夢の旅人達よ、急がないでくれ |  CHOCOLATE YELLOW 

夢の旅人達よ、急がないでくれ

 

 

ビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』は当初
デビューの頃のバンド本来の姿に戻ろうと
レコーディング技術に頼らず
一発録りて作っていこうというポリシーがありました。

4人で同時に楽器を演奏するけど
ベースのポールがギターや鍵盤を弾きたい曲もあり
誰かがベースを担当することもあれば
“トゥー・オブ・アス”や“フォー・ユー・ブルー”みたいに
ベースなしになることも。

本来のバンドスタイルに戻ろうとしたのに、
イビツなフォーメーションになり
むしろ一発録りのポリシーを捨てた方が
もしかしたら原点に帰れたかもと思ったりもしました。
なかなか全部を満たすのは難しい。

ビートルズ解散後、ポールはバンドやライブでの活動に
一番こだわっており、ウイングスが誕生するが、
世間の目はポールにしか期待しておらず、
レコード会社もポールの名前を出して欲しいとの要求があり
ポール・マッカートニー&ウイングスと名乗る時期もあった

ポールがビートルズの頃のように色んな楽器をやるには
一通りの楽器担当者がいて、ポールが好きな楽曲を選ぶ
方法にすれば、『レット・イット・ビー』の頃の
未完成感にはならないけど、ウイングスには
デニー・レインという強力なメンバーがいたんですよね。

基本はギタリストとして紹介されるけど
“Maybe I'm Amazed”ではポールがピアノで
デニーがベースに回ったり、ポールの対抗楽器として
バンドの穴埋めをしていた。

作家としてもポールとの共作はもちろん、提供作品も
ポール・マッカートニーのアルバムとして人々が聞けるよう
はみ出した作風のものは作らず、ずっとポールに寄り添って
アベレージ的な曲を作っていました。

『Back To The Egg』の“Again And Again And Again”は
デニーの単独作品でありながら完全にアルバムに馴染んでた

表現者のエゴとエゴのぶつかり合いと言われる
音楽の世界において、こんなにアジャストしてくる存在は
逆にすごいなぁと思っていました。

そのデニーが、80年代初頭に脱退をしたところで
ウイングス自体の活動はなくなり、ポールは以降
レコーディングも、ツアーもバンドを率いて現在まで
活動をしているが、バンドに特別な名前を与えず
あくまでもポールとバックバンドのスタイルを貫いている

自分の表現のためには、もうバンドとして活動していく事は
諦めているように見えてくる

そう考えると、ビートルズ後のプレッシャーをはねのけ
バンド活動として、自由な表現が出来たポールの背中に
羽を付けてくれたのはデニー・レインだけだったのかなぁと
ひしひしと感じながら、彼を偲んでいます

 


そして、今年も
ニューヨークは12/8を迎えました。
ジョンレノンの命日です。

スケジュール設定していた
10/9ジョンの誕生日にGABIGABIで開かれた
『ジョンレノン・ナイト』の模様がアップされました。