しかしながら、語学勉強仲間とSNSやツイッターで、#なんちゃら で繋がった人とあったり、音楽の先生に偶然拾ってもらい、合唱や劇で年何度も、舞台に立たせて頂き、はたから見れば、超リア充じゃんと思われる様な生活をしていますが、実は、私は根がディープ過ぎるくらい、暗い。
あと、Facebookが1番怖い。やめりゃイイのに、イイねが、7,8件付くと、「自分、ヤバイ!」と思ってしまう。「私は、リア充になりかけているのでは無いか、俺そんな人間じゃねぇ」と焦ってしまいます。実に、イヤに捻くれた性格です。
けれども、この頃、私の根の暗さを、把握して付き合って下さる、諸先輩方や知人・友人ができ、繋がることができ、それでイイんだと思いですね。むしろ、お前は、それでいいと逆に肯定されます。
ならば、よし、そういう自分を前面に生かして支持を頂こうかと。また、活躍される知人も、意外に、私もネジ外れてる人間だから、実はポンコツ人間だよ、と闇を実は抱えてるんだよと、打ち明けてくれるリア充人間の方々にも出会います。
あと、けっこう、雑誌(と言っても、ダヴィンチ一誌を)読んでると、オードリーの若林正恭さんや、時の人の星野源さんなど、ディープx(かける)ダークな視線のエッセイを書かれています。
藤圭子さんの唄に戻りますが、「過去はどんなに暗くても、夢は夜ひらく」ように、マイナーチェンジしようかと思えるような思考になった2017年春。そんな思考回路になった、私。それだけで成長したのでしょうか?