7月10日昼。
庭のトマトもゴーヤもうなだれる蒸し暑さの中、蝉の泣き声が聞こえた。

30回目の夏が始まる。

今までの私の人生すべてがデータになっていて。
私の中に保存されていたら。
何歳の何月何日何時何分何秒を再生することができたのなら。
リプレイしたい思い出が沢山ある。
忘れてしまったことにも気づけるだろう。

いつか科学が人の脳を解明したとき、そんな未来が来るかもしれない。

どんなに上手く作り上げた映画よりも美しくて残酷なのが人生。
死にたくなるときなんて数えきれないほどあった。
元は死から始まった生。
生まれて良かったという素敵な思い出を数えていこう。

いつか終わるときが来たら、父と母への感謝をもって命のシャットダウンを迎えよう。

バックアップがとれるなら、USBで繋いで役に立ちそうなものだけ息子にコピーであげたい。


おじいさんが亡くなって一ヶ月が過ぎた。

亡くなった連絡を受け、駆け付けて顔を見ても涙は出なかった。
むしろ「やっとおじいさんは苦しい毎日から解放されたんだ」という気持ちすらわいてきた。

元気だったおじいさんが日に日に弱るのを感じてはいた。
亡くなる一週間くらい前のお見舞いで、一目で急激に病状が悪化したと悟り死を予感してふるえた。
そのとき溢れ出る涙をこらえることが出来なかった。

病室から出られない。
寝たきりの毎日。
一日でも長く生きて
と励ます気持ちを奪うような絶望的につらくつまらない入院生活だったろうと思う。
それでも病院でないと生きられない体になってしまったから。

死んでから沢山の人がおじいさんの元へ集まった。
生きてるときに会えたらどれだけ喜んだろう。
死なないと会えない人がいるなんて。

おじいさんの亡きがらは、からっぽだと感じた。
もうそこにおじいさんはいなかった。
どこにいってしまうんだろう。
私も死んだら「今こうして考えている私」はどうなってしまうんだろう。

いつも私を待っていてくれたおじいさん。
お見舞いでは別れ際にいつも握手した。
言葉にはうまく出来なかったけど、握った手から通じ合えた気がした。

思い出の海に浸ったら私は私のいるべき場所に戻らないと。
今、残された大切な家族や友人との限られた時間を大事にしないと。
おじいさんに怒られる。

一人じゃない。
私の中に息づいてる。
ずっと。

おじいさんが急性白血病になって一週間。
私は4回お見舞いに行きました。

2回目のお見舞いの日、ラジオを買っていったらうちの母親もラジオを買ってきてどっちを開封しようかと思わず苦笑しました。
親子だなぁ。
向かいのベッドの白髪短髪のおじいさんが車椅子に乗って近付いてきてラジオの使い方をアドバイスしてくれました。

3回目。
肺炎を起こしたおじいさんは個室に移されました。
骨髄の7割がガンに侵され血液を作れず貧血を起こし、免疫力も弱まっているのでしょう。
そんな医学的ななんちゃらはどうだっていいのです。
目の前で弱っていくおじいさんに何もしてあげられない無力感にただ悔しさばかりがこみあげてきます。
握った手はぞっとするくらいひやりと冷たかったです。

病室の窓からは山や田や民家が見えますが、おじいさんの目線から見えるのは真っ白な天井と灰色に曇った空だけでした。
みかんすら食べられずに点滴で栄養をとるおじいさんを後にし、それでも私は腹が減り食事をしてTVを見て笑ったりもするのです。
私の幸せがおじいさんの幸せだと自分に言い聞かせて。

4回目。
薬が効いて肺炎が治り病室は四人部屋に戻されました。
子供も連れていきました。
おじいさんの方に顔を見せようとすると反対を向いて後頭部ばかり見せてしまいました。
少しするとおじいさんは「もう帰れ~」と声を振り絞りました。
トイレにも一人では行けず眠っているかのような状態で一日を過ごすおじいさんが弱りきった体に力をこめてそう言うのです。
私は「帰る」と言いました。
「また来る」と言いました。
おじいさんは心から嬉しそうに笑ってくれました。
寂しくないわけがないのです。
死を隣に感じて不安なときに独りでいたいわけがないのです。
私はそう思います。
握った手が温かさを取り戻していてほっとしました。

向かいのベッドは、空いていました。
理由はあえて聞きませんでした。
だってどちらであれ、あのおじいさんは苦しみを越えてそこから離れていったのですから。