限界の向こう側(努力って何かね?) | ほんだな

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本棚から本を引っ張り出して読むように、新たな驚き・発見・喜怒哀楽を得ることができるそんなブログでありたいです。

 「努力って何でしょうかね?」

 

 幼稚園の卒園時に、幼稚園の先生から卒園記念アルバムに書かれていたのは、「頑張り屋さんですね!」でした。ちなみに、なぜか将来なりたい職業は「ケーキ屋」さん。なぜ、数多(あまた)とあるお菓子の中で、ケーキという洋菓子だったのでしょうか?

 

 さて、本題に戻します。僕個人、「100点出して当たり前!」という概念を、をずっと負っています。努力が当たり前というか…。例えば、中間・期末テスト・受験・資格試験とスコア化されるモノ。生徒会や文化祭の実行委員会、部活やクラスの出し物。体育祭の応援団なんか熱中症を頭痛薬で乗り切ったという現在の医療では考えられない荒治療をしたこともあります。二日間、京都の山奥にて、英語ブートキャンプ、なんていう機会もありました。

 

 何故なんでしょうね? 真面目すぎるのかも知れません。その論拠、二つ考えました。


 (1)マゾヒストであること。
 (2)人に尽力したいこと。

 

 の、2点に気が付きました。

 

 (1)マゾヒストであること。に関しては、自分をいじめ抜く、そういう癖があるのは、肯定できます。「自分の限界の限界を超える」。そんな限界の向こう側ってあるのかよ、と突っ込まれるでしょうがって? 僕のような達観した者には見えてくるのです。

 

 もう一つ、(2)人に尽力したいことに関して。
 結局他者から褒められたいんでしょうね? 過去の恋愛(、と言っても2人の女性としかお付き合いしたことがございませんが)もそうでした。長良川の花火大会にデートに行くのに、「東海ウォーカー」(当時は隔週発行)のデート特集で、毎号スクラップして、とうとう、彼女のために、お手洗いマップを作ってしまったほどです(凄いでしょ、モテテク)。

 

 さらに、褒められたい意欲。タイムスリップしますと、やっぱり勉強が好きでしたから、良い点数取ったテストは、小学生の鼻水たれた頃は嬉しく持って帰りましたね。あと、数年かけて取り組んでいたTOEICテスト(Test of English for International Communication)で大台の点数を取ったときは、英語全く分からない両親はとりあえず、かっぱ寿司に連れてってくれましたね。

 
 よって、(1)(2)により、「度を超えて、努力家である」。

 

 なんか、数学の証明、いや、論文になったぞ!(こんな経験大学生以来だ!)。結局、「マゾ」と「マザコン」がそうさせたのか? 文章化してスッキリしましたね。そんな狙いでこの文章を書き始めたのではないのに。 そうなると、冒頭の、「頑張り屋さんですね!」という幼稚園教諭の分析は大正解でしたね。こりゃ「天晴れ!」ですね。

 

 まあ、でも、努力と、それによる他者の評価は、比例しますから、今後もこの性格を貫いていきたいと思っています。自己分析の論文になっちゃった。

 

(完)