてくるしかなかった感情は、『気づいてほしいよ』ってじっとうずくまって待っています。


自分が変わりたいと願った時や

この人は、変わらないきゃいけないという時期がきた時に


トラウマという形で出てくるんでしょうね。