①瀬野先生と私~消えた記憶と物事のとらえ方 | HSP✖️不登校サポーターaikoᵕ̈*親と子を繋ぐ居場所作りをしています‍‍

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集団の場が苦手、人と話したいのに緊張して上手く話せない、場面緘黙症、共感性の高いHSPの気質をもつaikoだからこそ不登校になる子供の気持ちをくみとってきました。これから不登校の子と親を繋ぐ居場所を作ります ̖́-‬

これは、aikoが小学5、6年生の時に経験した実話です。


前にupした『あゆの物語り』と同じ時期のことを書いています。⤵️


今回は、あゆではなく愛子として書きます。
あゆも愛子も同じ人物で、私のことです。
今回は、小説ではなく経験したお話を書きます。

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愛子、小学5年生。
担任は、みんなから嫌われている瀬野先生になった。


その瀬野先生が5~6人のクラスメイトを教室の前に並べて1人ずつビンタしていった。



何か悪いことをしたのだろうが、目の前に立たされている同級生が何をしたのかは覚えてない。


そもそも瀬野先生がクラスメイトを並べてビンタをしていたなんて、私には記憶がなかった。






時はたち、2018年。
愛子は、当時のクラスメイトで仲良くして林ちゃんという女の子と久しぶりに会ってお茶していた。

林ちゃんは、愛子が初めて学校で仲良くなれた友達、初めて学校で話すことができた友達の美結ちゃんから紹介されて仲良くなりました。



『ええーー!?!?覚えてないん?瀬野先生、教室の前にクラスメイト並べてビンタしよったじゃん!あれ、今考えたらかなりヤバイよね』



林ちゃんがそう言った時、私の頭の中を2つの事がかけめぐっていた。




確かに今の時代にそれやったらアウトだわ。
相当やばいでしょ。
当時、保護者からのクレームはなかったんだろうか?

という一般的な感想と



何でそんな衝撃的な出来事を覚えてないんだ!?
私、もしかして衝撃的すぎてなかったことにして記憶から抹消したのかな!?


という疑問。


そこから自分の中に仮説ができた。



当時は、場面緘黙症だった。
超絶に敏感だった私は、小学4年生になると辛い感情を感じなくなり無感覚になった。

今、思うと自分の心を守る為にこれ以上感情を感じることを無意識にやめたのだと思う。


そのビンタ事件もあまりの刺激と衝撃と恐怖で記憶から消してしまったんだな。


ということは、他にも辛すぎて消してしまった記憶があるかもしれない。



でも思い出さなくてもいいと思う。
思い出す必要があるのなら、またこんなふうに誰かを通して知ることになるだろうし。



記憶を消さなければ生きていけなかった。
感情を感じないようにしなければ学校へ通えなかった。



息子、スマイルくんが小学5年生だ。
今、彼は全力で集団を拒否している。
恐れている。
でも興味はあって彼なりの接し方でコミュニケーションをとろうとしている。



その拒否の仕方が凄くて
スマイルくんが関わるのを嫌だと言う姿を見て


これが本当の私の姿だったんだと思い知らされた。



ここまで辛いのに、よく学校へ通ったものだ。


私は、頑張る教の教祖になれるかもしれないと思うくらいの頑張りを過去にしてきたことを子供を通して感じさせられた。


だから私は、今も学校へ行くのを嫌がっている。
息子が通う学校だろうと私にとっては、苦い記憶と苦しい記憶が9割以上しめているトラウマという場所だ。



確かに頑張ってきたからある程度の事は、できるようになった。


日常生活も問題ないように見えるように振る舞ってきたし、みんな私を見たらそんな敏感だなんて気づく人はいないだろう。


自分に対して、自分は普通だと言い聞かせるようにやってきたし、周りもなんとかごまかしてきた。



でも実は、場面緘黙症だったと知ってから
全てが崩れた。


本当の自分に戻る時がきたんだ。

そこから、あれやこれやといろいろとあって
今の愛子がここにいる。


場面緘黙症だった自分も今も敏感な自分も
全部受け入れて、そんな私のことを大好きになった。



敏感さで苦しんでいる人達に敏感であることの素晴らしさを知ってもらいたい。


今ではそんなふうに思っている。


もちろん今でも悩むことはあるけど
答えは全部自分の中にあり、前ほど深く思い悩むことはなくなった。


そこにたどり着くまでは、悩むことの達人かってくらい1人で悩んでいた。



最初から上手くいったわけじゃない。


沢山失敗して泣いて悲しんで悔しい思いもして
負けて負けて負け続けるような感覚をしながら
今がある。


逆に人生がどん底だったから
どん底を知ったから今があると思ってる。



私は、スポーツ選手でも負けた経験がある人の方が魅力があるなと思う。


何でも出来てしまう人って
失礼だけど面白くないだろうなと感じる。


負けたことなかったり、出来ないことがあって悔しい思いをしたことが少なすぎると


人の痛みが分かりにくいでしょ。


何でこんなこと出来ないの?とか
何でこんなにとろいんだ?とか


普通に思っちゃうでしょ。

イライラしちゃうでしょ。


でも出来ない気持ちを知ってる人って
寄り添ってあげようと思えたり
待ってあげようと思えたり


人として優しさにあふれている。


中にはそうじゃない人もいるかもしれない。


だけど、私は何でも出来る人より
出来ない人の方が人間味が育つからいいなと思う。


ある意味、器用すぎる人はそれはそれで大変なんだと思う。


出来るから何でもやっちゃうし、自分がやった方が早いからやるよってなっちゃったりして。

自分は、疲れるけど仕方ないなって思ってやっちゃう。
疲れた上に出来ない人の気持ちも分からないし
心の中は不満ばかり。

そんな人も見てきた。


出来ちゃうことも大変なんだなと思った。


私は、出来ない部類の人。
不器用だし、集団苦手だし。


出来る人がよくて出来ない人が損とか
もはやそういう問題ではない事に気がついた。


自分の世界からぬけ出て広い視野に立ち見てみると


どっちがよくて、どっちが悪いとかないんだなと悟った。


これはもう私の中で悟りだった。


自分以外の気質の人の立場からものを見れるようになれた。


それだけで人生がとても楽になったように思います。


大なり小なりって言葉があるけど、みんな何かしら悩んでいる。


私の場面緘黙症とか敏感な気質での葛藤や悩みは、なんて小さいものなんだと感じる日もあります。
これは、私自身の気持ちのことで他の方のことを言っているわけではありません。


いろんな立場の人の目で見れるようになったから
自分の悩みや葛藤が小さく見えるようになりました。

だからと言って自分の悩みをおろそかに考えているわけではありません。
ちゃんと自分の苦しい気持ちに寄り添ったうえで、理解してあげたうえでのことです。


私は、幸せの数を拾えるようになれたんです。


日々の当たり前だと思われているような事にでも感謝の気持ちがわくようになりました。


嫌だと思うことは、自分の学びに繋ぎ
嬉しい出来事は、何倍にも感じて喜ぶことができるようになりました。


どうしようかな??
そう思うことは日々沢山ありますが


私の心の中にそんな思いがあるので
悩みが悩みではなく課題ととらえるようになり


その課題をどの計算式を使って解いていくか?
という思考でいます。


計算式とは、困難がきた時に解決する方法や選択肢です。


私にとってずっと解かれていない課題は、息子のこと。


長期戦になる課題もあります。

魔法のようにすぐに解決しない課題もあります。
少しずつ時間をかけてゆっくりと解いていく。


その過程に葛藤あり、感動あり、喜びありで
そうやって私の心は変化し、成長していっていると感じています。


今は一人ぼっちじゃないしね。
常に、私という味方がいる。
私が私のことを一番信頼しています。
理解してくれる家族がいる。
安心感をくれる友達がいる。


昔、ほしくてほしくて願っていたものが
今、存在しています。


実は、もうずっとその存在は目の前にあったのに
自分の曇った目がそう見えさせてくれなかっただけでした。


大切な事に気づけたこと、
そして私のしてきた辛い過去の経験が
私の最大の宝となっています。