※要旨
・自ら挨拶する先輩は、将来の重役。
もしあなたの社内で自分から「おはよう」と挨拶してくる先輩がいたら、
その人はかなりの地位まで上り詰めると考えていい。
・雑用を褒めてくれる先輩があなたの師匠。
どんなビック・プロジェクトも無数の雑用の上に成り立っている。
だから将来偉くなる人ほど、雑用の質とそれをこなす人の表情を観ている。
・30代以降で出世している人たちの共通点は、
20代の頃に大嫌いな上司の下でとことん鍛え抜かれたことだ。
そして、あるとき振り返って気づく。
「あ。あの上司のおかげだ」
・机の上にモノが少ない先輩は、決断力の鬼。
膨大な数の企業を視察した経験から、こんなルールを伝えたい。
退する机の上にモノが少ない者順に、その組織における役職が上だったということだ。
・1日触れない資料は机の上には絶対に放置せず、
1年間触れなかった資料はすべて処分する。
すると、ビジネスで必須の決断力が研ぎ澄まされていく。
・矛盾したものや相反する概念を一体化させると、
そこにはとてもつもない価値が生み出される。
・本気とは、圧倒的なスピードと具体的な行動のことだ。
「これ、やりたい人いるか?」の「いるか」にかぶって挙手する人にチャンスは与えられる。
「チャンス」と直感したら、即刻引き受けて当日に行動を起こす。
・出社時間、資料作成の締め切り期日、ランチを共にする際の待ち合わせ時間。
地味で簡単な約束でいい。
あらゆる場面で時間厳守できる人間は、必ず仕事もできるようになるものだ。
・伸びる後輩の確実な見分け方は、時間を守るか否かの一点。
・謙虚で短期滞在の顧客があなたを幸せにする。
大切にすべき顧客の第一条件は、値切り交渉をしてこないこと。
・本業のサービスが抜群でも、「感じ悪い」「気持ちが悪い」と察知すると、
人は確実に去っていく。
経営コンサルタントや投資家が会社の下見をした際によくチェックするのが、
その会社の受付とトイレである。
・結婚式には、本当に大切な人だけを招待する。
・会社で一人ぼっちの人には生涯の親友がいる。
1人ランチで夢のシナリオを軌道修正する。
・独りで黙々と努力する人は、まもなく親友と出逢う。
・両親にすべきなのは、結婚相手の「相談」ではなく、「紹介」と「報告」。
相手について、迷っている時点で好きではないということだ。
・小さな約束を必死で守る男は、夢を叶える。
※要旨
・ヘミングウェイは、幼い頃からものを捨てずに大事に取っておく習慣があった。
汽車の切符やちょっとしたメモ書きの断片まで、手紙、写真、蔵書、手書き原稿、
校正ゲラ、もちろんアフリカでのサファリのトロフィとも言うべき動物の剥製、
サファリに使用した折りたたみ椅子に至るまで、遺された品々は数限りなくある。
・晩年親しく、旅をともにした若き友人、ホッチナーに、ヘミングウェイは次のように語っている。
「小説は作るものであり、自分が作り出すものは経験に根ざしている。
真の小説は、自分が知っていること、見たもの、身につけたのものすべてから書かなければならないのだ」
・第一次世界大戦から帰還したヘミングウェイが熱心に図書館に通い、
ヨーロッパ戦線について徹底して資料を読み漁ったのは、もちろん、
戦争と戦況を客観的に知りたいという願望が根底にあったであろう。
・体験は限られていた。
資料収集と読書による正確な知識が限られた体験という空白を埋める鍵となる。
生涯、貪欲な読書家であったヘミングウェイは自らの無知によって生じる空白を知識によって埋め、さらに新たな体験を求めてふたたび遊びに興じたように思われる。
それもまた鋭利な感性によって文字となる。
・ヘミングウェイは大変な読書家だった。
キューバに遺された蔵書の正確な数は未だ確かではない。
博物館によると、約9000冊あるという。
リビングルームに隣接した図書室と称される部屋の両面の壁の床から天井まで、
書棚にびっしりと本が収められている。
・ヘミングウェイは語る。
「作家は自分が書いていることを充分よく知っていて、分かっていることを省略したとしても、
作家が真実を書いている限り、読者は作家が実際に書いたと同様に、強くそれを感じることができるのだ」
続いて「氷山の一角説」を説く。
「氷山の動きがもつ威厳は、水面に現れている8分の1による」
・時にヘミングウェイは無知を装い、読書など何もせず、
教養や上品さに欠けているような振る舞いをして生きた。
少なくとも人々の前ではそのような態度を見せた。
・ヘミングウェイの息子は、少年時代、父親が有名な作家であることは知っていた。
しかし、朝10時ころには酒を片手にのんびりとくつろいでいる姿を日々、目にし、
「一体いつ仕事をするのか不思議に思った」と書いている。
後に、父親は朝、夜明けとともに起き、実は10時までにはすでに5時間ほど執筆していたことを知る。
・ヘミングウェイにとって、読むことは、書くこと同様に重要な習慣だった。
情報収集と息抜きを兼ねてたくさんの雑誌を定期購読していた。
・ヘミングウェイといわれて、まず酒を思い浮かべる人は多いだろう。
辛口のマティーニ、特製のフローズン・ダイキリ、モヒート、寝起きのシャンパン、
ペリエで割るウイスキーなど、ヘミングウェイと酒をめぐる話題は尽きない。
・ヘミングウェイは、幼い頃からものを捨てずに大事に取っておく習慣があった。
汽車の切符やちょっとしたメモ書きの断片まで、手紙、写真、蔵書、手書き原稿、
校正ゲラ、もちろんアフリカでのサファリのトロフィとも言うべき動物の剥製、
サファリに使用した折りたたみ椅子に至るまで、遺された品々は数限りなくある。
・晩年親しく、旅をともにした若き友人、ホッチナーに、ヘミングウェイは次のように語っている。
「小説は作るものであり、自分が作り出すものは経験に根ざしている。
真の小説は、自分が知っていること、見たもの、身につけたのものすべてから書かなければならないのだ」
・第一次世界大戦から帰還したヘミングウェイが熱心に図書館に通い、
ヨーロッパ戦線について徹底して資料を読み漁ったのは、もちろん、
戦争と戦況を客観的に知りたいという願望が根底にあったであろう。
・体験は限られていた。
資料収集と読書による正確な知識が限られた体験という空白を埋める鍵となる。
生涯、貪欲な読書家であったヘミングウェイは自らの無知によって生じる空白を知識によって埋め、さらに新たな体験を求めてふたたび遊びに興じたように思われる。
それもまた鋭利な感性によって文字となる。
・ヘミングウェイは大変な読書家だった。
キューバに遺された蔵書の正確な数は未だ確かではない。
博物館によると、約9000冊あるという。
リビングルームに隣接した図書室と称される部屋の両面の壁の床から天井まで、
書棚にびっしりと本が収められている。
・ヘミングウェイは語る。
「作家は自分が書いていることを充分よく知っていて、分かっていることを省略したとしても、
作家が真実を書いている限り、読者は作家が実際に書いたと同様に、強くそれを感じることができるのだ」
続いて「氷山の一角説」を説く。
「氷山の動きがもつ威厳は、水面に現れている8分の1による」
・時にヘミングウェイは無知を装い、読書など何もせず、
教養や上品さに欠けているような振る舞いをして生きた。
少なくとも人々の前ではそのような態度を見せた。
・ヘミングウェイの息子は、少年時代、父親が有名な作家であることは知っていた。
しかし、朝10時ころには酒を片手にのんびりとくつろいでいる姿を日々、目にし、
「一体いつ仕事をするのか不思議に思った」と書いている。
後に、父親は朝、夜明けとともに起き、実は10時までにはすでに5時間ほど執筆していたことを知る。
・ヘミングウェイにとって、読むことは、書くこと同様に重要な習慣だった。
情報収集と息抜きを兼ねてたくさんの雑誌を定期購読していた。
・ヘミングウェイといわれて、まず酒を思い浮かべる人は多いだろう。
辛口のマティーニ、特製のフローズン・ダイキリ、モヒート、寝起きのシャンパン、
ペリエで割るウイスキーなど、ヘミングウェイと酒をめぐる話題は尽きない。
※要旨
・わたしは小泉政権において、
2003年9月から2006年9月まできっちり3年間、環境大臣を務めた。
・環境大臣として、クールビズの導入や風呂敷の復活キャンペーン、
兼任の沖縄対策担当大臣として美ら島ブランド委員会の立ち上げなど、
次から次へと唯一無比な政策を打ち出す努力をした。
・太い道筋、仕組み、システムさえ植え付けておけば、
いつ大臣が代わっても、
方向付けができるとの強い思いが私を支えた。
それが発想の原点だった。
・原点といえば、大臣として最初に手がけた私の仕事は、一世を風靡することとなった「クールビズ」ではない。
すべては環境省の記者会見室のくすんだ青いカーテンを、
美しい地球をプリントした背景に変えたことに始まる。
・カーテンを美しい地球の写真に変え、
その場に居合わせたテレビ局のカメラマンの協力も得て、
「10センチ、上」「もう少し、下」
と指示しながら設置した。
・なにも大臣自らそこまでしなくてもと
思われるかもしれない。
それにキャスター出身である大臣の初仕事が記者会見室の背景変更では、
予定調和の範囲内すぎることも懸念した。
・しかし、環境省には環境の専門家はゴロゴロいても、
広報や報道の専門家、テレビに詳しい職員はいない。
細かい作業だが、仕上げを疎かにしてしまうと、せっかくのコンセプトもうまく活かせない。
・正しい政策、強力な施策を始め、
実行しようとしても、国民に知らしめる知恵を出さずして、
効果が出るとは限らない。
・政治は結果責任がすべてだ。
大抜擢され、大臣の椅子というチャンスを得たのなら、
大臣としての必須科目はもちろん、
私にかできないことをやってやろう。
いわゆるオンリーワンの考えを実践しようと考えた。
・入浴中や、飛行機、新幹線での移動中、
はたまた目覚めとともに、考え続けた結果としていくつかのひらめき、オンリーワンの発想があった。
・クールビズのプロジェクトでは世間から批判を浴びた。
日本の常識から考えると、
上司に刃向かうようなことはなかなか進まないものである。
この場合の上司とは、果たして誰か。
政界の上司は小泉総理、財界の上司は経団連の奥田さん。
この2人の軽装が実施できれば、きっと日本は動く。
ターゲットを具体的に絞り込んでこそ戦略と言えるのだと、
私は何度も自分に言い聞かせた。
・永田町「奉加帳方式」の凄い効果。
・トヨタの奥田会長に電話を入れたのは、2005年1月だった。
わたしと奥田会長とは、数人の経営者とともに、年に数度開く読書会のメンバー同士だった。
・課題図書を巡って、率直に意見交換するのだが、その会そのものはすでに15年以上続いていた。
メンバーが順番に選ぶ課題図書で、
その人の思考や興味分野までわかってしまう、
非常に面白い会である。
・多忙な経営者でも、
大体半年後の予定は調整できるものであることは、この会合の日程設定から知っていた。
そしてクールビズのファッションショーはトヨタの本拠地・名古屋だった。
・私は奥田会長に電話で尋ねた。
「6月5日の日曜日、名古屋ですけど、ご予定は空いていらっしゃいますか?」
「ああ、大丈夫、空いてますよ」
これでプロジェクトの8割は成功した、、、そう実感した瞬間だった。
「実は、、、」と、ファッションショーでのモデル依頼の話を切り出すと、
さすがに、
「えーっ、ファッションショーのモデルですか??」
としばらく絶句されていたが、結果は快諾だった。
・モデル集めの幸先は整った。
なぜなら、次から「奥田会長も参加されます」という、強烈な殺し文句が使えるからだ。
松下電器の森下会長、オリックスの宮内会長からも快諾を得た。
・人脈は何にも増して重要だ。
それはあえてここで書くまでもない。
誰しも、日々のご縁を忘れず、相手に敬意を払い、日ごろから人脈づくりに最大限のエネルギーを用いることが大切だ。
・奥田、森下、宮内と、3人の実力経営者がそろった。
この時点で、成功率は80%から90%へと跳ね上がった。
これから先は、永田町で言うところの「奉加帳方式」でいくのみだ。
「奥田さんや森下さんも参加」
という強いお墨付きが、
「そんな方々が出るのなら」という、
大きな安心感を生む、、、私は絶対的に確信していた。
・わたしは政界入りする前、経済番組のキャスター時代に、
経営者本や株式市場に関する本など、フィクション、
ノンフィクションを問わず、片っ端から読み漁った。
・株式などの投資関係者が視聴者に多く、
どの番組より熱心な視聴者を抱える経済金融番組のキャスターともなると、うっかりした発言はできない。
視聴者の熱心度でいえば、馬券購入で直接自らの財布に影響のある競馬番組か、
金融や経済がらみの番組が1番ではないかと思う。
だから経済事件などへのコメントも、
経済や株の裏の裏まで熟知している必要がある。
・かと言って、自分自身が裏の裏に精通するわけにはいかない。
そこで経済小説、なかでも清水一行さんの『小説兜町』『虚業集団』など、
片っ端から読み漁り、疑似体験する方法を取ったこともあった。
・ビジネス書を読む習慣は、政治家になっても全く変わっていない。
特にマーケティング関連の書物から得たヒントは、
政治や行政といった分野でこそ活かせると、長年感じていた。
・政策や行政の場合、顧客は国民、納税者、有権者である。
商品は政策であり、将来への希望である。
それをどう提供し、納得してもらうか。
政治や行政の世界こそ、
究極のマーケティングが必要な分野なのだ。
・そんな思いで政党運営などにマーケティングの手法を
活かしてきたこともあるが、
行政の最高責任者としての舞台が与えられている大臣だからこそ、
これまで学んできた「理論」を「実践」するしかない、、、
ずっとそう考えてきた。
・わたしの座右の書は、
先の大戦での敗戦を客観的に分析した
『失敗の本質』という本だ。
本書はミッドウェー海戦、ガタルカナル攻略戦、インパール作戦など、
様々な戦いにおいて、何が敗因だったのかを学際的に分析している。
・クラウゼヴィッツの『戦争論』や、孫子の『兵法』も参考になる。
・わたしは小泉政権において、
2003年9月から2006年9月まできっちり3年間、環境大臣を務めた。
・環境大臣として、クールビズの導入や風呂敷の復活キャンペーン、
兼任の沖縄対策担当大臣として美ら島ブランド委員会の立ち上げなど、
次から次へと唯一無比な政策を打ち出す努力をした。
・太い道筋、仕組み、システムさえ植え付けておけば、
いつ大臣が代わっても、
方向付けができるとの強い思いが私を支えた。
それが発想の原点だった。
・原点といえば、大臣として最初に手がけた私の仕事は、一世を風靡することとなった「クールビズ」ではない。
すべては環境省の記者会見室のくすんだ青いカーテンを、
美しい地球をプリントした背景に変えたことに始まる。
・カーテンを美しい地球の写真に変え、
その場に居合わせたテレビ局のカメラマンの協力も得て、
「10センチ、上」「もう少し、下」
と指示しながら設置した。
・なにも大臣自らそこまでしなくてもと
思われるかもしれない。
それにキャスター出身である大臣の初仕事が記者会見室の背景変更では、
予定調和の範囲内すぎることも懸念した。
・しかし、環境省には環境の専門家はゴロゴロいても、
広報や報道の専門家、テレビに詳しい職員はいない。
細かい作業だが、仕上げを疎かにしてしまうと、せっかくのコンセプトもうまく活かせない。
・正しい政策、強力な施策を始め、
実行しようとしても、国民に知らしめる知恵を出さずして、
効果が出るとは限らない。
・政治は結果責任がすべてだ。
大抜擢され、大臣の椅子というチャンスを得たのなら、
大臣としての必須科目はもちろん、
私にかできないことをやってやろう。
いわゆるオンリーワンの考えを実践しようと考えた。
・入浴中や、飛行機、新幹線での移動中、
はたまた目覚めとともに、考え続けた結果としていくつかのひらめき、オンリーワンの発想があった。
・クールビズのプロジェクトでは世間から批判を浴びた。
日本の常識から考えると、
上司に刃向かうようなことはなかなか進まないものである。
この場合の上司とは、果たして誰か。
政界の上司は小泉総理、財界の上司は経団連の奥田さん。
この2人の軽装が実施できれば、きっと日本は動く。
ターゲットを具体的に絞り込んでこそ戦略と言えるのだと、
私は何度も自分に言い聞かせた。
・永田町「奉加帳方式」の凄い効果。
・トヨタの奥田会長に電話を入れたのは、2005年1月だった。
わたしと奥田会長とは、数人の経営者とともに、年に数度開く読書会のメンバー同士だった。
・課題図書を巡って、率直に意見交換するのだが、その会そのものはすでに15年以上続いていた。
メンバーが順番に選ぶ課題図書で、
その人の思考や興味分野までわかってしまう、
非常に面白い会である。
・多忙な経営者でも、
大体半年後の予定は調整できるものであることは、この会合の日程設定から知っていた。
そしてクールビズのファッションショーはトヨタの本拠地・名古屋だった。
・私は奥田会長に電話で尋ねた。
「6月5日の日曜日、名古屋ですけど、ご予定は空いていらっしゃいますか?」
「ああ、大丈夫、空いてますよ」
これでプロジェクトの8割は成功した、、、そう実感した瞬間だった。
「実は、、、」と、ファッションショーでのモデル依頼の話を切り出すと、
さすがに、
「えーっ、ファッションショーのモデルですか??」
としばらく絶句されていたが、結果は快諾だった。
・モデル集めの幸先は整った。
なぜなら、次から「奥田会長も参加されます」という、強烈な殺し文句が使えるからだ。
松下電器の森下会長、オリックスの宮内会長からも快諾を得た。
・人脈は何にも増して重要だ。
それはあえてここで書くまでもない。
誰しも、日々のご縁を忘れず、相手に敬意を払い、日ごろから人脈づくりに最大限のエネルギーを用いることが大切だ。
・奥田、森下、宮内と、3人の実力経営者がそろった。
この時点で、成功率は80%から90%へと跳ね上がった。
これから先は、永田町で言うところの「奉加帳方式」でいくのみだ。
「奥田さんや森下さんも参加」
という強いお墨付きが、
「そんな方々が出るのなら」という、
大きな安心感を生む、、、私は絶対的に確信していた。
・わたしは政界入りする前、経済番組のキャスター時代に、
経営者本や株式市場に関する本など、フィクション、
ノンフィクションを問わず、片っ端から読み漁った。
・株式などの投資関係者が視聴者に多く、
どの番組より熱心な視聴者を抱える経済金融番組のキャスターともなると、うっかりした発言はできない。
視聴者の熱心度でいえば、馬券購入で直接自らの財布に影響のある競馬番組か、
金融や経済がらみの番組が1番ではないかと思う。
だから経済事件などへのコメントも、
経済や株の裏の裏まで熟知している必要がある。
・かと言って、自分自身が裏の裏に精通するわけにはいかない。
そこで経済小説、なかでも清水一行さんの『小説兜町』『虚業集団』など、
片っ端から読み漁り、疑似体験する方法を取ったこともあった。
・ビジネス書を読む習慣は、政治家になっても全く変わっていない。
特にマーケティング関連の書物から得たヒントは、
政治や行政といった分野でこそ活かせると、長年感じていた。
・政策や行政の場合、顧客は国民、納税者、有権者である。
商品は政策であり、将来への希望である。
それをどう提供し、納得してもらうか。
政治や行政の世界こそ、
究極のマーケティングが必要な分野なのだ。
・そんな思いで政党運営などにマーケティングの手法を
活かしてきたこともあるが、
行政の最高責任者としての舞台が与えられている大臣だからこそ、
これまで学んできた「理論」を「実践」するしかない、、、
ずっとそう考えてきた。
・わたしの座右の書は、
先の大戦での敗戦を客観的に分析した
『失敗の本質』という本だ。
本書はミッドウェー海戦、ガタルカナル攻略戦、インパール作戦など、
様々な戦いにおいて、何が敗因だったのかを学際的に分析している。
・クラウゼヴィッツの『戦争論』や、孫子の『兵法』も参考になる。
※要旨
・さまざまな問題について
データに基づく分析を重視する筆者は、
感情や印象でものを語ることが嫌いだ。
データに基づかなければ、
議論する意味はまったくないとすら思っている。
・しかしながら日本のマスコミ、そして学者や識者のほとんどは、
感情や印象ばかりで語っているというのが現実だ。
・野党が国民の支持を得ることができない最大の原因は、
アベノミクスの第一の矢である「金融政策」を
まったく理解できていないことにある。
世界標準の考え方でいえば、
金融政策の究極の目的は、雇用を増やすことにある。
つまり、金融政策と雇用政策は密接に関係しているのだ。
・イギリス経済とアメリカ経済は、シンクロ度が高い。
シティで起こった話はアメリカのウォール街に波及し、
米英の実体経済に悪影響を及ぼすことも十分あり得る。
・イギリス経済は将来的には成長する可能性あり。
・経済は人の「気分」で動く。
・不況時の増税は経済成長を阻害する。
・エコノミストの予測が外れるのは経済学部が「文系」だから。
・経済学は、数字やデータ、グラフを使って考えたり分析したり計算したりする学問である。
本来なら「理系」に分類されて然るべき分野である。
・筆者のイメージでは、経済学は「工学」に近い分野で、
精密科学ではなく、その意味では、
バリバリの理系とは言えないかもしれないが、
いずれにしろ、理数系の素養が必要なことに変わりはない。
・大学の経営は、実は受験料が大きな収入源となっている側面が強い。
もし経済学部を理系学部に分類して、
数学を試験科目に据えると、受験者数が激減してしまう。
大学にとって、それは死活問題になりかねない。
・中国経済の減速は疑いようがない。
中国のGDPはまったく信用できない。
・中央集権、計画経済を旨とする社会主義国家では、
統計はどうしたっていい加減になるのである。
・もっとも、中国が発表する統計のなかにも、一つだけ信頼できる統計データがある。それは、輸出入統計だ。
中国はWTOに加盟しており、
さすがの中国も、この数字だけはごまかすことができない。
なぜなら、輸出入には相手国が必ず存在するからだ。
・輸入の伸び率とGDPの伸び率との間には、正の関係がある。
・経済成長すれば、おのずと財政再建も達成される。
・経済成長が続けば、年金も破綻しない。
・安保関連法が戦争リスクを減らすのは明らか。
・平和のためには「軍事力」「民主主義」「貿易」が不可欠だ。
・集団的自衛権を行使しないと戦争リスクは高まる。
・現在の在日米軍をすべて自衛隊に置き換えたとしたら、おそらく25兆円程度の防衛予算と日本経済の損失に備えるコストが必要になる。
・さまざまな問題について
データに基づく分析を重視する筆者は、
感情や印象でものを語ることが嫌いだ。
データに基づかなければ、
議論する意味はまったくないとすら思っている。
・しかしながら日本のマスコミ、そして学者や識者のほとんどは、
感情や印象ばかりで語っているというのが現実だ。
・野党が国民の支持を得ることができない最大の原因は、
アベノミクスの第一の矢である「金融政策」を
まったく理解できていないことにある。
世界標準の考え方でいえば、
金融政策の究極の目的は、雇用を増やすことにある。
つまり、金融政策と雇用政策は密接に関係しているのだ。
・イギリス経済とアメリカ経済は、シンクロ度が高い。
シティで起こった話はアメリカのウォール街に波及し、
米英の実体経済に悪影響を及ぼすことも十分あり得る。
・イギリス経済は将来的には成長する可能性あり。
・経済は人の「気分」で動く。
・不況時の増税は経済成長を阻害する。
・エコノミストの予測が外れるのは経済学部が「文系」だから。
・経済学は、数字やデータ、グラフを使って考えたり分析したり計算したりする学問である。
本来なら「理系」に分類されて然るべき分野である。
・筆者のイメージでは、経済学は「工学」に近い分野で、
精密科学ではなく、その意味では、
バリバリの理系とは言えないかもしれないが、
いずれにしろ、理数系の素養が必要なことに変わりはない。
・大学の経営は、実は受験料が大きな収入源となっている側面が強い。
もし経済学部を理系学部に分類して、
数学を試験科目に据えると、受験者数が激減してしまう。
大学にとって、それは死活問題になりかねない。
・中国経済の減速は疑いようがない。
中国のGDPはまったく信用できない。
・中央集権、計画経済を旨とする社会主義国家では、
統計はどうしたっていい加減になるのである。
・もっとも、中国が発表する統計のなかにも、一つだけ信頼できる統計データがある。それは、輸出入統計だ。
中国はWTOに加盟しており、
さすがの中国も、この数字だけはごまかすことができない。
なぜなら、輸出入には相手国が必ず存在するからだ。
・輸入の伸び率とGDPの伸び率との間には、正の関係がある。
・経済成長すれば、おのずと財政再建も達成される。
・経済成長が続けば、年金も破綻しない。
・安保関連法が戦争リスクを減らすのは明らか。
・平和のためには「軍事力」「民主主義」「貿易」が不可欠だ。
・集団的自衛権を行使しないと戦争リスクは高まる。
・現在の在日米軍をすべて自衛隊に置き換えたとしたら、おそらく25兆円程度の防衛予算と日本経済の損失に備えるコストが必要になる。
※要旨
・田中角栄の毎日は凄かった。
たとえば、オヤジは夜9時になると寝てしまう。
パタンキューだ。
それで夜中の12時ごろに起き、
2時間ぐらいの間、役所から届いた資料、数字やら、
読みかけの本やらを読む。
・あるいは、大事な手紙の返事を書く。
メモを整理する。
それから、国会便覧に目を通したり、
日本地図を拡げて各選挙区の地勢や状況を頭に入れる。
ちょっと一杯やってから床について、
朝6時にはもう起きだして新聞を読む。
・わたしは何度となく、オヤジから言われた。
「メシ時になったら、しっかりメシを食え。
シャバにはいいことは少ない。
いやなことばっかりだ。
それを苦にしてメシが食えないようではダメだ。
腹が減って、目が回って、大事な戦はできん」
・あの人はどんなイヤなことがあっても、
修羅場の中でも、メシ時になると大声で叫ぶ。
「メシ!」
どんな修羅場でもメシが食えるのは、
腹ペコでは何も出来ないということを
経験的に知っているから。
くよくよしても仕方のないことは、くよくよしない。
やらなければならないことは、
万難を排してもやる。
これが田中のオヤジだ。
・田中角栄はもともと運命論者だ。
とことん人事は尽くす。
勉強はする。
努力はする。努力は惜しまない。
計画も綿密に立てる。
熟慮したら、断行する。
しかし、結果について幻想はまったく抱かない。
・オヤジが小学校卒で、総理大臣になった最大にして唯一の理由は、
「田中角栄は人間をよく知っている」
これに尽きると思う。
・まじめに働いても報われない人の辛さ、
悲しみも見てきた。
体験もした。
権力と金の恐ろしさも知った。
世間には実にさまざまな人間がいる。
一筋縄ではいかない。
・田中は、自分がけわしい山道を抜けて出てきたから、
そこがわかる。
と同時に、どうしたら人に、
力のある人に認めてもらうことができるか、
存在に気づいてもらうことができるか、
そのためにどうすればいいのか、
どうすれば仕事をもらえるか、
辛酸をなめる中で体得してきた。
・さらに、一文の銭をあがなうために、
人はどれだけ辛い、切ない思いをするかということも知ってきた。
そして、あの土建屋の凄まじい仕事を取り合う中で、
金というものがいかに人にとって力になるか。
また逆もあるか、
実体験として骨身に沁みて味わってきた。
・いかにして人の心を頂戴するか。
信用と実績を積むには何をすべきか。
かれはそのへんを詳細に検討した。
経験から学び、率直に反省し、
失敗から成功に至る道程をてさぐりで探し、
結論を整理して、脳裡に焼き付けた。
・苦労と経験こそ成功の母だ。
一朝一夕にはいかない。
結局、オヤジは苦労と経験を積み重ね、
実学で人間の真贋を見分け、亭々たる大樹になった。
その意味で、田中角栄は本当に「去華就実」の申し子だ。
・昭和32年、第一次岸内閣の改造で田中角栄は郵政大臣になった。
衆院当選5回、39歳の若さだ。
・オヤジは大臣になるとすぐ、
36局に及ぶ民間テレビの大量一括免許を断行した。
まわりの政治家たちも驚いたが、
官僚が腰を抜かした。
・大臣の多くは面倒な仕事を先送りする。
さわらぬ神にたたりなし。
大過なく任期を終える。
そうした大臣をみなれていた役人連中は目を見張った。
必要な仕事をテキパキ片付ける。
役人をキチンと立てる。
信賞必罰。
組合ともハダカで付き合う。
・学もない田中角栄が、
なぜか秀才官僚を手足のように動かす。
自民党内部でもジャーナリズムでも首をかしげていた。
しかし、これは連中の無知の反映だ。
オヤジは大臣として郵政省に乗り込むまでの無名の10年間に、
日本政治史上、例を見ない議員立法の国会活動を展開していた。
・大蔵省、建設省などのウルサ型を相手に、
柔道でいえば「引かば押せ、押さば引け」方式で、
役人に言うことを聞かせるコツを身につけていた。
学卒で世間知らずの秀才青年が大臣になったわけではない。
・だから役人は、オヤジと一日いるだけで
青年大臣の凄さがすぐわかった。
これなら安心してついていける。
仕事に汗を流しても損にならない。
・驚くべきことは、39歳で郵政大臣になった田中角栄が、
すでにその若さで官僚たちの心をとらえる存在で
あったというところにある。
かれらは、この土建屋のチョビヒゲ大臣の中に、
ただならぬ力を感じ取っていた。
初めに実績ありき。
これが最大だ。
それに実行力と、気が遠くなるほどの気くばり。
・田中は、つねに一点集中主義、全力投球だ。
これと決めたら、徹底的にやる。
ゴルフをはじめるときも、まず、3ヶ月間、本を読んだ。
ゴルフとは何か。
そこから始めた。
理論武装から入っていった。
そこからインドアの練習場で3ヶ月。
・政治の根っこは、「義理と人情」。
昭和53年、再選を目指す福田赳夫総裁と大平幹事長が、
総裁ポストをめぐってシノギをけずった。
オヤジは「大平総裁」実現のため必要な布石を全部、打ち終えて、
満を持しながら開票日に臨んだ。
それを福田さんもマスコミも知らない。
・北海道から沖縄に至る日本中の知事、役所の出先機関、
農協や漁連の会長、市町村長、県議会の議長、県連の幹事長、
など全国各地にはすべて大ボス、中ボス、小ボスがいる。
いいとか悪いとかではなく、存在している。
それが現実だ。
・それぞれの大小ピラミッドの頂点にボスがいる。
その命令一下、大勢の人が動き出す。
選挙に勝つには、
そのヒエラルキーを動かせるか否かにかかっている。
どこに電話をかけて、
どのボタンを押せば何票出てくるか。
それをオヤジは知り尽くしていた。
・我が国の地方権力がどのように形成されているか、
キーパーソンは誰か、
掌を指すように熟知している。
しかも大小の付き合いがある。
ツーカーの間柄も多い。
・オヤジは総裁選挙のはじまる1ヶ月前から私に命令した。
「北海道から沖縄に至る大中小のボス、しかじかくかくの名前を
すべて書き出せ。
自宅、会社、役所の電話番号をことごとく書け」
わたしは、横1.5メートル、長さ10メートルの白紙に一週間かけて
必要事項をあますところなく書き込んだ。
目白の誰も来ない部屋でシコシコやった。
そして、オヤジは、その上にあがり、
赤い色エンピツを持って、私に命令する。
「札幌のだれそれ」
そして、次々と電話して、票を固めていく。
・一心不乱の集中力。
田中のオヤジが凄いと思うのは、
新聞や雑誌のインタビューに応じる時の用意周到さだ。
私がまず記者に会って、
質問項目をもらう。
そして私が骨組みを書いて、オヤジにみせる。
そこで彼は、私に資料の用意を命じる。
あるテーマがあれば、
その戦後のフシ目フシ目の数字を
「全部集めろ」
という。
・それから、
「当時の法律はどうなっていたのか、それを全部整理せよ」
と命じる。
わたしはそれらを全部、用意する。
提出された膨大な資料を手許に置いて、
オヤジは赤エンピツを片手に線を引きながら、
一心不乱に読んでいく。
1時間、2時間、まったく勉強に集中する。
その集中力たるや、恐ろしいくらいのものだ。
・いざインタビューに入ると、
田中は資料をいっさい見ない。
ほとんどの数字や内容が頭に入っている。
もちろん神様ではないから、
たまに間違ったり、度忘れすることもある。
・しかし、そばで同じ資料を見ている私が一言、助ければすぐに思い出し、あとは一瀉千里だ。
呆れるくらい頭によく入っている。
・田中角栄の毎日は凄かった。
たとえば、オヤジは夜9時になると寝てしまう。
パタンキューだ。
それで夜中の12時ごろに起き、
2時間ぐらいの間、役所から届いた資料、数字やら、
読みかけの本やらを読む。
・あるいは、大事な手紙の返事を書く。
メモを整理する。
それから、国会便覧に目を通したり、
日本地図を拡げて各選挙区の地勢や状況を頭に入れる。
ちょっと一杯やってから床について、
朝6時にはもう起きだして新聞を読む。
・わたしは何度となく、オヤジから言われた。
「メシ時になったら、しっかりメシを食え。
シャバにはいいことは少ない。
いやなことばっかりだ。
それを苦にしてメシが食えないようではダメだ。
腹が減って、目が回って、大事な戦はできん」
・あの人はどんなイヤなことがあっても、
修羅場の中でも、メシ時になると大声で叫ぶ。
「メシ!」
どんな修羅場でもメシが食えるのは、
腹ペコでは何も出来ないということを
経験的に知っているから。
くよくよしても仕方のないことは、くよくよしない。
やらなければならないことは、
万難を排してもやる。
これが田中のオヤジだ。
・田中角栄はもともと運命論者だ。
とことん人事は尽くす。
勉強はする。
努力はする。努力は惜しまない。
計画も綿密に立てる。
熟慮したら、断行する。
しかし、結果について幻想はまったく抱かない。
・オヤジが小学校卒で、総理大臣になった最大にして唯一の理由は、
「田中角栄は人間をよく知っている」
これに尽きると思う。
・まじめに働いても報われない人の辛さ、
悲しみも見てきた。
体験もした。
権力と金の恐ろしさも知った。
世間には実にさまざまな人間がいる。
一筋縄ではいかない。
・田中は、自分がけわしい山道を抜けて出てきたから、
そこがわかる。
と同時に、どうしたら人に、
力のある人に認めてもらうことができるか、
存在に気づいてもらうことができるか、
そのためにどうすればいいのか、
どうすれば仕事をもらえるか、
辛酸をなめる中で体得してきた。
・さらに、一文の銭をあがなうために、
人はどれだけ辛い、切ない思いをするかということも知ってきた。
そして、あの土建屋の凄まじい仕事を取り合う中で、
金というものがいかに人にとって力になるか。
また逆もあるか、
実体験として骨身に沁みて味わってきた。
・いかにして人の心を頂戴するか。
信用と実績を積むには何をすべきか。
かれはそのへんを詳細に検討した。
経験から学び、率直に反省し、
失敗から成功に至る道程をてさぐりで探し、
結論を整理して、脳裡に焼き付けた。
・苦労と経験こそ成功の母だ。
一朝一夕にはいかない。
結局、オヤジは苦労と経験を積み重ね、
実学で人間の真贋を見分け、亭々たる大樹になった。
その意味で、田中角栄は本当に「去華就実」の申し子だ。
・昭和32年、第一次岸内閣の改造で田中角栄は郵政大臣になった。
衆院当選5回、39歳の若さだ。
・オヤジは大臣になるとすぐ、
36局に及ぶ民間テレビの大量一括免許を断行した。
まわりの政治家たちも驚いたが、
官僚が腰を抜かした。
・大臣の多くは面倒な仕事を先送りする。
さわらぬ神にたたりなし。
大過なく任期を終える。
そうした大臣をみなれていた役人連中は目を見張った。
必要な仕事をテキパキ片付ける。
役人をキチンと立てる。
信賞必罰。
組合ともハダカで付き合う。
・学もない田中角栄が、
なぜか秀才官僚を手足のように動かす。
自民党内部でもジャーナリズムでも首をかしげていた。
しかし、これは連中の無知の反映だ。
オヤジは大臣として郵政省に乗り込むまでの無名の10年間に、
日本政治史上、例を見ない議員立法の国会活動を展開していた。
・大蔵省、建設省などのウルサ型を相手に、
柔道でいえば「引かば押せ、押さば引け」方式で、
役人に言うことを聞かせるコツを身につけていた。
学卒で世間知らずの秀才青年が大臣になったわけではない。
・だから役人は、オヤジと一日いるだけで
青年大臣の凄さがすぐわかった。
これなら安心してついていける。
仕事に汗を流しても損にならない。
・驚くべきことは、39歳で郵政大臣になった田中角栄が、
すでにその若さで官僚たちの心をとらえる存在で
あったというところにある。
かれらは、この土建屋のチョビヒゲ大臣の中に、
ただならぬ力を感じ取っていた。
初めに実績ありき。
これが最大だ。
それに実行力と、気が遠くなるほどの気くばり。
・田中は、つねに一点集中主義、全力投球だ。
これと決めたら、徹底的にやる。
ゴルフをはじめるときも、まず、3ヶ月間、本を読んだ。
ゴルフとは何か。
そこから始めた。
理論武装から入っていった。
そこからインドアの練習場で3ヶ月。
・政治の根っこは、「義理と人情」。
昭和53年、再選を目指す福田赳夫総裁と大平幹事長が、
総裁ポストをめぐってシノギをけずった。
オヤジは「大平総裁」実現のため必要な布石を全部、打ち終えて、
満を持しながら開票日に臨んだ。
それを福田さんもマスコミも知らない。
・北海道から沖縄に至る日本中の知事、役所の出先機関、
農協や漁連の会長、市町村長、県議会の議長、県連の幹事長、
など全国各地にはすべて大ボス、中ボス、小ボスがいる。
いいとか悪いとかではなく、存在している。
それが現実だ。
・それぞれの大小ピラミッドの頂点にボスがいる。
その命令一下、大勢の人が動き出す。
選挙に勝つには、
そのヒエラルキーを動かせるか否かにかかっている。
どこに電話をかけて、
どのボタンを押せば何票出てくるか。
それをオヤジは知り尽くしていた。
・我が国の地方権力がどのように形成されているか、
キーパーソンは誰か、
掌を指すように熟知している。
しかも大小の付き合いがある。
ツーカーの間柄も多い。
・オヤジは総裁選挙のはじまる1ヶ月前から私に命令した。
「北海道から沖縄に至る大中小のボス、しかじかくかくの名前を
すべて書き出せ。
自宅、会社、役所の電話番号をことごとく書け」
わたしは、横1.5メートル、長さ10メートルの白紙に一週間かけて
必要事項をあますところなく書き込んだ。
目白の誰も来ない部屋でシコシコやった。
そして、オヤジは、その上にあがり、
赤い色エンピツを持って、私に命令する。
「札幌のだれそれ」
そして、次々と電話して、票を固めていく。
・一心不乱の集中力。
田中のオヤジが凄いと思うのは、
新聞や雑誌のインタビューに応じる時の用意周到さだ。
私がまず記者に会って、
質問項目をもらう。
そして私が骨組みを書いて、オヤジにみせる。
そこで彼は、私に資料の用意を命じる。
あるテーマがあれば、
その戦後のフシ目フシ目の数字を
「全部集めろ」
という。
・それから、
「当時の法律はどうなっていたのか、それを全部整理せよ」
と命じる。
わたしはそれらを全部、用意する。
提出された膨大な資料を手許に置いて、
オヤジは赤エンピツを片手に線を引きながら、
一心不乱に読んでいく。
1時間、2時間、まったく勉強に集中する。
その集中力たるや、恐ろしいくらいのものだ。
・いざインタビューに入ると、
田中は資料をいっさい見ない。
ほとんどの数字や内容が頭に入っている。
もちろん神様ではないから、
たまに間違ったり、度忘れすることもある。
・しかし、そばで同じ資料を見ている私が一言、助ければすぐに思い出し、あとは一瀉千里だ。
呆れるくらい頭によく入っている。