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ほんだな

本棚から本を引っ張り出して読むように、新たな驚き・発見・喜怒哀楽を得ることができるそんなブログでありたいです。

かだいとしょ)「部活があぶない」(島沢優子)<講談社現代新書2432>

 

「部活があぶない」を読んでみて、部活について、考えたことをまとめてみた、シリーズのまとめです。

超ハードすぎる体育会系の応援団の団員になってしまったときの話です。今となっては良い想い出なのですが、「ブラック部活」に近い。その原因と構造について分析したまとめです。

 

 

<「ブラック部活」を生む敗者>

 

 ①極度な時間的拘束
 ②劣等生への精神的な圧力
 ③逃亡できない雰囲気作り
 ④過度な体育会系意識

 

 以上、この4点はなぜ発生するのか? 

 

 一言で言えば、「ブラック部活」は連鎖するのである。
 
 先輩が、野球部であるなら、甲子園への道がたたれた戦士達。その思いは尚更で、そのモヤモヤを、学生最後である体育祭に望みをかける。そして、なぜか分からないのだが、それぞれの体育祭の団に、OB・OGの視察が来る。そんな、先輩達も、各々の部活動の敗北を味わった人たち。

 

 そんな集まりにも、なぜか伝統があるのである。ただ、赤・白・青という色だけで、チーム名も無いし、たった一夏、1ヶ月弱のプロジェクトである。部活動で負けた想いを転化する活動なのであろう。体育祭の応援団とは。

 

 以上4点を指摘したが、17年経過した2017年。先輩がこれらの行為を強要したら、明らかに生徒指導・停学レベルな越権行為である。ただし、これは、厳密に言うと、部活動では無い。顧問役の先生は居るが、裁量権は全て団長にある。けれども、中身は、「ブラック部活」であることは変わらない。そういう厳格な団長を生んでしまったのは、そんな団長さん達のバックボーンにある、野球部はじめ、体育会系な部活動のしきたりが波及した形なのである。

 

 結論から言うと、部活動から逃げて良いのである。当時の、合唱部にいた自分にも、それ以上に劣悪な環境下にいた応援団にいた自分にも言い聞かせたい。部活は、学業とは別物である。学業の副産物として、学業のモチベーション維持の触媒になっても、勉強が学生の本分。そして、それは、学生だけでは無い。サービス残業・休日出勤させられている教職員の方々にも該当する。そんな部活動を再考させるきっかけとなった一冊だった。

 

 最後に、決して、そんなつらい思いのきっかけとなった先輩や、部活動・応援団の方々への恨み辛みな文章では無い。そんな学生時代でしか味わうことのできない貴重な経験をさせて頂いたことには感謝をしているし、人生の中での大きな成功体験の一つである。かつ、厳しい指導を頂いても、アメとムチの関係で、お褒めや賛辞の言葉も、それ以上に頂いた。これは、成功した意味での「ブラック部活」であるが、必ずしも、こういうハッピーエンディングに至るとは限らない。ギリギリセーフであった、そんな過酷な環境下であった、私の体験を、もあったと参考として読んでいただけると幸いである。

 

 

 

 

かだいとしょ)「部活があぶない」(島沢優子)<講談社現代新書2432>

 

「部活があぶない」を読んで、「部活」について、感じたことをまとめています。第2部です。

 

<地獄のフェス、体育祭>

 

 この高校は、文化祭2日間、翌日に体育祭と、3日間大フェスティバルが開催されるのだが、その体育祭に、応援団に所属してしまったのが、過酷な挑戦、かつ、地獄であった。

 

 なぜ、そんな地獄行きの切符を購入してしまったのか。根っからの運動音痴で、義務教育の9年間は本当に憂鬱なイベント・けれども、「高校に入ったんだから、そんな食わず嫌いを克服してみないか?」という、自分の脳内での天使がささやきいたこと。新入生募集の3人定員の内、先に立候補した2人が偶然、部活の重要な男子メンバー。夏期の合唱の大会もあったし、文化祭の披露も控えていて、その2人に、「部活もしっかりね!」とフォローできるという、そんなひょんな気持ちで、残りの1席に着座してしまった。

 

 それからが、地獄の始まり。夏期休暇の後半から、体育祭を終えるまでの期間限定の部活動であったが、確実に「クロ」である「ブラック部活」であった。そこで、この著作に記されている、「ブラック部活」の要件に照らし合わせて、そのド黒を分析したいと思う。

 

 ①極度な時間的拘束 夏期休暇の終わりから、体育祭当日。かつ、後の打ち上げまで、勉学もままならない過密スケジュールな練習付けの日々。体育祭当日の朝は、早朝6時から直前練習スタート。電車通学の私としては、始発さえも無いのに強制である。仕方なく、父親にマイカーを出して貰って送迎して貰った。かつ、団員のマストである、2リットルのスポーツ飲料をできる限りもってこいという強制。完全にパワーハラスメントである。

 

 ②劣等生への精神的な圧力 立候補してやったのに、と言う立場なのに、ものすごい曲数、ハードなダンス、声だし。声だしにおいては、声を出す部活で合格点を頂き、審査員の先生への猛烈なアピールポイントとなったらしいが、問題はダンスである。33年間の人生の中で、指折りに入る過酷な挑戦であった。信じられないほどの運動音痴、かつ、ダンスなんか必修では無い時代。まあ、団長はじめ、先輩方からは厳しい指導と冷ややかな眼。直前に、ダンスの激しさで、私の生命線である眼鏡が大崩壊してしまって早退した、あの申し訳なさは今でも深く覚えている。当日の直前の団長とマンツーマンのダンスの補習のピリピリした空気感は今でも忘れない。

 

 ③逃亡できない雰囲気作り 応援団と言っても、当日の演舞だけでは無い。他の競技中の盛り上げ役を担当する。連日の激烈な事前練習も重なり、昼休憩中に、熱中症になってしまった。今となっては、救急搬送レベルだったのだが、ここで抜けたら、他の団員から集団リンチを食らう。もう、高校では生活できないという恐怖感から、保健室にて、ただの頭痛と装い、バファリンを服用し、午後の部へと望んだ。

 

 ④過度な体育会系意識 応援団を仕切っている上層部の先輩方は、バリバリの運動部で、夏季大会で敗戦し、大学受験前の最後の想い出作りだと、勝手に定義付けをし、残り1年半、2年半の学生生活をデポジットしている後輩達にその思いを共有させる。一種の新興宗教である。かつ、確実に団長が教祖、最高学年が幹部、そして信徒達の集まりの宗教である。

 

 この4点のまとめは、<「ブラック部活」を生む敗者>として、次ページに。

 

 

 

 

 

 

かだいとしょ)「部活があぶない」(島沢優子)<講談社現代新書2432>

 

「部活」について、この著書を読んだ感想と自身の体験から、シリーズ3部作としてまとめたい。

 

<結果オーライだった、高校時代の部活>

 

 この著作のテーマ「ブラック部活」。

 

 私の高校時代を思い出すと、合唱部。かつ、2年次に部長を任され、練習の仕切りだけで無く、新入部員の連絡網作成から、楽譜ファイルの発注、講習会の欠席者用のレジュメ作りなど、全て自分でタスクを背負ってしまい、メンタルがボロボロになってしまい、部活だけで無く、高校を去ることになった10代後半となった。

 

 ただし、断言をしておくが、個人的な妬み嫉みが皆無であることは否定できないが、決して、この部活は、「ブラック部活」では無かった。むしろ、私が去ったことにより、「高校中退者を生んだヤバイ部活」というネガティブイメージを与えてしまったことは、17年経過して、当時の部活仲間が大人になってからの懐かしいエピソードトークをしていると漏れ伝わった話であり、申し訳ないと思っている。

 

 まあ、自分に人を仕切る力は無いという適性のなさを学習する良い機会となったが、ただ、本当に一時的ではあるが、とても楽しい時間を過ごさせて頂いた。部活があったからこそ、そのモチベーションが学業と相まって、英語・数学は、中の上の成績を維持していた。先生方から文武両道(だったこと)を評価されて、1年次の単位を全て持ち越して、大検を受検する際、一部の科目を試験免除のいうアドバンテージを得て、無事に、高校3年次の年の夏に、全科目合格して、高卒同等の資格を得ることができた。その点に関しては、部活の仲間の皆さんには、大変感謝をしている。

 

 実は、そんな、先生・学校側から、寛大な処置を頂けたのは、部活動だけでは無い。とある晩夏に「ブラック部活」に一時期所属していて、その活躍によることも一因であった。体育祭という魔のイベントにどっぷりと浸かってしまったからである。

 

 この続きは、<地獄のフェス、体育祭>にて、まとめたい。