自己肯定 | ほんだな

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本棚から本を引っ張り出して読むように、新たな驚き・発見・喜怒哀楽を得ることができるそんなブログでありたいです。

別ページのブログと被るエピソードですが、うん十年ぶりに、書き初めをする貴重な機会を頂きまして、5枚ほど書かせて頂きましたが、「自己肯定」という4文字を選ばさせて頂きました。

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なぜこの4文字にしたかと言うと、昨年に、「(大人の)発達障害」と診断され、それ以来、関連書籍を購入したり、図書館で借りたり、事業所で推薦された本をコピーさせて頂いたりして、かなり勉強をしています。

その中で、誘発される要素で大きいのが、「担当教師がイタい先生、つまり、教師に向かない先生から教えられた経験」。

あっ、そういえば、中学2年生の担任が凄まじいほど酷い先生で、かつ、集中砲火を個人的に浴びた担任。なにせ、「中1の担任から、あんた問題児って引き継ぎ受けたから、あんたの担任になるのマジ嫌だったんだよねー」と堂々と言われました。

いじめ云々もあり、不登校気味になると、「あんた、これ以上休むと内申点に響いて、受験に不利になるよぉ」とも断言されました。

じゃあ、問題児で良いや、と開き直った中学3年生。ゴールデンウィーク明けの家庭訪問で、新担任と、一文字足りとも、当該事実(問題児っぷり)の引き継ぎをしていないコトが分かり… 親子ともに、怒りを通り越して呆れ返りました。

けれど、一応は勉学を教わっていたので、立派な先生としては先生です。

こうして、自分の病気を見つめなおしてみると、「自分はそんなダメ人間なんだ」とずっと思っていました。しかし、その「自己肯定」という過程を経てみると、「この教師に担当されるのは不可避なこと、嫌、これは、自分の問題ではないんじゃないか?」と思うようになってきている自分がいます。

実際に、30代前後になって、合唱関連でお世話になっている学生時代の同級生の母親さんからも、「◯◯くん、ホント、□□先生に当たられてたねぇ、よく耐えたよぉ」と声を掛けて頂き、その方とも、唄の活動仲間です。

まあ、グダグダと長い文章になりましたが、そんなわけで「自己肯定」と掲げさせて頂きました。