『学校へ行きたくない』ってようやく言えるね❷ | HSP✖️不登校サポーターaikoᵕ̈*親と子を繋ぐ居場所作りをしています‍‍

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集団の場が苦手、人と話したいのに緊張して上手く話せない、場面緘黙症、共感性の高いHSPの気質をもつaikoだからこそ不登校になる子供の気持ちをくみとってきました。これから不登校の子と親を繋ぐ居場所を作ります ̖́-‬

1人になりたくなかったから

みんなと同じでいたかったから

自分を押し殺して

合わない場所へ、学校へ通っていたあの頃の私。



今、もうそんなことしなくていいよ。

学校へ行かなくても1人にならない。

ダメにならない。


そんなことを息子を通して教えられています。



私が息子からの心のお土産を受け取らないとね。

息子が私の為に目の前に出してくれているお土産をちゃんと受け取らないとね。



じゃないと、息子が自分の人生に向かって歩いていけない。



私は、ラスボスと向き合うことにしました。

今年一番の怖さ。

人生で初めて味わう種類の怖さ。


冷静に考えれる分だけ怖いんだよね。



今まではけっこう無我夢中で怖さと向き合ってきて、えいやー!みたいにやってこなしてきてたから。


小学生の頃の私ー!

あなたが出来なかったことをこの歳になってやるよ。



この人生の中で初めて一番避けてきたことをやるよ。



それをね、この歳になってできるなんて。

もう20年以上も前のことだよ。

息子に感謝しかありません。



そこと向き合うのにこれだけの年月がかかったということだよね。



私はこれで本当に自由になれる。

鎖がはずれる。


ありがたいことに、息子が見せてくれたことで

過去に戻って、小学生の頃の自分に戻り



私は学校へ行くことをやめようと思いますって言えるんよ。



自分の気持ちを消してまで行っていた学校。

いじめられたって何されたって

1人ぼっちになりたくなかったから行っていた学校。



ようやく言える。



私は学校へ行きたくないって。



涙が出そう。



私は、先生に伝えに行きます。



学校へ行きませんと。



私が行きたくないから、学校へ行きませんと。



伝えるのは、息子の担任だけど



伝えている私は、小学生の時の自分でもある。




あの時は、話せなかった。

子供だから自分の気持ちも分からなかった。

緘黙症だったからさらに人に伝えるということができなかった。




今は、話せるようになれた。

そして理解がある先生にも恵まれた。


私が小学生の頃にこんな先生が担任だったらと思うような先生が息子の担任になった。



息子を学校へ送迎するたびに

先生とふれあうたびに


小学生の頃の自分が喜んでいた。

先生、分かってくれて本当にありがとうって。


息子のことが羨ましかった。

こんなにいい先生に出会えて羨ましくてたまらなかった。

でも心がとても癒された。


小学生の私が当時してほしかったことを

先生は、息子にしてくれた。



息子が休んでいた時に家まで先生が持ってきてくれたお手紙は、不登校が長かった時には毎日持って来てくれました。



先生からのお手紙は、沢山あり

息子と言うよりも私の宝物になっています。










その光景を見せられて癒されて



『学校に行きません』

とようやく言うことができる時期がきた。



それが私のラスボスです。



ようやく本当に自由になれるんだなと思いました。

やっと言える時がきたんだと。


本当の本当の自分の気持ちを。



私がそう言って

行動した後にきっと何かが変わる。

息子もようやく、私にお土産を渡すことをやめて

自分の人生を歩き出すことができる。





今でも怖いです。

現実どうしようかと思ったりとか。

いろいろとごちゃごちゃ考えてる自分がいます。



でもその怖さが

自分が本気で自分の核の部分と向き合っていると分かるんです。



怖いけど

幸せだな。



私はそれで死ぬわけじゃない。

生きているんだから。



生きていたら何度でもやり直しはできるし

生き直すこともできる。




怖いから応援してもらえたら嬉しいです✨

新しい愛子になってきます(^^)



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